日光の続き。
日光金谷ホテルから建築を見ながら駅までのメインストリートを下っていく。
日光にはJRと東武の2つの駅があるが、金谷ホテルや東照宮までは駅から2kmほど離れていて、
観光客は駅前からバスに乗るのが一般的だろう。
日光市総合支所からも1.7kmほどあり、チェックアウト時間までに往復するのは慌しいかと
少し迷ったが、車で行くと停めるのに困りそうなので、歩いていくことに。
小走り気味に坂道を下っていくとまず見えてくるのは、東武日光駅の山小屋のような大きな勾配屋根。
おぉ、いいねぇ!
1979(昭和54)年に改築されたものらしいが、シンプルかつ落ち着いた雰囲気で、
時計や軒周りの細部にこだわりがあって愛着が湧くデザイン。インパクトがありながら
周辺の景観にもなじんでいる、素晴らしい駅舎。こんな駅に降り立つと遠足気分も高まるな!!
地図を見ると、JR日光駅を押しのけて前へ出たような位置に東武の駅がある。
かつては国鉄と東武とで客の獲得を激しく競っていたようだが、現在は首都圏からのアクセスは
東武の方がメジャーのようだ。
そしてこちらがJR日光駅。ほぉ~、日光東照宮の玄関口としての国鉄駅はさすがに格が違うな!
JR日光線の地上の終着駅だが頭端型でなく通過型。駅舎は1912(大正元)年に建てられた
2代目である。外国人や皇族も頻繁に訪れた駅だけに本格的な洋風駅舎として造りこまれている。
上下窓の正方形の格子が端正で、中央のアーチ型の窓が素敵なアイキャッチになっている。
軒周りは出桁になっていて真壁造りの和風建築にも見えるが、和洋がうまくなじみ全体に上品な
フォルムとなっている。
今年の春にリニューアル工事が完了しており、ピンク色も塗り直されたものだろうが、
これが無垢の木色としっくい壁ならイメージはずいぶん和風寄りになるかもしれない。
こちらは貨物の積み込み用のスペースだったのか、それとも団体客用の出入り口だったのか。
2階は一等車利用者用の特別待合室だったが、現在「ホワイトルーム」として公開されている。
上へ上ってみたがガランと広い空間にシャンデリアだけがぶら下がっていてちょっと寂しい。
しかしこの風格漂う駅舎が現役であることはとても感慨深いな!
そうこうしている間に電車が到着したようだ。改札口からわらわらと人が出て来るわ出て来るわ。
バックパックを背負った外国人客も多く、ハイキング装備の日帰りらしいグループ客も、一斉に
駅前で自撮りを始める(笑)。こうなるともう駅舎の写真など撮れたものじゃない。
さぁ、どちらにしてももう戻らねばならない。帰りは上り坂だしバスでピュ~ッとホテル前まで
乗りつけよう、と先にバスの時刻をチェックしていたのだが、駅から出てきた客がバス停に
ずらりと並び始めたので慌てて私もバス停へ。
チェックしていたバスよりも早いバスが来たので、どれでもメインストリートを走るだろう、と
高をくくって乗り込んだら、「世界遺産めぐりバス」はまちなかを迂回して川向こうを走り
東照宮へ直行するルートだった。あいたたた・・・・(汗)
金谷ホテルに一番近い「ホテル清晃苑前」で降りるつもりだが、その手前の細い道でバスは
渋滞で動かなくなってしまった。ええっ!?運転手さんのところへ行って聞いてみる。
「これは何の渋滞ですか?」「駐車場入場の渋滞ですよ」「駐車場が満車で待っているのなら
駐車場が空くまで動かないのですか?」「そうですよ」「いつもこんなんですか?どのくらい
かかりそうですか?」「わかりませんね、駐車場が空くまで1時間でも2時間でも待つしか
ありませんから」「ええ~!?バス停はまだですか?ここで降ろしてもらうわけにはいきませんか」
「それはできません。何かあったら私らの責任になりますから」
それは理解できるが・・・渋滞していると分かっているところへ突っ込んで1時間もカンヅメに
なる可能性があると先に教えてくれたら、歩いて行くとか別の路線に乗るとかできるだろうに、
他の乗客は誰も何も言わず大人しくしている。逆に「運転手さんの責任になるんだから
そんなこと無理に決まってるよ」と私がたしなめられる始末(苦笑)。
ダメモトで聞いてみただけで別にゴネてもいないんですけど・・・
幸い、前にいたマイカーが何台も諦めてUターンして列から抜けていったのでジリジリと進み、
清晃苑前バス停に到着。逃げるようにバスを降りて最短距離で宿へ向かう。
抜けた道がとっても石垣が美しく雰囲気がよかったので、ゆっくり散策したかったなぁ。
・・・というわけで、日光に行ったのに東照宮へ行く余裕はなかったのであった(爆)
急いで部屋へ荷物を取りに行き、11時ギリギリでチェックアウト。売店でお土産を買ってから
別館を見学させてもらって、車で出発したのはもう11時半。
いくつかの建築を巡るつもりだが、明治の館へ向かうのは自殺行為だなと諦め、田母沢御用邸へ。
この建物は、日光出身の銀行家小林年保の別邸に旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部を移築して、
1899(明治32)年に大正天皇のご静養地として造られた。その後も増改築を重ねて
広大なお屋敷となった。現在の姿になったのは1921(大正10)年。
1947(昭和22)年に御用邸が廃止されたあと他用途に使われてきたが、栃木県が修復工事を
行い、2000(平成12)年から一般公開されている。
内部の修復は完璧すぎて、、、ちょっと物足りない(苦笑)。すべてが正統という感じで
庶民の私にはくつろげないなぁ(笑)
謁見所。
湯殿の外にあったお湯のタンク。ここからパイプで湯船にお湯を供給していたのか、それとも
桶で汲んで運んだのだろうか。
御学問所。
雛菊のふっくらした花びらが美しいな。桜や鶴や白鳥・・・見事な杉戸絵は邸内あちこちにあった。
枝垂桜の古木は、シーズンになると見事な花を咲かせるそうだ。
部屋に上がり込むことはできないもののかなり広い範囲が公開されていて、各年代の建物を
見ることができ、小川の流れるお庭の散策路を歩きながら外観も楽しめるので、510円という
入場料は安いなぁ。
・・・しかし私はあまり時間がないので駆け足で見て回って、次のところへ行こう。
続く。
日光金谷ホテルから建築を見ながら駅までのメインストリートを下っていく。
日光にはJRと東武の2つの駅があるが、金谷ホテルや東照宮までは駅から2kmほど離れていて、
観光客は駅前からバスに乗るのが一般的だろう。
日光市総合支所からも1.7kmほどあり、チェックアウト時間までに往復するのは慌しいかと
少し迷ったが、車で行くと停めるのに困りそうなので、歩いていくことに。
小走り気味に坂道を下っていくとまず見えてくるのは、東武日光駅の山小屋のような大きな勾配屋根。
おぉ、いいねぇ!
1979(昭和54)年に改築されたものらしいが、シンプルかつ落ち着いた雰囲気で、
時計や軒周りの細部にこだわりがあって愛着が湧くデザイン。インパクトがありながら
周辺の景観にもなじんでいる、素晴らしい駅舎。こんな駅に降り立つと遠足気分も高まるな!!
地図を見ると、JR日光駅を押しのけて前へ出たような位置に東武の駅がある。
かつては国鉄と東武とで客の獲得を激しく競っていたようだが、現在は首都圏からのアクセスは
東武の方がメジャーのようだ。
そしてこちらがJR日光駅。ほぉ~、日光東照宮の玄関口としての国鉄駅はさすがに格が違うな!
JR日光線の地上の終着駅だが頭端型でなく通過型。駅舎は1912(大正元)年に建てられた
2代目である。外国人や皇族も頻繁に訪れた駅だけに本格的な洋風駅舎として造りこまれている。
上下窓の正方形の格子が端正で、中央のアーチ型の窓が素敵なアイキャッチになっている。
軒周りは出桁になっていて真壁造りの和風建築にも見えるが、和洋がうまくなじみ全体に上品な
フォルムとなっている。
今年の春にリニューアル工事が完了しており、ピンク色も塗り直されたものだろうが、
これが無垢の木色としっくい壁ならイメージはずいぶん和風寄りになるかもしれない。
こちらは貨物の積み込み用のスペースだったのか、それとも団体客用の出入り口だったのか。
2階は一等車利用者用の特別待合室だったが、現在「ホワイトルーム」として公開されている。
上へ上ってみたがガランと広い空間にシャンデリアだけがぶら下がっていてちょっと寂しい。
しかしこの風格漂う駅舎が現役であることはとても感慨深いな!
そうこうしている間に電車が到着したようだ。改札口からわらわらと人が出て来るわ出て来るわ。
バックパックを背負った外国人客も多く、ハイキング装備の日帰りらしいグループ客も、一斉に
駅前で自撮りを始める(笑)。こうなるともう駅舎の写真など撮れたものじゃない。
さぁ、どちらにしてももう戻らねばならない。帰りは上り坂だしバスでピュ~ッとホテル前まで
乗りつけよう、と先にバスの時刻をチェックしていたのだが、駅から出てきた客がバス停に
ずらりと並び始めたので慌てて私もバス停へ。
チェックしていたバスよりも早いバスが来たので、どれでもメインストリートを走るだろう、と
高をくくって乗り込んだら、「世界遺産めぐりバス」はまちなかを迂回して川向こうを走り
東照宮へ直行するルートだった。あいたたた・・・・(汗)
金谷ホテルに一番近い「ホテル清晃苑前」で降りるつもりだが、その手前の細い道でバスは
渋滞で動かなくなってしまった。ええっ!?運転手さんのところへ行って聞いてみる。
「これは何の渋滞ですか?」「駐車場入場の渋滞ですよ」「駐車場が満車で待っているのなら
駐車場が空くまで動かないのですか?」「そうですよ」「いつもこんなんですか?どのくらい
かかりそうですか?」「わかりませんね、駐車場が空くまで1時間でも2時間でも待つしか
ありませんから」「ええ~!?バス停はまだですか?ここで降ろしてもらうわけにはいきませんか」
「それはできません。何かあったら私らの責任になりますから」
それは理解できるが・・・渋滞していると分かっているところへ突っ込んで1時間もカンヅメに
なる可能性があると先に教えてくれたら、歩いて行くとか別の路線に乗るとかできるだろうに、
他の乗客は誰も何も言わず大人しくしている。逆に「運転手さんの責任になるんだから
そんなこと無理に決まってるよ」と私がたしなめられる始末(苦笑)。
ダメモトで聞いてみただけで別にゴネてもいないんですけど・・・
幸い、前にいたマイカーが何台も諦めてUターンして列から抜けていったのでジリジリと進み、
清晃苑前バス停に到着。逃げるようにバスを降りて最短距離で宿へ向かう。
抜けた道がとっても石垣が美しく雰囲気がよかったので、ゆっくり散策したかったなぁ。
・・・というわけで、日光に行ったのに東照宮へ行く余裕はなかったのであった(爆)
急いで部屋へ荷物を取りに行き、11時ギリギリでチェックアウト。売店でお土産を買ってから
別館を見学させてもらって、車で出発したのはもう11時半。
いくつかの建築を巡るつもりだが、明治の館へ向かうのは自殺行為だなと諦め、田母沢御用邸へ。
この建物は、日光出身の銀行家小林年保の別邸に旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部を移築して、
1899(明治32)年に大正天皇のご静養地として造られた。その後も増改築を重ねて
広大なお屋敷となった。現在の姿になったのは1921(大正10)年。
1947(昭和22)年に御用邸が廃止されたあと他用途に使われてきたが、栃木県が修復工事を
行い、2000(平成12)年から一般公開されている。
内部の修復は完璧すぎて、、、ちょっと物足りない(苦笑)。すべてが正統という感じで
庶民の私にはくつろげないなぁ(笑)
謁見所。
湯殿の外にあったお湯のタンク。ここからパイプで湯船にお湯を供給していたのか、それとも
桶で汲んで運んだのだろうか。
御学問所。
雛菊のふっくらした花びらが美しいな。桜や鶴や白鳥・・・見事な杉戸絵は邸内あちこちにあった。
枝垂桜の古木は、シーズンになると見事な花を咲かせるそうだ。
部屋に上がり込むことはできないもののかなり広い範囲が公開されていて、各年代の建物を
見ることができ、小川の流れるお庭の散策路を歩きながら外観も楽しめるので、510円という
入場料は安いなぁ。
・・・しかし私はあまり時間がないので駆け足で見て回って、次のところへ行こう。
続く。