八代の続き。
前川と球磨川を渡ってやってきたのは、植柳小学校。堤防から下へ下りた細い道に面して正門がある。
このちょっと風変わりな建物は旧講堂。
1925(大正14)年に、植柳村の人々が子供たちのためにお金を出し合って建てたのだとか。
関東大震災の直後であったことと、誇りに思える建物の中で子供たちに学んでほしいという願いから、
当時最新技術の鉄筋コンクリートで、外国で流行していた新古典主義をアレンジしたデザインとなった。
今はもう常用では使われていないようだが、90年経った今もびくともせず建っている。
説明板によると、当時球磨川河口にあった日本セメント工場からセメントを安く仕入れ、砂利は村の
青年団の奉仕により球磨川から運んだのだという。村人が総出で自分たちの子供のために作った校舎で
村人たちの誇りでもあっただろう。
このインパクトある建物は、子供たちの記憶に強く染み付いているに違いない。
さてまた川を渡って戻ってきた。八代の駅の裏側には日本製紙八代工場がある。この敷地内にも
古い建物があるらしいので、ぐるっと回ってみた。
八代駅の構内は広く貨物列車も停まっている。かつては日本製紙工場の中へも引き込まれていたのだろう。
高い煙突と道路を我が物顔に横断するコンベアー(?)
大正の船町あたりや尼崎港線沿線とイメージがラップする。
あれだ!ぐるっと3/4ぐらい回ったあたりに古そうな建物を発見。しかし木に邪魔されてよく見えない。
木と木の間から見ようと思うがまた別の木が・・・・ん~~見えそうで見えない。
旧事務所棟だろうか、クラブだろうか?
工場の受付で、古い建物を見学させてもらえないかと聞いてみて、総務かどこかへ電話をつないでくれたが、
さすがに今日の今日では対応できないとの答え。そりゃそうだわな。。。ということは、事前に頼めば
対応してくれるんだろうか!?
屋根から煙突がそびえているように見える、八代の木造駅舎。
八代も楽しかったなぁ。
駅の上屋の見事な木製トラス。
続く。
前川と球磨川を渡ってやってきたのは、植柳小学校。堤防から下へ下りた細い道に面して正門がある。
このちょっと風変わりな建物は旧講堂。
1925(大正14)年に、植柳村の人々が子供たちのためにお金を出し合って建てたのだとか。
関東大震災の直後であったことと、誇りに思える建物の中で子供たちに学んでほしいという願いから、
当時最新技術の鉄筋コンクリートで、外国で流行していた新古典主義をアレンジしたデザインとなった。
今はもう常用では使われていないようだが、90年経った今もびくともせず建っている。
説明板によると、当時球磨川河口にあった日本セメント工場からセメントを安く仕入れ、砂利は村の
青年団の奉仕により球磨川から運んだのだという。村人が総出で自分たちの子供のために作った校舎で
村人たちの誇りでもあっただろう。
このインパクトある建物は、子供たちの記憶に強く染み付いているに違いない。
さてまた川を渡って戻ってきた。八代の駅の裏側には日本製紙八代工場がある。この敷地内にも
古い建物があるらしいので、ぐるっと回ってみた。
八代駅の構内は広く貨物列車も停まっている。かつては日本製紙工場の中へも引き込まれていたのだろう。
高い煙突と道路を我が物顔に横断するコンベアー(?)
大正の船町あたりや尼崎港線沿線とイメージがラップする。
あれだ!ぐるっと3/4ぐらい回ったあたりに古そうな建物を発見。しかし木に邪魔されてよく見えない。
木と木の間から見ようと思うがまた別の木が・・・・ん~~見えそうで見えない。
旧事務所棟だろうか、クラブだろうか?
工場の受付で、古い建物を見学させてもらえないかと聞いてみて、総務かどこかへ電話をつないでくれたが、
さすがに今日の今日では対応できないとの答え。そりゃそうだわな。。。ということは、事前に頼めば
対応してくれるんだろうか!?
屋根から煙突がそびえているように見える、八代の木造駅舎。
八代も楽しかったなぁ。
駅の上屋の見事な木製トラス。
続く。