有田からの続き。
ちょっと途中下車のつもりの上有田でハマってしまい、また佐世保線の各停列車の便が少ないせいで、
宿泊地の武雄温泉に到着したときにはもう8時過ぎになっていた。
武雄温泉の宿は駅前のビジネスホテルだが、せっかくだしお風呂は温泉に入りたい。ここから徒歩15分。
元湯は何と23時まで入れるというのだからありがたいね!荷物を置いたら早速出かけよう。
駅前に広がる大きな空き地の脇を抜けていく。何が建っていたんだろう。これからどうなるのだろう。。
温泉街に近づくと妖しげな灯りも見えてきた。横丁を入ると歓楽街が広がっている。
温泉旅館街の正面に、楼門が見えてきた。おお、朱色が鮮やか。写真で見ていた通りの派手さだ。
夜ふけにもかかわらず結構人が来ている。
![]()
1915(大正4)年竣工。
天平式ということだが、竜宮城のようなこの強烈なインパクトの楼門は見ようによってはテーマパークの
作り物のようにも。平成大修理できれいになりすぎたためか。しかしこれが辰野金吾とは!
辰野金吾が唐津出身だということは初めて知った。
![]()
楼門の中には階段があり、どうやら二階にも上れるようになっているらしい。
敷地内にはいくつかの建物がある。楼門から続く袖楼、正面に現在は資料館となっている「新館」、
左手に元湯の建物、右奥には楼門亭という宿泊棟がある。ここに泊まれるとは驚き!
楼門と新館は重要文化財となっている。
もう夜なので資料館はもちろん閉まっており外から見るのみ。和洋中をミックスしたような風貌の新館は
近年まで浴場として使っていたというのだからすごい。入ってみたかったなぁ。
![]()
それにしても楼門と建物に囲まれた部分が全部駐車場になっているのは、とても写真を撮りづらい。
現役の施設だから仕方ないか。。。
![]()
さて元湯、券売機で券を買ってフロントへ渡し脱衣所へ入るまではスーパー銭湯と大して変わらないが、
さすがに、半地下へ降りた浴室は素晴らしい!お湯はつるつる、そして見上げる吹抜け空間。
![]()
洗い場周りのタイルはさすがにやりかえてあるが、小屋組や湯気抜きの基本構造は建築当初から
変わっていないと思われ、よくぞこのまま使い続けているなと感激する!う~ん、極楽~
上がって外へ出ると、すごいもやが出ていた。さっきの雨で湿度が上がったせいだな。
![]()
現実離れした光景を楽しみながら、遠回りして歩いて戻るうちに、もやはどんどん濃くなってきて
信号の光が乱反射してあたり一面が青色になったり赤色になったり、幻想的な世界に。。。。
そのうち、もしここで神隠しにあって消え失せてしまっても、誰にも分からないんじゃないかという
気がしてきて怖くなってきたので、急いで宿へ戻る(苦笑)。
![]()
このもやは翌朝まで続いていた。昨日見た建物の明るい写真を撮ろうと朝市を見がてら楼門まで歩く。
マップを見ると温泉旅館街を長崎街道が横断しており、昨日見た古そうな商店はちょうどその街道が温泉街と
交わる辻だったんだな。街道の方へ曲がって少し歩いて行くと、おっ、当たり!洋風の医院建築が。
![]()
![]()
山の上へ上る石段にも惹かれたが、これから嬉野温泉へ向かう予定なので諦め、温泉の写真を撮りに行く。
![]()
新館はまだ開いていないが、楼門の2階へは今なら上れるようだ。200円だが、入浴する場合はタダという。
昨日入ったのだけど・・・当日しかダメらしい(涙)
元湯の入場券は1年間有効だというので、今度いつ来るかわからないけど、登楼だけで200円払う
よりはいいかと400円払う(爆)
![]()
![]()
1階部分も格天井だったが、2階も折上げ格天井だ。その四隅に、十二支のうちの4つである
ねずみ、うさぎ、うま、とりの透かしがある。そこには手描きの設計図も展示されていたが、
元の設計では3つの楼門が計画されていたといい、十二支のうち4つずつを散りばめる予定だったが
実現したのは1つだけだったとか。
![]()
説明では、同じく辰野金吾の設計した東京駅の南北ドームの天井にある8つの透かしと合わせると
十二支が揃うそうで、辰野金吾がここでできなかったものを同時期に手がけていた東京駅で実現させた
と考えられているそうな。何だか謎かけのようだ。
![]()
さてもうタイムリミット、バスで嬉野温泉へ向かう。
続く。
ちょっと途中下車のつもりの上有田でハマってしまい、また佐世保線の各停列車の便が少ないせいで、
宿泊地の武雄温泉に到着したときにはもう8時過ぎになっていた。
武雄温泉の宿は駅前のビジネスホテルだが、せっかくだしお風呂は温泉に入りたい。ここから徒歩15分。
元湯は何と23時まで入れるというのだからありがたいね!荷物を置いたら早速出かけよう。
駅前に広がる大きな空き地の脇を抜けていく。何が建っていたんだろう。これからどうなるのだろう。。
温泉街に近づくと妖しげな灯りも見えてきた。横丁を入ると歓楽街が広がっている。
温泉旅館街の正面に、楼門が見えてきた。おお、朱色が鮮やか。写真で見ていた通りの派手さだ。
夜ふけにもかかわらず結構人が来ている。

1915(大正4)年竣工。
天平式ということだが、竜宮城のようなこの強烈なインパクトの楼門は見ようによってはテーマパークの
作り物のようにも。平成大修理できれいになりすぎたためか。しかしこれが辰野金吾とは!
辰野金吾が唐津出身だということは初めて知った。

楼門の中には階段があり、どうやら二階にも上れるようになっているらしい。
敷地内にはいくつかの建物がある。楼門から続く袖楼、正面に現在は資料館となっている「新館」、
左手に元湯の建物、右奥には楼門亭という宿泊棟がある。ここに泊まれるとは驚き!
楼門と新館は重要文化財となっている。
もう夜なので資料館はもちろん閉まっており外から見るのみ。和洋中をミックスしたような風貌の新館は
近年まで浴場として使っていたというのだからすごい。入ってみたかったなぁ。

それにしても楼門と建物に囲まれた部分が全部駐車場になっているのは、とても写真を撮りづらい。
現役の施設だから仕方ないか。。。

さて元湯、券売機で券を買ってフロントへ渡し脱衣所へ入るまではスーパー銭湯と大して変わらないが、
さすがに、半地下へ降りた浴室は素晴らしい!お湯はつるつる、そして見上げる吹抜け空間。

洗い場周りのタイルはさすがにやりかえてあるが、小屋組や湯気抜きの基本構造は建築当初から
変わっていないと思われ、よくぞこのまま使い続けているなと感激する!う~ん、極楽~
上がって外へ出ると、すごいもやが出ていた。さっきの雨で湿度が上がったせいだな。

現実離れした光景を楽しみながら、遠回りして歩いて戻るうちに、もやはどんどん濃くなってきて
信号の光が乱反射してあたり一面が青色になったり赤色になったり、幻想的な世界に。。。。
そのうち、もしここで神隠しにあって消え失せてしまっても、誰にも分からないんじゃないかという
気がしてきて怖くなってきたので、急いで宿へ戻る(苦笑)。

このもやは翌朝まで続いていた。昨日見た建物の明るい写真を撮ろうと朝市を見がてら楼門まで歩く。
マップを見ると温泉旅館街を長崎街道が横断しており、昨日見た古そうな商店はちょうどその街道が温泉街と
交わる辻だったんだな。街道の方へ曲がって少し歩いて行くと、おっ、当たり!洋風の医院建築が。


山の上へ上る石段にも惹かれたが、これから嬉野温泉へ向かう予定なので諦め、温泉の写真を撮りに行く。

新館はまだ開いていないが、楼門の2階へは今なら上れるようだ。200円だが、入浴する場合はタダという。
昨日入ったのだけど・・・当日しかダメらしい(涙)
元湯の入場券は1年間有効だというので、今度いつ来るかわからないけど、登楼だけで200円払う
よりはいいかと400円払う(爆)


1階部分も格天井だったが、2階も折上げ格天井だ。その四隅に、十二支のうちの4つである
ねずみ、うさぎ、うま、とりの透かしがある。そこには手描きの設計図も展示されていたが、
元の設計では3つの楼門が計画されていたといい、十二支のうち4つずつを散りばめる予定だったが
実現したのは1つだけだったとか。

説明では、同じく辰野金吾の設計した東京駅の南北ドームの天井にある8つの透かしと合わせると
十二支が揃うそうで、辰野金吾がここでできなかったものを同時期に手がけていた東京駅で実現させた
と考えられているそうな。何だか謎かけのようだ。

さてもうタイムリミット、バスで嬉野温泉へ向かう。
続く。