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Channel: まちかど逍遥
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揚輝荘 聴松閣の地下へ下りる。

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揚輝荘の続き。

さて、講演会が終わるのを待って地下を見に行く。
階段を下り切ってホールに足を一歩踏み込むと、もうそこはインドの石窟寺院の中かという
濃密な空間!


熱心な仏教徒であった祐民は釈迦生誕2500年にちなみ4ヶ月間インドで仏跡を巡る旅をする。
その時のイメージを聴松閣の地下で再現したのだ。
この旅に同行したインド人留学生ハリハランが壁画を描いている。




ホールには扉が2つ。一方は金庫、もう一方は・・・地下通路の入口である。
さらに下へ下りる階段の両側にはびっしりと、水色と金色のモザイクタイルが貼られている。
階段を下りたところには謎めいた扉が・・・そして、通路はまだ続いている。

実はこの奥は現在は行き止まりになっていると言う。元々はかつて敷地内にあった有芳軒という建物まで
つながっていたのだが、高度成長期のマンション開発の際に杭が打ち込まれ分断してしまった。

柱には深く刻まれた彫刻。


そして象嵌による唐草模様。


埋め込まれたニュアンスカラーのピースは石だろうか、タイルのかけらだろうか。昔インドで見たのと
よく似た感じ(あちらの方がもっと緻密だが・・・)。


多目的室はもともと舞踏場だったという。




舞踏場の片隅には、礼拝や沐浴に使える小部屋が附属している。その壁には尖塔アーチ形をした凹みが
あって、びっしりとタイルが貼られた上に血のような色石に彫られた女神が。


これは赤竜石だということだが、こんなしましまの竜山石を見たことない。


揚輝荘は改修で復原された部分も多いが、この部屋はオリジナルのままだという。


これはタイルに見えるがモザイクである。四角いピースもノミで割って整形されている。
これらのピースはわずかに中央がふくらんでいて、そのために光を細かく反射しピカピカと輝いている。
大正時代なら国産のタイルもあっただろうが、こんなのは見たことがないな。
柱の象嵌もこのモザイクも現地から材料を持ってきて、現地の職人が作ったのではないかと想像する。


ドライエリアに面した窓にはヒマラヤ山脈(?)の浮き彫りが。

祐民は建築コレクター/マニアだったのだろう。

聴松閣の隣にある揚輝荘座敷は、川上貞奴が一時住んでいたという屋敷を移築した純和風の建物。
聴松閣と同じように壁はベンガラ色に塗られ、外観からも数寄屋っぽい意匠が残っていそうな雰囲気だ。
しかし戦後寮として改修されてしまったらしい。
また老朽化も進んでおり、未整備のため現在は立ち入ることができない。今後に期待!


さて、北園へ行こう。マンション横の通路脇に「伊藤丸」と呼ばれる石のレリーフが横たわっていた。
茶屋町にあった伊藤銀行の壁面を飾っていたものといい、伊藤家繁栄のシンボルであろう。


続く

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