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Channel: まちかど逍遥
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余市再訪

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ニセコからの続き。

余市は去年の夏に初めて訪れニッカの工場を見学している。7月はさくらんぼのシーズンで、道の駅で
佐藤錦を買ってたらふく食べたおいしい思い出がある(笑)。
5月にはさくらんぼはないと知りながら(苦笑)今回余市で途中下車したのは、そのとき見に
行けなかったニシン漁の遺跡である旧余市福原漁場と旧下ヨイチ運上家を見に行こうと思ったのと
ちょうどランチにいいお店をネットで見つけたから。


余市の老舗の燻製屋が数年前に古民家を改装してオープンした煙香廊(けむかろう)というお店で、
燻製を使った料理やデザートを食べられるという。人気店らしいので駅から直行しよう。
駅からは3~4km離れた漁港の近くにあるので、バスに乗って行く。


かなり辺鄙な場所にあるにも関わらず結構お客が来ている。


豆腐のスモークがすごくおいしい!チーズみたい。


スモークサーモンのきの子クリーム煮。


昨日泊まったペンションのご主人とここのご主人が昔からの友達らしい。すごい偶然~~
そのせいか、デザートをサービスしてくれた!スモーク豆腐をチーズ代わりに使ったムース。うまっ!!

コーヒーは苦手だけど、豆を燻製した「スモークコーヒー」が有名らしいので、、、
ん~やっぱり「スモークティー」も作ってほしいなぁ。。

さて食べた後は運動を兼ねて旧余市福原漁場まで歩こう。

防潮堤の上で猫のように丸まるカモメ(笑)

シラスを広げて干しているようだ。うわ~おいしそう!つまんだら怒られるかな!?




10分ぐらい歩いて福原漁場までやってきた。ここはかつてニシン漁に沸いていた時代、水揚げから
加工、出荷までの一連の作業を行っていた場所。広い敷地内にいくつかの建物が残っている。
古くからニシン漁場として知られた積丹半島沿岸のまちには、このような漁場がいくつもあった。


なんだか内子で見た上芳我邸と似ているな。あちらは蝋の生産だったけど、原料から製品までの工程を
一貫して行うのは共通している。


トロッコで港と漁場、各作業場間を運搬していたのだろう。


こちらは文書庫。重要文書が保管されていた。


板で全面覆われている。


今は資料が展示されている。ゴールドラッシュならぬニシンラッシュの時代の写真は活気に満ちている。
毎年3月~4月頃になるとおびただしい数のニシンが岸に押し寄せてきて、獲り放題状態!
毎年東北地方などから出稼ぎ漁夫が集まり、ミガキニシンや肥料に加工して出荷した。


漁場の主屋。ここは定置網の経営者である親方と漁夫がシーズン中寝起きを共にしていた建物。


床板を一部外すと靴のままで入って一列に座り食事できるようになっている。漁夫は同じ地方から毎年
繰り返し出稼ぎに来ていたらしい。


製品を保管していた石蔵は復元だが、こちらの米味噌蔵は当時のもの。シーズン中の食糧を確保したのだ。
また、縄やむしろなどを作る材料であるワラも、北海道では入手できなかったため、本州から北前船で
持ってきて保管しておいた。


最盛期の明治中期には北海道での漁獲量が年間100万石もあったニシンだが、昭和に入って凶漁が続き、
昭和30年代になると全くと言っていいほど獲れなくなってしまうのである。
「あれからニシンはどこへ行ったやら・・・」

この漁場の最終経営者であった川内藤次郎は、凶漁が続いたニシン漁に見切りをつけ昭和22年に
完全に撤退、果樹園など農業に転向したという。
なぜニシンが獲れなくなったか??獲りすぎや海洋環境の変化など諸説あるようだ。

続く。

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