駄知町の続き。
まちなかを歩いて藤本内科医院まで来た。水色の下見板張りのかわいい洋館。
建築年は不明らしいが、どう見ても戦前だろう。素朴な木造の建物は大正期かもしれないな。
看板の文字はくっきり、窓はアルミサッシに取り替えられ、ドアの内側にかけられたカーテンも
色あせていないところを見ると、今もやっているのか?割と最近までやっていたのか?
駄知町の素敵なランドマークだ。
木は剪定した方がいいかも(笑)
しかし、、、長者町という名もちょっと哀れを誘う、今の駄知町。
これは駄知商業協同組合の建物。基壇部はコンクリート巻き、腰から上は全面タイル貼り。
左右対称の総2階建ては実直な事務所建築という印象。接道した2面に、同じ大きさ・形の入口が
2ヶ所ずつ、計4ヶ所もあるのが面白い。どこがメインでもなくどちらが正面でもない。
どのような使われ方をしていたのだろう。
入口まわりだけえび茶色の小口タイルを縦貼りにした太い額縁で囲み強調している。
これは戦後建築にも見えるがもっと古いのだろうか。ひし形のレリーフなど見ると昭和戦前かもしれない。
覗いてみたが今は使われていないようだ。木造の階段が。これはやっぱりだいぶ古そう。。。
足元には布目タイルが使われているのも見えた。
こちらもいい感じ。(有)丸高商店、の表札が出ていた。ここも陶器商だったのだろう。
素敵な建物がたくさん残っているのでうまく生かせば魅力あるまちになりそう。
駄知のまちはまだまだ広範囲に広がっているが、残りはまた今度。午後はまた別のところへ行くのだ。
さてこちら、前々から来たいと思っていた定光寺。ここも禅寺だ。JR中央線の定光寺駅からも
歩けるらしいが、、、車がないとなかなか行きにくいので、今回は是非にとやって来たのだ。
ここには黎明期の本業敷瓦が使われており、本ではよく見るが、是非この目で見たい。
敷瓦のある拝殿はこの奥の有料エリアにある。思い焦がれていた敷瓦にやっと会えるのだと、
どきどきしながら・・・荘厳な雰囲気の石段を上っていく。
銅板でできた瓦が載った箱型の門は「竜の門」。シャチが載っているが日本離れした風変わりな形。
源敬公(徳川義直)廟は陳元ピンという帰化明人が設計したと言われる。
その両脇の築地塀には小口に織部釉のかかった瓦が積まれている。敷瓦よりも薄く、このように塀に
使うために作られたものと思われる。これも古いものだ。
そしてこちらが拝殿(焼香殿)の敷瓦。おぉ~~っ、これが!!
源敬公廟は1952(承応元)年に建てられ、施釉された敷瓦が使われている最古の現存建物だとか。
瀬戸市内の穴田古窯跡からこれと同じ敷瓦が出土しており、製作地が明確になっている例としても
貴重である。
この敷瓦は濃い鉄釉をかけた上に薄い鉄釉で唐草模様を手描きしたものという。
しかし・・・足を踏み入れられないばかりか、覗き込むのもひと苦労、、、さらにアクリル板に
阻まれているので反射を避けて写真を撮るのは至難の業(汗)。手描きの唐草模様をよく見たいのに、
全く近寄ることができないのだ。まるで禁断の恋(笑)
宝蔵には同じ唐草模様の志野釉バージョンが敷かれているという。そちらは見なかったなぁ~
貴重なのは分かるがもう少し敷居を低くして、宝蔵もご開帳してほしいな。
その後、前にも行ったスワンタイルカフェへ行ってお茶をしてから車を返し、帰途についた。
多治見駅改札前の陶壁画。
2月の美濃~瀬戸終わり。
まちなかを歩いて藤本内科医院まで来た。水色の下見板張りのかわいい洋館。
建築年は不明らしいが、どう見ても戦前だろう。素朴な木造の建物は大正期かもしれないな。
看板の文字はくっきり、窓はアルミサッシに取り替えられ、ドアの内側にかけられたカーテンも
色あせていないところを見ると、今もやっているのか?割と最近までやっていたのか?
駄知町の素敵なランドマークだ。
木は剪定した方がいいかも(笑)
しかし、、、長者町という名もちょっと哀れを誘う、今の駄知町。
これは駄知商業協同組合の建物。基壇部はコンクリート巻き、腰から上は全面タイル貼り。
左右対称の総2階建ては実直な事務所建築という印象。接道した2面に、同じ大きさ・形の入口が
2ヶ所ずつ、計4ヶ所もあるのが面白い。どこがメインでもなくどちらが正面でもない。
どのような使われ方をしていたのだろう。
入口まわりだけえび茶色の小口タイルを縦貼りにした太い額縁で囲み強調している。
これは戦後建築にも見えるがもっと古いのだろうか。ひし形のレリーフなど見ると昭和戦前かもしれない。
覗いてみたが今は使われていないようだ。木造の階段が。これはやっぱりだいぶ古そう。。。
足元には布目タイルが使われているのも見えた。
こちらもいい感じ。(有)丸高商店、の表札が出ていた。ここも陶器商だったのだろう。
素敵な建物がたくさん残っているのでうまく生かせば魅力あるまちになりそう。
駄知のまちはまだまだ広範囲に広がっているが、残りはまた今度。午後はまた別のところへ行くのだ。
さてこちら、前々から来たいと思っていた定光寺。ここも禅寺だ。JR中央線の定光寺駅からも
歩けるらしいが、、、車がないとなかなか行きにくいので、今回は是非にとやって来たのだ。
ここには黎明期の本業敷瓦が使われており、本ではよく見るが、是非この目で見たい。
敷瓦のある拝殿はこの奥の有料エリアにある。思い焦がれていた敷瓦にやっと会えるのだと、
どきどきしながら・・・荘厳な雰囲気の石段を上っていく。
銅板でできた瓦が載った箱型の門は「竜の門」。シャチが載っているが日本離れした風変わりな形。
源敬公(徳川義直)廟は陳元ピンという帰化明人が設計したと言われる。
その両脇の築地塀には小口に織部釉のかかった瓦が積まれている。敷瓦よりも薄く、このように塀に
使うために作られたものと思われる。これも古いものだ。
そしてこちらが拝殿(焼香殿)の敷瓦。おぉ~~っ、これが!!
源敬公廟は1952(承応元)年に建てられ、施釉された敷瓦が使われている最古の現存建物だとか。
瀬戸市内の穴田古窯跡からこれと同じ敷瓦が出土しており、製作地が明確になっている例としても
貴重である。
この敷瓦は濃い鉄釉をかけた上に薄い鉄釉で唐草模様を手描きしたものという。
しかし・・・足を踏み入れられないばかりか、覗き込むのもひと苦労、、、さらにアクリル板に
阻まれているので反射を避けて写真を撮るのは至難の業(汗)。手描きの唐草模様をよく見たいのに、
全く近寄ることができないのだ。まるで禁断の恋(笑)
宝蔵には同じ唐草模様の志野釉バージョンが敷かれているという。そちらは見なかったなぁ~
貴重なのは分かるがもう少し敷居を低くして、宝蔵もご開帳してほしいな。
その後、前にも行ったスワンタイルカフェへ行ってお茶をしてから車を返し、帰途についた。
多治見駅改札前の陶壁画。
2月の美濃~瀬戸終わり。