飫肥の続き。
飫肥には3年前にも来たことがあるのだが、前回はレンタカーを借りて坂元の棚田と油津まで足をのばし、日南駅まで
寄り道してしまったおかげで飫肥に戻ってきたときはすでに夕方。。。どこもここも閉まっており、駆け足で
いくつかの建物の外観や石垣を見て回ったのみだった。
今回は飫肥駅から歩いて町並み保存地区へ向かう。今日はちょうど飫肥祭りがあると聞いていたが、さすがにまだ
8時過ぎでは観光客はいない。建物を見るにはもちろん人が少ない方がいいので、早起きしてやって来たのだ。
しかし目当ての建物は9時からでないと開かないので、今のうちに外観見学のみの建物を回っておこう。
滞在時間が限られているので効率よく回らねば!
まずは旧飯田医院へ。おぉ、背が高い!平面の面積は比較的小さいので、2階建てでも縦長に見える。
両側の屋根がぴょこんと耳のように立ち上がった、ハーフティンバーのかわいい洋館。
広い敷地は、元は手入れされたお庭だったのだろうと想像するが、今は整理されていて見通しよく、
正面から、横から、後ろから、眺められる。
裏側に出っ張ったところはトイレだろうか。
正面の壁はうろこ型の天然スレートで覆われている。
天然スレート貼りの壁というのはやはり何か凄みを感じるなぁ!
医院らしい小さなアーチ型の窓口がついていた。
次に、鳥居下公民館。交差点に面して建つ洋館は遠くからでも人の目を引きつける。
角に面した入口は少し出っ張っていて、屋根は小さな切妻を見せる。2階にはそれに呼応する三角形の
ペディメント付の縦長窓があり、その両脇の壁はそこだけグレーのスタッコ風になっている。
それ以外の外壁は下見板貼りなのだが、入口の両脇の壁が曲面になっているのが見もの!
がんばって曲げた感が。
長々と続く苔むした飫肥石の石垣を愛でながら坂道を登り、振徳堂を見に行こう。。
あの長屋門が振徳堂の入口か。
そして、、、あっ、もう開いているな、ラッキー!
振徳堂は、1831(天保2)年に飫肥藩第13代藩主伊東祐相が開いた藩校で、小村寿太郎などを輩出した。
平屋建ての建物はいかにも学問所という雰囲気。高床で開放的な造りは南国らしく、とても涼しそう。
誰もおらず、ぐるっと回って悠々と見学。坂の上までもう一度来るのは億劫だったので一度で見れてよかった。
さてここから飫肥城の方へ横移動。高台に武家屋敷が並んでいた町並みがそのままに残っている。
小村寿太郎の生家を移築したという建物も。今日はお祭りなのでこれらの武家屋敷のいくつかはカフェや
ギャラリーとして開放するようだが、まだ準備中だな。
このあたりの建物は内部も見応えがあるのかどうか分からないが、後で時間があれば見てみよう。
この石垣の石が素敵だなぁ。飫肥石は九州南部一帯に見られる溶結凝灰岩で、堆積した火砕流堆積物=シラスが
凝縮してできた石なのだとか。
石肌にはノミを叩きつけた模様がくっきり。100年も前の石工の手の跡。どんな人が叩いたのだろうか・・・
あっ、あれは、敷瓦か!?近寄って見ると、、、ん??何だこれは。
タイルでもないし。コンクリート製のプレートかな?何かの余りモノ転用のようだ。
こうやって並べて貼るとなんだか立派にタイルに見えてくるから面白いな!
続く。
飫肥には3年前にも来たことがあるのだが、前回はレンタカーを借りて坂元の棚田と油津まで足をのばし、日南駅まで
寄り道してしまったおかげで飫肥に戻ってきたときはすでに夕方。。。どこもここも閉まっており、駆け足で
いくつかの建物の外観や石垣を見て回ったのみだった。
今回は飫肥駅から歩いて町並み保存地区へ向かう。今日はちょうど飫肥祭りがあると聞いていたが、さすがにまだ
8時過ぎでは観光客はいない。建物を見るにはもちろん人が少ない方がいいので、早起きしてやって来たのだ。
しかし目当ての建物は9時からでないと開かないので、今のうちに外観見学のみの建物を回っておこう。
滞在時間が限られているので効率よく回らねば!
まずは旧飯田医院へ。おぉ、背が高い!平面の面積は比較的小さいので、2階建てでも縦長に見える。
両側の屋根がぴょこんと耳のように立ち上がった、ハーフティンバーのかわいい洋館。
広い敷地は、元は手入れされたお庭だったのだろうと想像するが、今は整理されていて見通しよく、
正面から、横から、後ろから、眺められる。
裏側に出っ張ったところはトイレだろうか。
正面の壁はうろこ型の天然スレートで覆われている。
天然スレート貼りの壁というのはやはり何か凄みを感じるなぁ!
医院らしい小さなアーチ型の窓口がついていた。
次に、鳥居下公民館。交差点に面して建つ洋館は遠くからでも人の目を引きつける。
角に面した入口は少し出っ張っていて、屋根は小さな切妻を見せる。2階にはそれに呼応する三角形の
ペディメント付の縦長窓があり、その両脇の壁はそこだけグレーのスタッコ風になっている。
それ以外の外壁は下見板貼りなのだが、入口の両脇の壁が曲面になっているのが見もの!
がんばって曲げた感が。
長々と続く苔むした飫肥石の石垣を愛でながら坂道を登り、振徳堂を見に行こう。。
あの長屋門が振徳堂の入口か。
そして、、、あっ、もう開いているな、ラッキー!
振徳堂は、1831(天保2)年に飫肥藩第13代藩主伊東祐相が開いた藩校で、小村寿太郎などを輩出した。
平屋建ての建物はいかにも学問所という雰囲気。高床で開放的な造りは南国らしく、とても涼しそう。
誰もおらず、ぐるっと回って悠々と見学。坂の上までもう一度来るのは億劫だったので一度で見れてよかった。
さてここから飫肥城の方へ横移動。高台に武家屋敷が並んでいた町並みがそのままに残っている。
小村寿太郎の生家を移築したという建物も。今日はお祭りなのでこれらの武家屋敷のいくつかはカフェや
ギャラリーとして開放するようだが、まだ準備中だな。
このあたりの建物は内部も見応えがあるのかどうか分からないが、後で時間があれば見てみよう。
この石垣の石が素敵だなぁ。飫肥石は九州南部一帯に見られる溶結凝灰岩で、堆積した火砕流堆積物=シラスが
凝縮してできた石なのだとか。
石肌にはノミを叩きつけた模様がくっきり。100年も前の石工の手の跡。どんな人が叩いたのだろうか・・・
あっ、あれは、敷瓦か!?近寄って見ると、、、ん??何だこれは。
タイルでもないし。コンクリート製のプレートかな?何かの余りモノ転用のようだ。
こうやって並べて貼るとなんだか立派にタイルに見えてくるから面白いな!
続く。