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Channel: まちかど逍遥
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余市から苫小牧港へ

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余市の続き。

旧余市福原漁場からさらに駅へ向かって10分ほど歩き、モイレ山を回りこんだところに、旧下ヨイチ運上家(うんじょうや)があった。


運上家とは幕末に松前藩が対アイヌ交易の場とした建物。
藩士に土地の権利を与えられ、実際の交易は商人が運上金を納めて請け負っていた。
こういった運上家は蝦夷地の南西部の海岸沿いにたくさん設けられ、だんだん和人地化が進んだ。


天井の高いこの空間が、商人たちが商談をしていた商場。頭上に大きな神棚が祭られている。


その奥の座敷では視察に訪れた藩の役人やお付きの人などが滞在した。
人形は、遠山の金さんのお父さんにあたる目付遠山景晋とか。


この建物は嘉永9年の改築当時の図面を元に、1979(昭和54)年に復元されたものらしい。
復元でもきっちり造ってあるので30数年も経てばすっかり古色を帯びてきていい感じ。


屋根の上には手のひら大の石がたくさん乗っている。これで屋根板を押さえてあるのだが、今まで
台風などが来ても飛んだことがないとか。へぇ~


それは背後のモイレ山が風を遮る地形のせいかもしれない。
モイレ山の「モイレ」は札幌にあるモエレ沼の「モエレ」と同じで、静かな川、という意味だとか。


さて、急いで駅へ戻らねば!スマホで調べるとここから余市駅まで20分ぐらいかかる。
うわぁ、ギリギリだな。


余市川の堤防では桜が真っ盛り!本当はここも歩いてお花見を楽しむつもりだったのだが
もう時間がない・・・ピンク色の桜並木を、超遠目で眺めながら橋を渡る。。。


宇宙記念館の裏手に2本ぐらい生えていた桜の木で何とかお花見(笑)


その足もとは・・・この通り!!つくし地獄(爆)


無事小樽行きの列車に乗り、小樽へ。そこから快速エアポートで南千歳へ行き、苫小牧港の新日本海
フェリー乗り場への連絡バスに乗り込む。

秋田行きのフェリーは苫小牧の港から発着するのに、連絡バスが出るのはJR苫小牧駅ではなく
南千歳駅からなのである。そのバスは苫小牧駅には立ち寄らない。
そしてフェリー港の最寄駅はJR日高本線の浜厚真駅であるが、もちろんというかやっぱりというか、
駅から港への交通手段は全くない。この小さな駅を何とか利用したくて、タクシーを呼んでおこうかとか
歩いて行けるかとか考えたのだが、Googleストリートビューで見てもかなり辺鄙な場所らしく、
タクシーにも申し訳なさすぎるので、大人しく南千歳駅からのバスに乗ったのであった(苦笑) 。

高速道路を降りてからの道のりは案の定荒野の中、シカやキツネが飛び出す真っ暗な道を延々走り、
日高本線の単線の踏切を渡って間もなく到着。まぁとんでもないところに港をつくったもんだ。


到着したのは結構ギリギリ。連絡バスだからほって行かれはしないだろうが、売店で買い物など
していたら乗り遅れそうだな。乗船するなり荷物を背負ったままデッキへ。
あぁもう舞鶴港と負けず劣らず、真っ暗。。。

楽しかった北海道、さようなら~~

フェリーあざれあ。今回はちょっと贅沢にステートBという個室を取ってみた。
舞鶴~小樽間だと高くて手が出ないけど、苫小牧~秋田の距離だと8630円とお手頃。
しかもGWの真っ只中にも関わらず、5日の夜は定員2名の部屋を一人で使っても追加料金なし。
やったぁ!


見て、畳よ、畳!!ステートBには洋室と和室があるのだが、和室の方が寝転がれていいなと(笑)。
但し、2名で使うとなるとかなり窮屈そう。

ゴキゲンで布団を敷いて寝転がったはいいが・・・ん?めっちゃ揺れてる。上体を起こすと、、、ヤバイ。
ごはんもほとんど食べられず、お風呂へ行くこともできず、、、寝転がったまま。早く津軽海峡を
抜けてくれ~~!結局深夜まで揺れっぱなしで、へたばったまま秋田へ。でもまだ個室で助かった。。。

続く。

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