新居浜の続き。
さて、レンタカーを借りてから訪れたこちらも今回初訪問、旧広瀬邸である。
広瀬宰平は住友家の初代総理人で、鉱山事業の近代化を成し遂げた人。⇒住友のHP
彼の偉大な功績を紹介する記念館と、旧邸と庭園、そして隣接する亀池をあわせて、広瀬公園として
人々に親しまれている。亀池も、増加する人口に対応するため広瀬宰平が整備した農業用灌漑池のひとつ。
桜林となっている日当たりのよい斜面と、桜とモミジが二段構えで植え込まれた亀池の外周は
入場無料なので、犬の散歩や学校帰りの生徒たちも通る。
花や紅葉の季節にはそれはそれは華やかで賑やかなことだろう。
竹林を抜けて旧広瀬邸の方へ行ってみよう。
レンガで積まれた蔵の軒蛇腹が妻側でちょっと変わった意匠になっている。
広い敷地に点在する附属屋を見ながら歩いていくと美しく手入れされた池泉庭園の向こうに、
主屋が見えてくる。
立派な日本家屋。庭から見えていた続き間の座敷の裏側には実際の生活空間もあり、かなり奥行きがある。
「茶の間」と呼ぶのが似つかわしい小さな居間には、なんと壁にビルトインされた暖炉が!
暖炉風の飾りやストーブ置き場でなく本物のようだ。こういうの、一度見たことがあるなと思ったら、
別子銅山の2代目総理事伊庭貞剛の別荘、住友活機園だった。別子つながり、住友つながりか~!
この広瀬邸本館は、1887(明治20)年に住友出入りの大工棟梁八木甚兵衛により移築、改築されている。
おそらく元の場所に建てたのも八木甚兵衛だろう。
そして住友活機園の設計者は忘れてしまっていたので今調べてみると、洋館は野口孫市だが、和館の方は
やっぱり八木甚兵衛だった!
建物のほぼ中央にあり直接外に面していないこの部屋が明るいのは天窓のおかげ。
暖かく明るいこの部屋は宰平お気に入りだったのだとか。
本館から2年遅れて建てられた新座敷は、別子開坑200年祭の接待館としての役割を持っていたため
茶室や来客用のお風呂、トイレがある。水まわりも当時の様子をそのままとどめていて興味深い。
男性用の小便器が、手作り感溢れる焼き物で、いっちん(絞り出し)による総柄が見事!
端に銘もあり、説明書きによると、京都の陶芸家浅見五郎助の作と見られている。
この広瀬邸は街からまっすぐ山へ向かった上り口にあり、二階からは公園の桜越しに新居浜の街から
海までを一望できる。「望煙楼」とは宰平の漢詩から名づけられたということだが、ここから
銅を精錬する煙を見つめていたのだろうか。
二階は外から見ると普通の和室だが、回廊の手すりが内側だけ少し洋風な意匠になっており、床板も
短手方向に張られていて洋館のベランダをイメージして作ったと見える。
桜が満開になる季節にまた来たいなぁ。
続く。
さて、レンタカーを借りてから訪れたこちらも今回初訪問、旧広瀬邸である。
広瀬宰平は住友家の初代総理人で、鉱山事業の近代化を成し遂げた人。⇒住友のHP
彼の偉大な功績を紹介する記念館と、旧邸と庭園、そして隣接する亀池をあわせて、広瀬公園として
人々に親しまれている。亀池も、増加する人口に対応するため広瀬宰平が整備した農業用灌漑池のひとつ。
桜林となっている日当たりのよい斜面と、桜とモミジが二段構えで植え込まれた亀池の外周は
入場無料なので、犬の散歩や学校帰りの生徒たちも通る。
花や紅葉の季節にはそれはそれは華やかで賑やかなことだろう。
竹林を抜けて旧広瀬邸の方へ行ってみよう。
レンガで積まれた蔵の軒蛇腹が妻側でちょっと変わった意匠になっている。
広い敷地に点在する附属屋を見ながら歩いていくと美しく手入れされた池泉庭園の向こうに、
主屋が見えてくる。
立派な日本家屋。庭から見えていた続き間の座敷の裏側には実際の生活空間もあり、かなり奥行きがある。
「茶の間」と呼ぶのが似つかわしい小さな居間には、なんと壁にビルトインされた暖炉が!
暖炉風の飾りやストーブ置き場でなく本物のようだ。こういうの、一度見たことがあるなと思ったら、
別子銅山の2代目総理事伊庭貞剛の別荘、住友活機園だった。別子つながり、住友つながりか~!
この広瀬邸本館は、1887(明治20)年に住友出入りの大工棟梁八木甚兵衛により移築、改築されている。
おそらく元の場所に建てたのも八木甚兵衛だろう。
そして住友活機園の設計者は忘れてしまっていたので今調べてみると、洋館は野口孫市だが、和館の方は
やっぱり八木甚兵衛だった!
建物のほぼ中央にあり直接外に面していないこの部屋が明るいのは天窓のおかげ。
暖かく明るいこの部屋は宰平お気に入りだったのだとか。
本館から2年遅れて建てられた新座敷は、別子開坑200年祭の接待館としての役割を持っていたため
茶室や来客用のお風呂、トイレがある。水まわりも当時の様子をそのままとどめていて興味深い。
男性用の小便器が、手作り感溢れる焼き物で、いっちん(絞り出し)による総柄が見事!
端に銘もあり、説明書きによると、京都の陶芸家浅見五郎助の作と見られている。
この広瀬邸は街からまっすぐ山へ向かった上り口にあり、二階からは公園の桜越しに新居浜の街から
海までを一望できる。「望煙楼」とは宰平の漢詩から名づけられたということだが、ここから
銅を精錬する煙を見つめていたのだろうか。
二階は外から見ると普通の和室だが、回廊の手すりが内側だけ少し洋風な意匠になっており、床板も
短手方向に張られていて洋館のベランダをイメージして作ったと見える。
桜が満開になる季節にまた来たいなぁ。
続く。