飫肥の続き。
服部亭でランチのあとは、飫肥祭りで賑わいを増してきたまちなかを動き回って建物を見る。
飫肥祭りにあわせて「DENKEN WEEK」というのをやっていて、由緒のある建物の中で
さまざまなアートが展示されていた。通常は非公開の建物も見れる絶好の機会なのだ!
これは飫肥城のすぐ下にある豫章館。約1千坪の敷地内に、主屋といくつかの建物がある。
1869(明治2)年に第14代飫肥藩主だった伊東祐帰が知藩事に任命され、城内から移り住んだ屋敷。
建物も城内にあったものを移築したらしい。
玄関からは上がれず、ぐるりと周囲をめぐって座敷を見る。ここでは生け花の展示をやっていた。
ちょっと変わった床の間。奥まったところにある書院は、実際に座って読み書きしていたような雰囲気で
実用的な造り。
こちらは伊東祐正家。豫章館の向かいにある小村記念館の敷地内に建つ。いや、伊東家の敷地内に小村記念館が
建てられたのだ。こちらの伊東家は藩主である伊東家の分家だったという。
今は空き家で公開はしていない。じっと修復を待つ。
こちらは、まち全体が美しい石垣に縁取られている飫肥城下にあって最も美しいと言われる切石積みの石垣をもつ
小鹿倉家。通常は非公開の建物だろうが、今回は焼き物作家による作品の展示が行われていた。
この美しさ。。。
規則的なようでランダムな飫肥石の石垣。
主屋は藩医の壱岐宗淳が1879(明治12)年に建てたもの。上がってみよう。
作品もよかったのだがやっぱり建物に目は行く。
書院の欄間が独特!!繭型の中に波頭と鴨とオモダカ。何かストーリーが隠れているのだろうか。。
立派な透かし彫りの欄間。松の木が軽快に図案化されていて素敵だな。
こちらの部屋は壁が赤い!!
この部屋だけ天井も低く、ちょっと秘密めいた隠れ家的な雰囲気。茶室だったのか、書斎だったのか。。。
小さい規模ながら見どころが多かった小鹿倉家。見れてラッキーだったな!
こちらはギャラリーこだまの裏手にある蔵には漆喰のレリーフがあった。鯉の滝上り。
窓には菊の花もあった。
ここでは金魚すくいやらフランクフルトの屋台が出ていて蔵全体は撮れず(苦笑)
続く。
服部亭でランチのあとは、飫肥祭りで賑わいを増してきたまちなかを動き回って建物を見る。
飫肥祭りにあわせて「DENKEN WEEK」というのをやっていて、由緒のある建物の中で
さまざまなアートが展示されていた。通常は非公開の建物も見れる絶好の機会なのだ!
これは飫肥城のすぐ下にある豫章館。約1千坪の敷地内に、主屋といくつかの建物がある。
1869(明治2)年に第14代飫肥藩主だった伊東祐帰が知藩事に任命され、城内から移り住んだ屋敷。
建物も城内にあったものを移築したらしい。
玄関からは上がれず、ぐるりと周囲をめぐって座敷を見る。ここでは生け花の展示をやっていた。
ちょっと変わった床の間。奥まったところにある書院は、実際に座って読み書きしていたような雰囲気で
実用的な造り。
こちらは伊東祐正家。豫章館の向かいにある小村記念館の敷地内に建つ。いや、伊東家の敷地内に小村記念館が
建てられたのだ。こちらの伊東家は藩主である伊東家の分家だったという。
今は空き家で公開はしていない。じっと修復を待つ。
こちらは、まち全体が美しい石垣に縁取られている飫肥城下にあって最も美しいと言われる切石積みの石垣をもつ
小鹿倉家。通常は非公開の建物だろうが、今回は焼き物作家による作品の展示が行われていた。
この美しさ。。。
規則的なようでランダムな飫肥石の石垣。
主屋は藩医の壱岐宗淳が1879(明治12)年に建てたもの。上がってみよう。
作品もよかったのだがやっぱり建物に目は行く。
書院の欄間が独特!!繭型の中に波頭と鴨とオモダカ。何かストーリーが隠れているのだろうか。。
立派な透かし彫りの欄間。松の木が軽快に図案化されていて素敵だな。
こちらの部屋は壁が赤い!!
この部屋だけ天井も低く、ちょっと秘密めいた隠れ家的な雰囲気。茶室だったのか、書斎だったのか。。。
小さい規模ながら見どころが多かった小鹿倉家。見れてラッキーだったな!
こちらはギャラリーこだまの裏手にある蔵には漆喰のレリーフがあった。鯉の滝上り。
窓には菊の花もあった。
ここでは金魚すくいやらフランクフルトの屋台が出ていて蔵全体は撮れず(苦笑)
続く。