武雄温泉からの続き。
唐津へ行くには、久保田というところで唐津線に乗り換える。唐津線の途中の小城というところに
古いまちなみがあると聞いたことがあったので、ちょろっと途中下車しようかと考えていたのだが、
スマホで調べていたら、佐賀市内も結構いろいろあるじゃないの!佐賀駅は久保田を過ぎてたった2駅。
それに唐津行きが佐賀始発で出ているようだからちょうどいいな。ということで急遽佐賀へ向かう。
「佐賀」という名を聞いても、全くイメージが湧かないまち。だった。
しかし駅の観光案内所でマップをもらって見てみれば、駅からずーっとまっすぐ正面に佐賀城があり
その周りに広がった城下町がベースということが分かった。
それに加え、去年行った柳川、大川のまちと隣り合う筑後川デルタの水郷地帯なのだ。
そうと分かれば、お城をぐるっと一周してみよう。
佐賀城は駅から1.5kmぐらいあるのでレンタサイクルがちょうどいい。
駅からお城までまっすぐ伸びるメインストリートを走りながら、左右の横道をのぞき込み
ちょろちょろ入り込んで気ままにうろつく。ちょっと裏手に入ると藁葺き屋根の古い民家があったり、
唐破風のお風呂屋さんの建物(残念ながら廃業)が残っていたりする。
佐賀の歓楽街の中で目立っていた建物。正面のカラフルな部分はモザイク
佐賀城の外堀の役割を果たしていた十間堀川のたもとに建つ佐星醤油。今日はお休みだが
今も現役のようだ。和館とつながっていて、川側から見ると水路が建物の下へ入り込んでいた。
原料の搬入や製品の積み出しを水運に頼っていた時代は便利に使われていたことだろう。
外堀の内側には武家屋敷が並んでいたらしく、間口の広い敷地を塀が囲んでいる。建物は現代的な
ものに建て替わっているものの古く立派な門が残っていて、重要文化財になっているものもある。
こんな洋館っぽい住宅もあった。
お城の直近はやっぱり官公庁や社寺が多い。
これは役所ではないけれど、佐賀県酒造会館。小窓の取り方がおもしろいな!
国の重要文化財に指定されている与賀神社の参道の鳥居だろうが、ん?横一本足りないな!?
この変わった形の建物は山口亮一という洋画家の旧宅。旧鍋島藩の名家の出身という。
コの字型の茅葺きのかわいい民家は、「くど造り」といい、この地方に見られる様式なのだとか。
棟がL字型になった「曲り家」はちょくちょくあるが、これは2回曲っているのだ。作るのも大変だろう。
くど造りと並んで、かぶと造りの民家や、柳川で目にした形の屋根も見られた。
このあたりは細い水路がくねくねと民家の合間を縫うように通っていて、石垣の景観も楽しめる。
円盤状の石を重ねたようなこの石垣は変わっているな!こういうタイル貼りは時々見かけるが。
ござ目石垣と勝手に名付けよう。
お城の内堀沿いにも大きな邸宅が建っている。
おっ、このお宅の門は放物線使いのデザインだ。分離派建築か!?
そして・・・同じくお堀沿いに建つこの建物に、ギョッとした。ナニモノ!?
広い敷地の真ん中に駐車場に囲まれてポツリと建つこの建物は、ただのボロい空き家かと思ったが
よく見ると、レンガの煙突やよろい戸つきの窓、ベランダにはグラバー邸のようなアーチ型の
ラチスパネルなど、明治のコロニアル洋式と思しき洋館である。ただしかなり老朽化し痛々しい。。。
自転車を停めて近寄りしげしげと眺めていると、急にドアが開いて人が出てきた。現役だったのか!
怒られるかとドキドキしたが「古そうな洋館なので見せてもらってました」と言って頭を下げると
気さくなおばちゃん、「もう古くてどうしようもないんだけど」などといろいろお話をして下さった。
この家はお舅さんが1889(明治22)年に建てられ、周りの敷地も元は庭だった。
ご主人が運送業の事務所に使われ、その時に玄関回りを少し改修して窓口を作ったりしたという。
横を通っている道路が当初はこの家の敷地の真ん中を通る計画になっており、どうせ道路が
できる時に壊さないといけないのだからと、建物にガタが来ても手をつけずにいたが、
道路はなぜか敷地をかわすような位置で作られ、家は今まで命を永らえてきたのだとか。
時々研究者が訪ねてきたり、新聞に載ったりもするらしく「佐賀のグラバー邸」と呼ばれて
いるそうだ(笑)。
玄関ドアから少し内部を覗かせて頂くと、外観の老朽化とは裏腹に内部はかなりきれいな状態を
保っているように見えた。
・・・しかし何と、もうこの夏に解体することが決まっているのだとか。あぁ、何たること(涙)。
最後に見つけられてよかった。。。
おばちゃんと長いこと立ち話していたら、佐賀での2時間はもうタイムリミット。まだお城を
半周もしていないのに~
お城の中にあるお役所建築もまだ見ていないので、通りがてら見て行こう。
県庁は改修工事中か。
徴古館だけ見て帰ろうと道を逸れたところで見つけた、池田医院の建物。
しかし空き家となって荒れている。腰まで貼られたレンガタイルは白のボーダー入り。
徴古館はすごい建物だった!鍋島家により1927(昭和2)年に郷土資料館として建てられた。
車寄せに円柱が建ち並び軒回りに装飾がついているが、全体的にはモダンなフォルム。
外装タイルのベージュ色は県庁舎と似ているな。
あぁ、もう限界!
他にも気になる建物があったが、お城のあと半周もまだ見ていないし次回にしよう。
ダッシュで佐賀駅へ戻って自転車を返し、唐津線の気動車に飛び乗る。
しかし、思いつきで来たけど結構楽しめたなぁ。
続く。
唐津へ行くには、久保田というところで唐津線に乗り換える。唐津線の途中の小城というところに
古いまちなみがあると聞いたことがあったので、ちょろっと途中下車しようかと考えていたのだが、
スマホで調べていたら、佐賀市内も結構いろいろあるじゃないの!佐賀駅は久保田を過ぎてたった2駅。
それに唐津行きが佐賀始発で出ているようだからちょうどいいな。ということで急遽佐賀へ向かう。
「佐賀」という名を聞いても、全くイメージが湧かないまち。だった。
しかし駅の観光案内所でマップをもらって見てみれば、駅からずーっとまっすぐ正面に佐賀城があり
その周りに広がった城下町がベースということが分かった。
それに加え、去年行った柳川、大川のまちと隣り合う筑後川デルタの水郷地帯なのだ。
そうと分かれば、お城をぐるっと一周してみよう。
佐賀城は駅から1.5kmぐらいあるのでレンタサイクルがちょうどいい。
駅からお城までまっすぐ伸びるメインストリートを走りながら、左右の横道をのぞき込み
ちょろちょろ入り込んで気ままにうろつく。ちょっと裏手に入ると藁葺き屋根の古い民家があったり、
唐破風のお風呂屋さんの建物(残念ながら廃業)が残っていたりする。
佐賀の歓楽街の中で目立っていた建物。正面のカラフルな部分はモザイク
佐賀城の外堀の役割を果たしていた十間堀川のたもとに建つ佐星醤油。今日はお休みだが
今も現役のようだ。和館とつながっていて、川側から見ると水路が建物の下へ入り込んでいた。
原料の搬入や製品の積み出しを水運に頼っていた時代は便利に使われていたことだろう。
外堀の内側には武家屋敷が並んでいたらしく、間口の広い敷地を塀が囲んでいる。建物は現代的な
ものに建て替わっているものの古く立派な門が残っていて、重要文化財になっているものもある。
こんな洋館っぽい住宅もあった。
お城の直近はやっぱり官公庁や社寺が多い。
これは役所ではないけれど、佐賀県酒造会館。小窓の取り方がおもしろいな!
国の重要文化財に指定されている与賀神社の参道の鳥居だろうが、ん?横一本足りないな!?
この変わった形の建物は山口亮一という洋画家の旧宅。旧鍋島藩の名家の出身という。
コの字型の茅葺きのかわいい民家は、「くど造り」といい、この地方に見られる様式なのだとか。
棟がL字型になった「曲り家」はちょくちょくあるが、これは2回曲っているのだ。作るのも大変だろう。
くど造りと並んで、かぶと造りの民家や、柳川で目にした形の屋根も見られた。
このあたりは細い水路がくねくねと民家の合間を縫うように通っていて、石垣の景観も楽しめる。
円盤状の石を重ねたようなこの石垣は変わっているな!こういうタイル貼りは時々見かけるが。
ござ目石垣と勝手に名付けよう。
お城の内堀沿いにも大きな邸宅が建っている。
おっ、このお宅の門は放物線使いのデザインだ。分離派建築か!?
そして・・・同じくお堀沿いに建つこの建物に、ギョッとした。ナニモノ!?
広い敷地の真ん中に駐車場に囲まれてポツリと建つこの建物は、ただのボロい空き家かと思ったが
よく見ると、レンガの煙突やよろい戸つきの窓、ベランダにはグラバー邸のようなアーチ型の
ラチスパネルなど、明治のコロニアル洋式と思しき洋館である。ただしかなり老朽化し痛々しい。。。
自転車を停めて近寄りしげしげと眺めていると、急にドアが開いて人が出てきた。現役だったのか!
怒られるかとドキドキしたが「古そうな洋館なので見せてもらってました」と言って頭を下げると
気さくなおばちゃん、「もう古くてどうしようもないんだけど」などといろいろお話をして下さった。
この家はお舅さんが1889(明治22)年に建てられ、周りの敷地も元は庭だった。
ご主人が運送業の事務所に使われ、その時に玄関回りを少し改修して窓口を作ったりしたという。
横を通っている道路が当初はこの家の敷地の真ん中を通る計画になっており、どうせ道路が
できる時に壊さないといけないのだからと、建物にガタが来ても手をつけずにいたが、
道路はなぜか敷地をかわすような位置で作られ、家は今まで命を永らえてきたのだとか。
時々研究者が訪ねてきたり、新聞に載ったりもするらしく「佐賀のグラバー邸」と呼ばれて
いるそうだ(笑)。
玄関ドアから少し内部を覗かせて頂くと、外観の老朽化とは裏腹に内部はかなりきれいな状態を
保っているように見えた。
・・・しかし何と、もうこの夏に解体することが決まっているのだとか。あぁ、何たること(涙)。
最後に見つけられてよかった。。。
おばちゃんと長いこと立ち話していたら、佐賀での2時間はもうタイムリミット。まだお城を
半周もしていないのに~
お城の中にあるお役所建築もまだ見ていないので、通りがてら見て行こう。
県庁は改修工事中か。
徴古館だけ見て帰ろうと道を逸れたところで見つけた、池田医院の建物。
しかし空き家となって荒れている。腰まで貼られたレンガタイルは白のボーダー入り。
徴古館はすごい建物だった!鍋島家により1927(昭和2)年に郷土資料館として建てられた。
車寄せに円柱が建ち並び軒回りに装飾がついているが、全体的にはモダンなフォルム。
外装タイルのベージュ色は県庁舎と似ているな。
あぁ、もう限界!
他にも気になる建物があったが、お城のあと半周もまだ見ていないし次回にしよう。
ダッシュで佐賀駅へ戻って自転車を返し、唐津線の気動車に飛び乗る。
しかし、思いつきで来たけど結構楽しめたなぁ。
続く。