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Channel: まちかど逍遥
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軍艦防波堤を見に行く。

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河内貯水池からの続き。

山を下り、ちょいと近代建築巡りをしよう。
大谷会館。正面玄関には大きな車寄せ、その下には半地下の空間があって、中央には扉がある。


何かお墓みたいに見えるのは、やはり宗教施設だからだろうか。


玄関のドアごしにエントランスホールの灯りが見えたが、入れるような雰囲気ではない(汗)



西日本工業倶楽部(旧松本邸)を見に行くべく車を走らせる。分からずぐるぐる回った挙句、
やっと門にたどり着いたら、黒服のお兄さんが、見学の方はご入場頂けないんです、と。
門の外から見るだけと言っても、今日は結婚式をやっておりますので。年に数回公開日があるので
その時にどうぞ、と。冷たいなぁ。。。


車を置いて歩いて行ってみるとお兄さんはおらず、門の外から恨めしげに何枚か写真を撮り、
横の道から裏口を見るのみ。


辰野金吾設計、重要文化財の豪邸。もったいぶらずに見せてほしいなぁ。。


お隣に建つ安川邸も高い塀に囲まれ扉が閉ざされている。現在は使われていないようだ。


ここからすぐ近くを通っているくろがね線を見に行こう。
おや、これは?


変電所だな。「福柳木変電室」か。鉱滓レンガ造で特に装飾もない地味な建物だが、存在感があるな。
ネットフェンスの隙間がなく写真を撮るのも苦労する・・・


くろがね線は以前枝光の切通しでザーザー降りの雨の中見たのだが、記事を探しても見つからない(汗)
書いてなかったのかぁ。。


さて、ここから若戸トンネルをくぐって若松へ向かう。
若松は以前2度ほど行ったことがある。炭鉱の積み出し基地だった若松駅を偲んだり、近代建築を巡ったり、
若松のまちなかは結構歩き回ったのだが、今度行くなら是非見に行きたいと狙っていた場所があった。
それが軍艦防波堤。若松の工場地帯の端の方で、公共交通機関や徒歩ではまず行けない。
今回は車を借りてるので、北九州めぐりの最後に是非ここも!というわけで、だだっ広い埋立地を
15分ぐらい走る。港湾道路の左右には荒地が広がり誰もおらず、ここで車ごと海に落ちても気づいて
もらえないのでは、、、などという不安を感じながら一番先端まで走ると、おや、車がいっぱい!?
何と子供までいる。人里離れた防波堤は釣り楽園となっていた。これなら海に落ちても気づいてもらえるな(爆)

一目見てあれだとわかった。


コンクリートの四角い防波堤の中央に埋まった流線型の鉄の塊。
軍艦と言ってもこんなに小さいんだな、というのが最初の印象。私を含めあまり知らない人は
宇宙戦艦ヤマトみたいな巨大なのを想像してしまいがちだと思うが(笑)、軍艦でもいろいろな
ものがあったのだな。


地上に露出している鉄部は錆び錆びでボロボロだが、本物の軍艦がそのままの形で防波堤になって
いるなんて、とても珍しく興味深い。


脇に説明板があった。それによるとこの船は旧日本海軍の駆逐艦「柳」で、全長85.85m、全幅7.74m。
沖縄特攻作戦で戦艦大和の直衛艦として出撃して大破した後、スクラップされる代わりに防波堤として
響灘の荒波から港を守る役割を仰せつかったのだ。
あと2隻の軍艦、柳よりも少し大型の冬月と涼月も、コンクリートの中に埋まっているという。


船首側は船の形がわかるが、船尾の方はコンクリートにほぼ埋まっており、形だけがかろうじて
判別できる。


今では釣り客の腰かけや作業台の役割も果たし、人々に囲まれ賑わう土曜の昼下がりの軍艦防波堤。
何だかほっこりした気分でそこを後にした。


ここから戸畑のレンタカー屋まで戻るのに、どこかで曲がり損ねたのか、迷って大回りして・・・
なぜか小倉の近くまで回ってしまい・・・大汗。

続く。

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