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Channel: まちかど逍遥
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またまた、瀬戸へ。

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10月にまた瀬戸、多治見へ行ってきた。
今回は、日曜日にモザミューで行われる観慶丸のギャラリートークに参加するためだが、土曜日の午前中に
多治見入りし、車を借りて瀬戸へ向かう。
目指すは尾張戸神社。ここは全く非公開なのだが、とりあえず現地へ行って様子を見ようと。
この神社は東谷山の上にある。近所の人に聞いて行ける所まで車で行って、あとは歩いて登るしかない。
降り出した雨の中山道を歩き出すが、なかなかたどり着かない。ゼイゼイ、これは本格的な登山だな・・・(笑)
20分ほど登っただろうか、ようやく頂上が見えてきた。

下界から隔離された山の上に、小さな社殿があった。るり釉の扁額が掛かっていたが、敷瓦は見当たらない。
社殿の後ろが小高くなっているのは古墳で、敷瓦はその古墳の上に敷き詰められているという。
窯業関係者が参るたびに奉納したのだろうか。
しかし厳重に閉ざされていてまったく見えないのだ。どこか隙間から覗きこんで見えないのかと
思ったが全く無理(苦)。あぁ残念。
今年のGWに一度だけ一般公開されたらしいが、私はシンガポールへタイル旅に行っていたので見にいけなかったのだ。
あぁ、見たいなぁ~~また公開があるかな。。。

下山して、さっき通り過ぎた定光寺駅を見に行く。雨は止んで日が差してきた。
中央本線に乗ったときに狭いホーム越しにはるか下を流れる川を見て、すごいところに駅があるものだなぁと
興味を惹かれていたが、川向こうに見た定光寺駅は本当にホーム全体が崖から張り出して作られている!!
急峻な断崖をわずかに削り取ったところに線路を敷き、空中に駅を作った、あぁ涙ぐましい工事。


崖下にももちろん平地はほとんどなく、細い道路が一本と、川を背にした建物が一列並ぶだけである。
しかし・・・土岐川を渡るこの橋の立派さはどうだろうか!?


優美で力強いコンクリートアーチ!「城嶺橋」と彫られた八角柱の親柱の上には行灯型の照明が載り、
中央の橋脚の上にも灯籠のような照明柱が立つ。


中央部がわずかにふくらんだ形状も風格ありまくり。川の向こうに何があるっていうのか!?
定光寺駅の他には、廃墟の旅館のみ。この城嶺橋の立派さは不釣合いにも思える。。。

昔はこのあたり玉野川渓谷は旅館や土産物屋が立ち並ぶ賑やかな観光地だったそうで、定光寺駅からの観光客を
迎える華やいだ雰囲気の橋が造られたのだろう。この橋は1937(昭和12)年竣工の3代目。


廃墟と化して久しい千歳楼。


ここにもアーチが。


この上が定光寺駅。あまり時間もなかったので上へは上がらず。


定光寺駅を真上に見上げるとその異様さが分かる。。。


次回は中央本線に乗ってこの駅で降りてみよう。


また車を走らせ瀬戸のまちなかへ。何度か瀬戸に来ているがまだ行けていなかった窯神神社を訪れる。
ここは、磁祖と呼ばれる加藤民吉を祀った神社。1804年に九州へ磁器製法を学びに出、瀬戸の磁器生産の
礎を築いた、実在の人物である。ちなみに、「磁祖」加藤民吉と並び称される「陶祖」加藤藤四郎は、伝記は
記されているものの存在の裏づけはないのだとか。


タイル敷きのスペースに面して社殿がある。


なんとも奇妙な形!?と思ったら、これは窯を模してあるのだな。


うわ~~なんと斬新な造形だろうか!


自由すぎる。誰の作だろう??ウィキペディアを見ると、「当時の瀬戸市長・加藤章の発案」により
1964(昭和39)年に再建されたものとか。


これも一種の敷き瓦だな。


瀬戸のグランドキャニオン!?陶土珪砂採掘場がここからちらりと見える。陶土の副産物である珪砂は昔は
捨てられていたが、見直されて販売されるようになったと、前回の瀬戸ツアーで服部館長が言われていた。


あっ、これも窯を模してあるのか!


山を下りる途中、花壇の土留めに転用された焼き物を発見。これは陶枕かな?


こちらは花瓶かな?面白いなぁ~~


窯垣だけではない、これもまた瀬戸の文化的景観である。


続く。

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