日光の続き。
金谷ホテルのガイドツアーで、金谷ホテルの前身とも言える金谷家の旧宅が残っていると聞いた。
代々東照宮雅楽の楽人として笙を担当していた金谷家は1800(寛政12)年頃から、
東照宮より拝領した屋敷に住んでおり、1870(明治3)年にアメリカ人のヘボン博士が日光を
訪れたときに自宅に泊めたことが縁で、金谷善一郎はこの建物を改造して金谷カテッジ・インという
外国人向けの宿泊施設として開業した。
20年間ここで外国人専用の宿泊施設として営業したのち、現在の金谷ホテルをオープンしたのである。
しかしそんな古い建物がちゃんとした形で残ってはいないだろう、復元建物かあるいはきれいに
改修された資料室ぐらい、とにかく単に記念碑的なものだろうと高をくくっていたのだが、、、
田母沢御用邸の向かいにあったこの建物を通りすがりに見てみると、意外にも魅力的な外観で残って
いるじゃないの。
しかし内部がどんなものかわからないな。400円の入場料の値打ちがあるか、まだ半信半疑ながら、、、
まぁ入ってみるか。
結果的に、これがすごく面白かったのだ!
隣接のベーカリーでお金を払ってコインをもらい、無人の自動ゲートに入れると開く仕組みが面白い。
蔵と主屋が残っていて、主屋の裏口から入ると案内係の方が説明をしてくれるという。
しかし建物内部の写真撮影はダメなのは残念!なので外観と窓の外に向けて撮った写真だけである(涙)
さて、台所から見学スタート。ここには当時土間で、川が建物内まで入って流れていたというのでびっくり!
滋賀県の新旭町の針江地区で見た「かばた」のようなもので、野菜や器を洗うなど便利に使えたという。
ただ、やはり湿気のために建物の柱の基部が腐り、修復時にすべてやりかえたとか。
その先には吹き抜けの囲炉裏の間。そこに面した目立たない板戸を開けると、中2階へ上がる階段が出現。
へぇ~、隠し階段かぁ、忍者屋敷みたいだな!
この建物は、鎌倉時代の武家屋敷の形態をとっており、敵に襲われたときに逃げやすく、敵が乗り込み
にくい造りになっているのだ。他にも数々の工夫が見られる。
その先が玄関に面した「寄り付きの間」。ここも天井が低いのは敵が刀を上段に構えられないように。
玄関には笹りんどうの家紋の釘隠しが。
金谷カテッジ・インは外国人客から「金谷侍屋敷」とも呼ばれていた。
サムライハウスって・・・今聞くとちょっとテーマパーク的でミーハーなイメージが・・・(笑)
庭に面した廊下を進むと右手に、客人を接待するための書院造の和室。
この部屋の奥の戸をあけると、何と、さっきの隠し階段とつながっていた!おぉ~
廊下をさらに進むと、明治20年に増築された棟に入る。そこにも階段があるのだが、これまた不思議。
壁に向かって左右両方に上り階段があって、右は本当に2階へ上がれるのだが、曲がり階段に
なっている左側は途中でふさがれている。しかし、ふさがれていなかったとしてもこの角度で上ると
どう考えても2階の廊下につながらないのだ。
ガイドさん曰く、追手を惑わすためのフェイク階段だったのではないかと言われているそう。
玄関脇の表階段へ戻って2階へ上がり、表側の廊下を進むとまず6畳のこじんまりした和室が。
部屋の奥に小さな地袋のような戸があり、それを開けると、、、何と、さっきの囲炉裏の間の
吹き抜けに面しているのだった!囲炉裏の暖気を取り入れたり、いざという時はここから飛び降りて
逃げることができるという。
次の8畳の間からも、またさっきの中2階の部屋へとつながっている。
屋久杉の天井の廊下を進み明治の棟に入ると、さっきのフェイクじゃない方の階段とつながっていた。
階段の降り口には扉があり閉めてしまうこともできる。
廊下や座敷には美しい杉戸絵が何枚も飾られているが、これは金谷ホテルを改装したときに
不用となった建具を衝立や額に加工したものだそうだ。
建物の裏側の廊下へ回り庭を見下ろすと。裏山から流れる清水が小さな池を作っている。
廊下の続きの階段を数段下りると、隠し部屋のような不思議な中2階の和室があった。
邸内各部屋からの逃げ込みルートとなっているこの部屋だが、とても居心地がよさそうな部屋だ。
そこには床にお釜が直接埋め込まれた形のこたつがあった。ユニークだな!
その部屋へは入ることができないため廊下から覗くのみ。廊下を回りこんで進むと、台所へ下りてきた。
今は休憩コーナーになっている台所の奥のスペースは、土間の作業場であったが、低い天井の中央には何と、
中2階の部屋の中央に埋め込まれていたお釜の丸いお尻が露出しているじゃないの!?
寒い土間で水作業をしている途中に、お釜のお尻に手を近づけて暖をとっていたとか。へぇ~~!!
トイレはまた別の階段を半階上がったところにあり(改装済み)、お風呂は五右衛門風呂が裏口の脇に。
こんなスキップフロアのような造りはもとの地形によると思われ、それをうまく利用して抜け道や
隠し部屋が作られたのだろう。いや~、面白い。
写真はダメでも細かく解説を聞きながらこれだけつぶさに見られるのだから、入って正解!!
しかしよくこれだけきれいに残っているものだなぁと思って聞けば、管理人家族がずっと
住み続けていたのだそうで、人の家だから変な改造もすることなくそのままの状態で保たれたと
いうのが実際のようだ。但しかなり傷みは激しく、大掛かりな改修工事が必要だったようだが、
内部はまるで改修などしていないかのような自然な仕上がり。素晴らしい!
改修を経てここが一般公開されたのはつい2年前のことという。
この日本の古い武家屋敷に泊まる体験やそこでのもてなしは当時の外国人にとって日光滞在の大きな
魅力だったに違いなく、彼らがその素晴らしさを自国で紹介したことで日光の知名度も上がり、
世界から客が集まる観光地としての地位を築き上げたのだ。
現在の日光金谷ホテルのホスピタリティの原点である、金谷カテッジ・イン。金谷ホテルに泊まったら
必ずここも見学することをお勧めする。あぁ~入ってよかった!
さてもう帰途につかねば。。。車を走らせたところで、ゴツイ石造りの教会が眼に入る。
あぁ、、、真光教会、最後にここだけ見ておこう。
ガーディナーによる設計の日本聖公会日光真光教会は1914(大正3)年築。
これは大谷石ではなく安山岩だということで、荒肌を見せた濃い色の石造の外観は迫力がある。
丸窓やバラ窓、ステンドグラスもあるようだな。
ちょっと中にも入ってみよう。
おぉ・・・急勾配の屋根の形そのままの高い天井にトラスとアーチを組み合わせた木製の梁が並ぶ。
よろいをまとったような外観からは想像できないほど内部は明るい。それは壁の色のおかげでもあるだろう。
後から調べたところ、内壁には鹿沼石が貼られているという話であるが、コンクリートボードのようだなと
思って見ていた白っぽいパネル、あれが鹿沼石なのか?
鹿沼土という園芸用で使う軽い小石は知っているが、鹿沼石とはあれの大きなかたまりなのだろうか!?
そうだとしたら、建築に使われるなんて聞いたことがなかった。
後ろの壁には外から見えていた大きな尖塔アーチ窓。ステンドグラスが美しい!!
外側には保護のためかアクリルパネルが取り付けられているようなので、こんなステンドグラスが
あるとは、外から見ただけでは分からないだろう。やっぱり中に入ると印象が全然違う。
そして丸窓にもステンドグラスがはまっていた。平和の象徴、ハト柄?いずれも淡く優しい色あい。
静かな聖堂の中、椅子に座って天井を見上げしばし心を平静にしたあと、少しばかりの小銭を寄付箱に入れて
教会を後にした。
続く。
金谷ホテルのガイドツアーで、金谷ホテルの前身とも言える金谷家の旧宅が残っていると聞いた。
代々東照宮雅楽の楽人として笙を担当していた金谷家は1800(寛政12)年頃から、
東照宮より拝領した屋敷に住んでおり、1870(明治3)年にアメリカ人のヘボン博士が日光を
訪れたときに自宅に泊めたことが縁で、金谷善一郎はこの建物を改造して金谷カテッジ・インという
外国人向けの宿泊施設として開業した。
20年間ここで外国人専用の宿泊施設として営業したのち、現在の金谷ホテルをオープンしたのである。
しかしそんな古い建物がちゃんとした形で残ってはいないだろう、復元建物かあるいはきれいに
改修された資料室ぐらい、とにかく単に記念碑的なものだろうと高をくくっていたのだが、、、
田母沢御用邸の向かいにあったこの建物を通りすがりに見てみると、意外にも魅力的な外観で残って
いるじゃないの。
しかし内部がどんなものかわからないな。400円の入場料の値打ちがあるか、まだ半信半疑ながら、、、
まぁ入ってみるか。
結果的に、これがすごく面白かったのだ!
隣接のベーカリーでお金を払ってコインをもらい、無人の自動ゲートに入れると開く仕組みが面白い。
蔵と主屋が残っていて、主屋の裏口から入ると案内係の方が説明をしてくれるという。
しかし建物内部の写真撮影はダメなのは残念!なので外観と窓の外に向けて撮った写真だけである(涙)
さて、台所から見学スタート。ここには当時土間で、川が建物内まで入って流れていたというのでびっくり!
滋賀県の新旭町の針江地区で見た「かばた」のようなもので、野菜や器を洗うなど便利に使えたという。
ただ、やはり湿気のために建物の柱の基部が腐り、修復時にすべてやりかえたとか。
その先には吹き抜けの囲炉裏の間。そこに面した目立たない板戸を開けると、中2階へ上がる階段が出現。
へぇ~、隠し階段かぁ、忍者屋敷みたいだな!
この建物は、鎌倉時代の武家屋敷の形態をとっており、敵に襲われたときに逃げやすく、敵が乗り込み
にくい造りになっているのだ。他にも数々の工夫が見られる。
その先が玄関に面した「寄り付きの間」。ここも天井が低いのは敵が刀を上段に構えられないように。
玄関には笹りんどうの家紋の釘隠しが。
金谷カテッジ・インは外国人客から「金谷侍屋敷」とも呼ばれていた。
サムライハウスって・・・今聞くとちょっとテーマパーク的でミーハーなイメージが・・・(笑)
庭に面した廊下を進むと右手に、客人を接待するための書院造の和室。
この部屋の奥の戸をあけると、何と、さっきの隠し階段とつながっていた!おぉ~
廊下をさらに進むと、明治20年に増築された棟に入る。そこにも階段があるのだが、これまた不思議。
壁に向かって左右両方に上り階段があって、右は本当に2階へ上がれるのだが、曲がり階段に
なっている左側は途中でふさがれている。しかし、ふさがれていなかったとしてもこの角度で上ると
どう考えても2階の廊下につながらないのだ。
ガイドさん曰く、追手を惑わすためのフェイク階段だったのではないかと言われているそう。
玄関脇の表階段へ戻って2階へ上がり、表側の廊下を進むとまず6畳のこじんまりした和室が。
部屋の奥に小さな地袋のような戸があり、それを開けると、、、何と、さっきの囲炉裏の間の
吹き抜けに面しているのだった!囲炉裏の暖気を取り入れたり、いざという時はここから飛び降りて
逃げることができるという。
次の8畳の間からも、またさっきの中2階の部屋へとつながっている。
屋久杉の天井の廊下を進み明治の棟に入ると、さっきのフェイクじゃない方の階段とつながっていた。
階段の降り口には扉があり閉めてしまうこともできる。
廊下や座敷には美しい杉戸絵が何枚も飾られているが、これは金谷ホテルを改装したときに
不用となった建具を衝立や額に加工したものだそうだ。
建物の裏側の廊下へ回り庭を見下ろすと。裏山から流れる清水が小さな池を作っている。
廊下の続きの階段を数段下りると、隠し部屋のような不思議な中2階の和室があった。
邸内各部屋からの逃げ込みルートとなっているこの部屋だが、とても居心地がよさそうな部屋だ。
そこには床にお釜が直接埋め込まれた形のこたつがあった。ユニークだな!
その部屋へは入ることができないため廊下から覗くのみ。廊下を回りこんで進むと、台所へ下りてきた。
今は休憩コーナーになっている台所の奥のスペースは、土間の作業場であったが、低い天井の中央には何と、
中2階の部屋の中央に埋め込まれていたお釜の丸いお尻が露出しているじゃないの!?
寒い土間で水作業をしている途中に、お釜のお尻に手を近づけて暖をとっていたとか。へぇ~~!!
トイレはまた別の階段を半階上がったところにあり(改装済み)、お風呂は五右衛門風呂が裏口の脇に。
こんなスキップフロアのような造りはもとの地形によると思われ、それをうまく利用して抜け道や
隠し部屋が作られたのだろう。いや~、面白い。
写真はダメでも細かく解説を聞きながらこれだけつぶさに見られるのだから、入って正解!!
しかしよくこれだけきれいに残っているものだなぁと思って聞けば、管理人家族がずっと
住み続けていたのだそうで、人の家だから変な改造もすることなくそのままの状態で保たれたと
いうのが実際のようだ。但しかなり傷みは激しく、大掛かりな改修工事が必要だったようだが、
内部はまるで改修などしていないかのような自然な仕上がり。素晴らしい!
改修を経てここが一般公開されたのはつい2年前のことという。
この日本の古い武家屋敷に泊まる体験やそこでのもてなしは当時の外国人にとって日光滞在の大きな
魅力だったに違いなく、彼らがその素晴らしさを自国で紹介したことで日光の知名度も上がり、
世界から客が集まる観光地としての地位を築き上げたのだ。
現在の日光金谷ホテルのホスピタリティの原点である、金谷カテッジ・イン。金谷ホテルに泊まったら
必ずここも見学することをお勧めする。あぁ~入ってよかった!
さてもう帰途につかねば。。。車を走らせたところで、ゴツイ石造りの教会が眼に入る。
あぁ、、、真光教会、最後にここだけ見ておこう。
ガーディナーによる設計の日本聖公会日光真光教会は1914(大正3)年築。
これは大谷石ではなく安山岩だということで、荒肌を見せた濃い色の石造の外観は迫力がある。
丸窓やバラ窓、ステンドグラスもあるようだな。
ちょっと中にも入ってみよう。
おぉ・・・急勾配の屋根の形そのままの高い天井にトラスとアーチを組み合わせた木製の梁が並ぶ。
よろいをまとったような外観からは想像できないほど内部は明るい。それは壁の色のおかげでもあるだろう。
後から調べたところ、内壁には鹿沼石が貼られているという話であるが、コンクリートボードのようだなと
思って見ていた白っぽいパネル、あれが鹿沼石なのか?
鹿沼土という園芸用で使う軽い小石は知っているが、鹿沼石とはあれの大きなかたまりなのだろうか!?
そうだとしたら、建築に使われるなんて聞いたことがなかった。
後ろの壁には外から見えていた大きな尖塔アーチ窓。ステンドグラスが美しい!!
外側には保護のためかアクリルパネルが取り付けられているようなので、こんなステンドグラスが
あるとは、外から見ただけでは分からないだろう。やっぱり中に入ると印象が全然違う。
そして丸窓にもステンドグラスがはまっていた。平和の象徴、ハト柄?いずれも淡く優しい色あい。
静かな聖堂の中、椅子に座って天井を見上げしばし心を平静にしたあと、少しばかりの小銭を寄付箱に入れて
教会を後にした。
続く。