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Channel: まちかど逍遥
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地下鉄名古屋駅のモザイク

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茨城の記事の途中だけど・・・ちょっと気分転換。

先日、青春18きっぷの最終日に名古屋へ行ってきた。
名古屋は関西からそれほど遠くないのにちゃんと建築をめぐって歩いたことがなく、一度行かねばと
思っていたのだった。去年は仕事ではちょくちょく行ったのだが、帰りにテレビ塔に上ってみたのと
珈琲ライオンでお昼を食べたぐらいだった。あ、エーデルワイスでお茶も飲んだな。
しかし名古屋の地下鉄はいまだに覚えられない。。。

先月常滑に行ったとき、名古屋のまちなかのタイルが載っている「街あるきマップ」をゲットして
きたので、そのスポットを順に見て行くことにし、久屋大通駅まで行こうと地下鉄に乗った。
しかし、タイル趣味も市民権を得てきたなぁ(笑)

うわっ!!丸の内線の改札を入るとすぐに現れたこの壁画!!大理石モザイクだ。絵本の挿絵の
ような絵のタッチ、レトロでかわいいなぁ~!これもやっぱり矢橋六郎だろうか。


右端から順番に見ていくと、名古屋城とシャチホコ、名古屋港に入ってくる船と灯台。




そしてこれは・・・名古屋の地図だな!
白黒のラインで引かれているのがJR、赤色の線は地下鉄。色分けは各区域を示しているのだろうか。


この塔屋は名古屋市役所のだな。


そしていちばん左端は、エッフェル塔みたいなテレビ塔と、これは・・・太陽の塔??でも
フレアがあるしちょっと違うなぁ?しかもここは名古屋だし・・・
不思議に思っていたのだが、ようやく今記事を書きながらネット検索してみた。
すると、何と岡本太郎は大阪万博の太陽の塔に先んじて、「若い太陽の塔」というものを
名古屋の日本モンキーパーク(当時は犬山ラインパーク)に作っていたのだった。
あのモザイクの絵はこの顔か!!

・・・ん?しかし、若い太陽の塔を検索していろいろ見てみたのだが、製作は大阪万博の
1年前、1969(昭和44)年と書いてある。そして、この壁画は・・・

「寄贈 名古屋地下鉄名店街組合連合会 昭和四十二年十一月」と書かれた大理石のプレートが
壁画の端に埋め込まれていた。

と言うことは、若い太陽の塔がお披露目されるより前に、この壁画が出来上がっていたのか??
しかしそもそも、ここは名古屋市営地下鉄。犬山市にある塔の顔を描くのもおかしいなぁ。

次に名古屋の地下鉄を検索してみる。モザイクで描かれた線の形を見ると、東山線と名城線の一部、
それに金山から南へ延びる名港線だな。

ん?待てよ。と、公式ページがうまく見つけられないのだが、ウィキペディアによると、名港線が
できたのは1971(昭和46)年となっているじゃないか!?
若い太陽の塔は昭和44年、名港線は46年にできたのに、昭和42年に作られたモザイク画に
それらが描かれているのはなぜだ!?大理石のプレートがサバを読んでいるのか??
それとも未来の名古屋を予知したのか???謎。。。

地下鉄構内には矢橋六郎のモザイク画がまだ他にもたくさんあるらしい。
これからも名古屋で地下鉄に乗るたびに気をつけて見ておこう。

続く。

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