リベンジ、飫肥
飫肥の続き。 飫肥には3年前にも来たことがあるのだが、前回はレンタカーを借りて坂元の棚田と油津まで足をのばし、日南駅まで 寄り道してしまったおかげで飫肥に戻ってきたときはすでに夕方。。。どこもここも閉まっており、駆け足で いくつかの建物の外観や石垣を見て回ったのみだった。 今回は飫肥駅から歩いて町並み保存地区へ向かう。今日はちょうど飫肥祭りがあると聞いていたが、さすがにまだ...
View Article旧山本猪平家 その1
飫肥の続き。 飫肥藩伊東家5万1千石の城下町。江戸時代初期のまちなみがほとんどそのまま残る飫肥城下町は 1977(昭和52)年に伝統的建造物郡保存地区(伝建地区)に選定されている。 今回の目的の旧山本猪平家は、廻船業などで財をなした飫肥の豪商の本宅として1907(明治40)年 頃に建てられたもので、附属屋も含めほぼ完全な形で残る。...
View Article旧山本猪平家 その2
飫肥の続き。 旧山本猪平家はまだまだすごかった。 玄関から上がると座敷がいくつかあり、一番奥にトイレがあった。あっ、ここにも敷瓦が! 廊下から踏み込む個室前の廊下と、男性用小便所があったであろうブースの壁の足元に埋め込まれている。 まず男性用小便所には、玄関の床にあったのと同じ印花文の敷瓦と。見慣れない模様のタイルが2段で。...
View Article旧高橋源次郎家 その1
飫肥の続き。 旧山本猪平家から今度は旧高橋源次郎家にやってきた。国道222号に面したこの場所は実は伝建地区から 少し外れており、建物は指定文化財にはなっていないのだが、登録有形文化財になっている。 通常は山本家や飫肥城松尾の丸や豫章館などと共に7館共通で600円必要な入場料が、今回は飫肥祭りの ため無料開放されていた。ラッキー!...
View Article旧高橋源次郎家 その2
飫肥の続き。 めくるめくお風呂を見たあと、隣のドアを開けてみたら、手洗い場だった。丸窓の格子は、家紋なのだろうか? 主屋から再び前庭に戻り、今度は奥へ続く軒下の通路を進む。通路沿いには部屋があるようで、何とも 変わった造りだなぁ。。 それに通路の床がレンガ敷き。しかも六芒星の刻印レンガだ。このマークは時々見かけるがどこのだっけ・・・...
View Article服部亭(旧服部家)
飫肥の続き。 今日のランチは飫肥武家屋敷のいちばん上手の筋「横馬場」にある、服部亭にて。 ここの建物も素晴らしそうなので、見学しやすいように11時オープン早々で予約しておいたのだった。 うわ~~こんなお屋敷で食べられるってわくわくする! 門を入って正面の玄関を目指して歩いて行くが、ふと左手を見ると、おや、これは・・・擬洋風? 和館の入口にアーチ型の扉がついている。...
View Article服部亭(旧服部家) その2
飫肥の続き。 服部亭でランチを食べたあと、「2階から飫肥の街が見渡せますよ、どうぞご覧になって下さい」との 声がけを頂き、階段を上る。 おお?階段の天井がこんな。傘天井というか、くもの巣天井!?(笑)凝ってるなぁ。 2階は三方が窓でとても開放的!座敷はちょっと数寄屋風の意匠が取り入れられていた。 広いお庭と、その向こうに飫肥の城下町が広がり素晴らしい眺め!...
View Article飫肥の建物めぐり
飫肥の続き。 服部亭でランチのあとは、飫肥祭りで賑わいを増してきたまちなかを動き回って建物を見る。 飫肥祭りにあわせて「DENKEN WEEK」というのをやっていて、由緒のある建物の中で さまざまなアートが展示されていた。通常は非公開の建物も見れる絶好の機会なのだ! これは飫肥城のすぐ下にある豫章館。約1千坪の敷地内に、主屋といくつかの建物がある。...
View Article飫肥の建物めぐり 2
飫肥の続き。 商家資料館は現在メイン通りである本町通りに大きな妻壁を見せる土蔵造りの建物。元は山林業を営む豪商の家。 1983(昭和58)年の本町通り拡幅のときに移転復元したものらしい。 ここでは江戸時代の商家で使われていた道具などが展示されている。 欄間は汽車がデザインされた透かし彫りだったが、これは元からのものだろうか?復元時の作かもしれない。 こちらはレンガ車庫?...
View Article飫肥の建物めぐり 3
飫肥の続き。 飫肥城は、南九州の中世城郭の特徴的な形態をもつ広大な城であった。戦国時代は島津氏を城主としたが、 豊臣秀吉から領地を与えられた伊東祐兵以来14代にわたり飫肥藩藩主伊東家の居城として存続した。 城と城下町をつなぐのが飫肥城大手門である。 オリジナルは明治時代の始めに取り壊されたが、1978(昭和53)年に飫肥城復元事業の一環として...
View Article木心ギャラリー、のちフェリー
飫肥からの続き。 帰りは宮崎港からフェリーに乗る予定だが、1本早い列車に乗ったのでフェリーの時間まで少しある。 さてどうしようか。。。港行きのバスの乗り場と時刻を駅前で確認してから、小道さんに教えてもらった 木心ギャラリーへ行ってみることに。 宮崎駅から歩いて5~6分、整然としたまちなかにいきなりこんな洋館が現れた!自然の林のような木立に...
View Article2018.10.20~22 リベンジ、飫肥 もくじ
飫肥にすごい敷瓦があると知って、宮崎へ向かった。 飫肥は3年前に一度行ったことがあるのだが、よくばりすぎて飫肥のまちをほとんど見れなかったのだった。 今回は潔く、日曜日丸一日飫肥で過ごす予定にした。 土曜日にピーチの午後便でゆっくり宮崎IN、帰りは日曜の夜のフェリーでOUT。月曜の朝そのまま仕事へ(苦笑) 素晴らしい敷瓦には大興奮!朝っぱらから存分に堪能した~~...
View Article陶磁器試験所の講演会 今ごろ・・・
先月多治見と瀬戸へ行ったときのことを書こうと思ったら、7月に行ったときのことをまだ書いていなかった(汗)。 そしてそう言えば2月にも多治見へ行ったけどそれも書いていなかったなと。。。(爆) もう忘れかけてしまっているが・・・この際、3つ連続で書いてしまおう。 なんでこうも多治見へ何度も行ってるのかというと、モザイクタイルミュージアムで魅力的な展示やイベントが...
View Article駄知町を歩く。
多治見からの続き。 モザミューでの講演会の翌日は車を借りて土岐市の方へ行ってみるが、道の駅・どんぶり会館は朝早すぎて開いておらず・・・ すりばち館はお休み。えーっ、シーズンオフだから? ※土日祭日は予約以外は休館らしい。ええっそうなの!? 駄知町は1000年以上続く焼き物の町。美濃のあたりでは町ごとに作る商品が決まっていて住み分けして...
View Article定光寺の敷瓦
駄知町の続き。 まちなかを歩いて藤本内科医院まで来た。水色の下見板張りのかわいい洋館。 建築年は不明らしいが、どう見ても戦前だろう。素朴な木造の建物は大正期かもしれないな。 看板の文字はくっきり、窓はアルミサッシに取り替えられ、ドアの内側にかけられたカーテンも 色あせていないところを見ると、今もやっているのか?割と最近までやっていたのか? 駄知町の素敵なランドマークだ。...
View Article敷瓦のふるさと、瀬戸ツアー 今ごろ・・・
7月に、これまたモザイクタイルミュージアムの特別展「敷瓦の世界」の関連企画で瀬戸をめぐるツアーが あったので、また瀬戸へ行ってきた。 朝からバスで行くと間に合わないので、金曜日に仕事を終えてからバスで名古屋へ向かい前泊。激安の宿に 泊まったら、まるで電話ボックスのような共同シャワーでさすがに不便・・・(苦笑)...
View Article敷瓦の世界展を見に、多治見へ。
※この展示は終わっています。 瀬戸からの続き。 モザイクタイルミュージアムのある多治見の笠原は、瀬戸から車で20分ほど。 車がないと、尾張瀬戸から名鉄で瀬戸市へ行き愛知環状鉄道に乗り換えて高蔵寺へ出、JR中央本線で多治見まで 行って1時間に1本のバスに乗る・・・という超面倒なルートになってしまう。瀬戸と多治見をあわせてめぐりたい...
View Articleまたまた、瀬戸へ。
10月にまた瀬戸、多治見へ行ってきた。 今回は、日曜日にモザミューで行われる観慶丸のギャラリートークに参加するためだが、土曜日の午前中に 多治見入りし、車を借りて瀬戸へ向かう。 目指すは尾張戸神社。ここは全く非公開なのだが、とりあえず現地へ行って様子を見ようと。 この神社は東谷山の上にある。近所の人に聞いて行ける所まで車で行って、あとは歩いて登るしかない。...
View Article赤津あたりをうろつく
瀬戸の続き。 今回もまた瀬戸蔵ミュージアムへ行ってきた。台湾の三峡でもらった本業敷瓦のカケラを、寄贈してきたのだ。 うちのベランダに置いているより、資料として役立ててもらう方がいい。裏の漆喰をきれいに落としてから 届けてきたので、またそこで展示される機会があったら見に行こう~~ さてその後、モザイクタイルミュージアムの敷瓦展で見た敷瓦物件をひとつずつ見ていきたい、と、今度は...
View Articleまたまた、多治見へ。
瀬戸からの続き。 多治見へ戻り車を返したあと、まちかどの近代建築探訪MLの人たちと夕食ご一緒して楽しい夜を過ごした。 翌朝はゆっくりめに出発。午後からモザミューのギャラリートークに参加する予定なので、それまで 多治見を散策するつもり。 もう何度も多治見に来ているのになぜか今まで見たことがなかった有名物件、旧布袋湯を見に行く。 路地を入ったこんなすぐのところにあったなんて。木造3階建の大きな建物。...
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