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Channel: まちかど逍遥
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青森周遊 八戸まちなかの建築めぐり

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八戸からの続き。

まちなかへ戻り近代建築を探して歩くと八戸市消防団第三分団一班の建物を発見。シンプルな
下見板張りの建物だが、妻部分がちょっとしゃれている。


これとほぼ同じ形の二班の建物もあるはずなのだが見つけられなかった。


そろそろ日が落ちてきてお腹も空いてきたな。今日は何を食べようか。。。ご飯どころも探しつつ歩く。
おっ、これが旧河内屋橋本合名会社か。正面に妻壁を立ち上げた印象的なファサードの2階建て木造建築。
ステンドグラスもはまっているな!


ほこるやという居酒屋が入っていて、内部の見学がてらここでご飯を食べることに。ちょうどよかった!




うん、なかなかいい感じじゃないの!真っ白な新建材で覆ってしまうことなく高い天井や木の柱など生かして
レトロなインテリアになっていた。こじんまりした小部屋の隅の席で青森名物のシャモロックを食す。ウメェ~~


お勘定のあと2階も見せてほしいと頼むと店員さんが快く案内して下さった。狭い階段を上ると小さな部屋が
たくさんあるが、これは居酒屋用に仕切ったのではなくもともと事務所として建てられたため。

河内屋は造り酒屋の老舗で、この建物は八戸大火後の1924(大正13)に仮事務所として建てられたもの。
これを建てた6代目橋本八右衛門は、満州視察で八戸の産業発展のためには電気の導入が急務であると痛感し、
有志とともに八戸水力電気株式会社を創設、2年後には発電所を完成させまちへの送電を開始している。
また電話の開通にも尽力するなど、八戸の発展、近代化に尽力した人であった。

道路境界からかなりセットバックしているので曳き家をしたのかと思っていたが、いったん解体後復元された
らしい。市民団体の保存活動と、建物を八戸のまちづくりに役立てたいという所有者側の思いにより
行政をも動かして残された八戸の文化遺産である。→こちら

店を出て夜の繁華街をうろつく。お腹いっぱいなのでハシゴする気はないが、路地に密集した飲み屋街は
元気で、仕事帰りの人々や若者などどの店もいっぱい!


路地エリアは入り組んで結構広がっており、昔ながらの飲み屋街に新しい店が入ったような感じ。
妖しさやいかがわしさはあまり感じない。八戸の新名所なのだろうか。

飲める口のMさんには雰囲気を楽しむだけではちょっと物足りなかったかも。。。申し訳なかったな(苦笑)


翌朝は館鼻岸壁朝市に行くつもりだが、前日早起きして夜まで活動していたので疲れてちょっと出遅れ、、、
まだやってるかなぁ(汗)


うわっ、すごい人!みんないっぱい袋をぶら下げて帰って来る。はやる気を抑えて車を停め市に行ってみると
やはり少し遅いようで仕舞いかけの店もある。それでも名産のホヤやウニなどの魚介類やニンニクや長芋などの
野菜や食べ物を売る店が二列に並び、あっちでこっちでそそられる~~(笑)




そして出店の商店街は延々続き90度曲がってさらに続いている!すごい規模だな!
八戸のまちなかで旅行客をちょくちょく目にして、建築以外だとどこを観光するのかと思っていたのだったが、
この朝市はわざわざ来る魅力があるなと納得。夜明け前からやっていて、6時ごろが歩くのが困難なほどの
賑わいだとか。やっぱり早起きしないとなぁ!!


ウニとかめちゃくちゃ惹かれたが、まだもう1泊するので、、、でも見るだけでも楽しかった!


さて港からほど近いところにある八戸酒造の蔵を見よう。巨大な煉瓦造の蔵だ。
車を降りて外へ出るとぷ~んとお酒のいい香り!


大正年間に竣工した北蔵、西蔵、文庫蔵、煉瓦蔵、主屋、の5棟がまとまって建ち、まちなみにインパクトを
与えている。


主屋の2階にはとても繊細な格子が。


裏には新井田川が流れ、かつては水運により原料や製品を運ぶのに適した立地だっただろう。
このあたりは川湊として、漁の拠点であったり交易の窓口であったり、古くから賑わった場所である。
近くには長いアーケードの商店街もあった。うろついたら面白そうだが、そこまでの時間はないので次へ行く。。


続く。

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