今年のゴールデンウィークにmayumamaさんと新潟へ行ってきた旅。
今回はいきなりクライマックスから書いてしまったが(苦笑)、始まりに戻って書いていく。
伊丹から乗ったプロペラ機は、いまだ白い雪を頂く北アルプスの峰々や視界一面に広がる田んぼを眼下に
見下ろしながら飛び、1時間5分で新潟空港に到着。この早さ、鉄道とは比べものにならないな!
mayumamaさんは明日の朝イチの便で来る予定。ひと足先に新潟入りした私は、晩ごはんを探しがてら
夕闇の古町をうろつこう。
これは着陸寸前に見たJRの阿賀野川橋梁。
古町はもと花街であり今も料亭や飲み屋が建ち並ぶ夜の街。新潟駅からは2kmぐらい離れ信濃川の対岸側に
位置する場所である。これまでにアップした市内の近代建物もすべて信濃川と日本海に挟まれたエリアにある。
大通りから見える木造三階建ての巨大な建物は鍋茶屋という料亭で、1846(弘化3)年に開業、
スッポン鍋を売り物にしていた。当時、新潟港への船の往来により新潟のまちは発展しており、
花街古町も相当繁盛したようだ。
ただしこちらは店の裏側。
表の門は「鍋茶屋通り」と呼ばれる細い路地に面している。門から覗くと、、、うぉ~!デカイ!
これほんとに三階建て!?階高が高いのだろうか、普通よりも高く感じる。
荘厳な破風の玄関。ガラス戸越しに旅館のような上がり框がよく見える。人は見当たらず
メニューも出ていないところを見ると完全予約制なんだろう。もし予約なしで入れたとしても思いつきで
食べられるような金額でないことは確実だ(苦笑)。
鍋茶屋が面している鍋茶屋通りは幅が3mそこそこしかないのだが、実は門の向かい側の敷地には建物が
建っておらず両側に並木のように木が植えられ、鍋茶屋の門に至る参道のようになっている。
この「参道」の入口は古町のアーケードに面しているのだ。
鍋茶屋通りは石畳の風情ある道で、木造の料亭建築が並ぶ風景は京都の先斗町に少し似ているかな。
鍋茶屋通りと古町の商店街、そしてそれらをつなぐ路地も含めて面で広がる歓楽街を、写真を撮りながら
ひとりうろつき楽しんだあと、わっぱ飯で晩ごはん。のっぺい(汁ではなく、煮物)や「神馬藻」という
海草(「ぎばさ」と同じものらしい。めっちゃおいしい!)など、ご当地料理を堪能できて、
初新潟の滑り出しは上々~!
続く。
今回はいきなりクライマックスから書いてしまったが(苦笑)、始まりに戻って書いていく。
伊丹から乗ったプロペラ機は、いまだ白い雪を頂く北アルプスの峰々や視界一面に広がる田んぼを眼下に
見下ろしながら飛び、1時間5分で新潟空港に到着。この早さ、鉄道とは比べものにならないな!
mayumamaさんは明日の朝イチの便で来る予定。ひと足先に新潟入りした私は、晩ごはんを探しがてら
夕闇の古町をうろつこう。
これは着陸寸前に見たJRの阿賀野川橋梁。
古町はもと花街であり今も料亭や飲み屋が建ち並ぶ夜の街。新潟駅からは2kmぐらい離れ信濃川の対岸側に
位置する場所である。これまでにアップした市内の近代建物もすべて信濃川と日本海に挟まれたエリアにある。
大通りから見える木造三階建ての巨大な建物は鍋茶屋という料亭で、1846(弘化3)年に開業、
スッポン鍋を売り物にしていた。当時、新潟港への船の往来により新潟のまちは発展しており、
花街古町も相当繁盛したようだ。
ただしこちらは店の裏側。
表の門は「鍋茶屋通り」と呼ばれる細い路地に面している。門から覗くと、、、うぉ~!デカイ!
これほんとに三階建て!?階高が高いのだろうか、普通よりも高く感じる。
荘厳な破風の玄関。ガラス戸越しに旅館のような上がり框がよく見える。人は見当たらず
メニューも出ていないところを見ると完全予約制なんだろう。もし予約なしで入れたとしても思いつきで
食べられるような金額でないことは確実だ(苦笑)。
鍋茶屋が面している鍋茶屋通りは幅が3mそこそこしかないのだが、実は門の向かい側の敷地には建物が
建っておらず両側に並木のように木が植えられ、鍋茶屋の門に至る参道のようになっている。
この「参道」の入口は古町のアーケードに面しているのだ。
鍋茶屋通りは石畳の風情ある道で、木造の料亭建築が並ぶ風景は京都の先斗町に少し似ているかな。
鍋茶屋通りと古町の商店街、そしてそれらをつなぐ路地も含めて面で広がる歓楽街を、写真を撮りながら
ひとりうろつき楽しんだあと、わっぱ飯で晩ごはん。のっぺい(汁ではなく、煮物)や「神馬藻」という
海草(「ぎばさ」と同じものらしい。めっちゃおいしい!)など、ご当地料理を堪能できて、
初新潟の滑り出しは上々~!
続く。