鹿児島の続き。
自転車ではまずはI邸を探しに春日町をうろうろ。春日町あたりは少し丘になっていて山の手の雰囲気。
昔は上町と呼ばれたこの一帯は島津氏のゆかりの地であり、交通の要衝でもあったという。
ほどなく見つかったI邸は絵に描いたような洋館のお屋敷!1ブロック続く石塀にうっそうとした森、
その奥にピンク色の建物の玄関あたりがチラリ。今にも執事が出てきそう(笑)
門扉の鉄柵からカメラを差し入れて・・・てなことをしていると確実に通報されそうなので
どこか外から見えるところがないかとぐるっと1周してみたが、全貌がきれいに見える場所はなく
足元が切れるがこれが精一杯。
今も人が住んでいるのか??ガラス窓には台風対策なのかテープがバッテン状に貼られていて
ひと気はなさそうに見えるが。。。
さて、ぐるっと一周したときに見つけたのがこちら、鹿児島県民教育文化研究所。
事前に印刷して持って来ていた近代建築リストには載っていなかったのだが、これが実にすごかった!!
いや、鹿児島で見た建築で一番よかったと言えるかもしれない。
広く手入れが行き届いたお庭が開いた門から見えていて、これはタダモノではないなと直感。
公開している様子はなかったが車や人の出入りがあったので中へ入って玄関から声をかけると、
今から教育者の会合があるのだという。いったんは断られたが、この玄関を見て見学せず去るのは
残念すぎる。何とかお願いして大急ぎで案内してもらえることになった。やった~~!
施設の方によると、もとは藤武邸という邸宅だった建物を教育相談の施設として使い始めて28年とのこと。
大きな改造もほとんどせず丁寧に使っておられるように見える。
全体的には和館だが、門に近い場所にある玄関と応接の内装はアールデコ風味。上がりかまち部分の
スクリーンのすりガラスには、左右に藤と竹、上に富士山のモチーフが。藤武の名前にかけたユーモアだ。
廊下の床の寄せ木に目が釘づけ!うわ~こんなデザイン見たことない。
この奥には和風の玄関があった。ちゃんと次の間もある。あぁ、こちらが正式な玄関だったのか。
洋風の玄関だと思っていたところは庭への出口テラスだったんだな。
1階の座敷には続々と先生方(?)が集まって来られるが、外側の廊下を通って奥へ。
このときばかりは表と裏の動線が確保されていることに感謝(笑)。
座敷の欄間にも藤の花。
庭に突き出した離れのような部屋は主人のくつろぎの部屋だったのだろう。
L字型に回った広縁と書院造の座敷がスキップフロアのようになっていて、この広縁からは庭全体が
途切れなく眺められ絶景!見るからに居心地がよさそうな広縁の方がメインの居住スペース
だったのだろうと想像する。
庭にある逆さ龍灯篭は火除けの意味があるのだとか。
この建物は書院造と数寄屋が混ざっており、宮大工が釘をいっさい使わずに建てたという。
複雑な天井のおさまり。
この部屋の雨戸は、戸袋から引き出し広縁のコーナーの上下につけられた雨戸返しを支点にして
くるっと90度回すことができる。コーナーに柱がないので眺望を妨げられることがない。
素晴らしいなぁ。
二階も駆け足で見せてもらった。廊下に面した洗面所や階段周りは曲がった皮付きの木材が
使われていたり数寄屋の意匠である。
帰ってからネットで調べたら詳しく書いているサイトがあった。→こちら
それによると、重富島津家の屋敷跡地に地元の豪商藤武呉服店が1936(昭和11)年に建てたものとか。
「春日園」という割烹料亭として使われていた時代もあったそうだ。
この建物の裏にはもうひと棟、附属図書館と書かれた建物があり、そちらは閉まっていて見れな
かったが、主な部分は大急ぎながらだいたい見せて頂き、その素晴らしさを堪能することができた。
ありがとうございました!
あぁ、現地でこんな大物に出会えていきなり満腹。もうこれだけで十分鹿児島に来た甲斐があったな(笑)
続く。
自転車ではまずはI邸を探しに春日町をうろうろ。春日町あたりは少し丘になっていて山の手の雰囲気。
昔は上町と呼ばれたこの一帯は島津氏のゆかりの地であり、交通の要衝でもあったという。
ほどなく見つかったI邸は絵に描いたような洋館のお屋敷!1ブロック続く石塀にうっそうとした森、
その奥にピンク色の建物の玄関あたりがチラリ。今にも執事が出てきそう(笑)
門扉の鉄柵からカメラを差し入れて・・・てなことをしていると確実に通報されそうなので
どこか外から見えるところがないかとぐるっと1周してみたが、全貌がきれいに見える場所はなく
足元が切れるがこれが精一杯。
今も人が住んでいるのか??ガラス窓には台風対策なのかテープがバッテン状に貼られていて
ひと気はなさそうに見えるが。。。
さて、ぐるっと一周したときに見つけたのがこちら、鹿児島県民教育文化研究所。
事前に印刷して持って来ていた近代建築リストには載っていなかったのだが、これが実にすごかった!!
いや、鹿児島で見た建築で一番よかったと言えるかもしれない。
広く手入れが行き届いたお庭が開いた門から見えていて、これはタダモノではないなと直感。
公開している様子はなかったが車や人の出入りがあったので中へ入って玄関から声をかけると、
今から教育者の会合があるのだという。いったんは断られたが、この玄関を見て見学せず去るのは
残念すぎる。何とかお願いして大急ぎで案内してもらえることになった。やった~~!
施設の方によると、もとは藤武邸という邸宅だった建物を教育相談の施設として使い始めて28年とのこと。
大きな改造もほとんどせず丁寧に使っておられるように見える。
全体的には和館だが、門に近い場所にある玄関と応接の内装はアールデコ風味。上がりかまち部分の
スクリーンのすりガラスには、左右に藤と竹、上に富士山のモチーフが。藤武の名前にかけたユーモアだ。
廊下の床の寄せ木に目が釘づけ!うわ~こんなデザイン見たことない。
この奥には和風の玄関があった。ちゃんと次の間もある。あぁ、こちらが正式な玄関だったのか。
洋風の玄関だと思っていたところは庭への出口テラスだったんだな。
1階の座敷には続々と先生方(?)が集まって来られるが、外側の廊下を通って奥へ。
このときばかりは表と裏の動線が確保されていることに感謝(笑)。
座敷の欄間にも藤の花。
庭に突き出した離れのような部屋は主人のくつろぎの部屋だったのだろう。
L字型に回った広縁と書院造の座敷がスキップフロアのようになっていて、この広縁からは庭全体が
途切れなく眺められ絶景!見るからに居心地がよさそうな広縁の方がメインの居住スペース
だったのだろうと想像する。
庭にある逆さ龍灯篭は火除けの意味があるのだとか。
この建物は書院造と数寄屋が混ざっており、宮大工が釘をいっさい使わずに建てたという。
複雑な天井のおさまり。
この部屋の雨戸は、戸袋から引き出し広縁のコーナーの上下につけられた雨戸返しを支点にして
くるっと90度回すことができる。コーナーに柱がないので眺望を妨げられることがない。
素晴らしいなぁ。
二階も駆け足で見せてもらった。廊下に面した洗面所や階段周りは曲がった皮付きの木材が
使われていたり数寄屋の意匠である。
帰ってからネットで調べたら詳しく書いているサイトがあった。→こちら
それによると、重富島津家の屋敷跡地に地元の豪商藤武呉服店が1936(昭和11)年に建てたものとか。
「春日園」という割烹料亭として使われていた時代もあったそうだ。
この建物の裏にはもうひと棟、附属図書館と書かれた建物があり、そちらは閉まっていて見れな
かったが、主な部分は大急ぎながらだいたい見せて頂き、その素晴らしさを堪能することができた。
ありがとうございました!
あぁ、現地でこんな大物に出会えていきなり満腹。もうこれだけで十分鹿児島に来た甲斐があったな(笑)
続く。