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Channel: まちかど逍遥
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保内の近代建築めぐり その1

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石垣の記事を先に書いたのだが、保内では近代建築めぐりが主目的である。
前回八幡浜の近代建築を巡った時に保内も併せて見ようと何となく考えていたのだが、八幡浜から保内は
バスで40分かかるとか(!)であきらめたのだった。2005年に合併して八幡浜市に編入されたが
全く別のまちと考える方がいい。

まずやって来たのは、旧宇都宮壮十郎邸。どう見ても和館なのだが、トラスの小屋組みや暖炉をもつ
和洋折衷の建物だという。ん〜、外から見ているだけでは信じられないなぁ。


隣に建つ白石和太郎家住宅は和館と洋館があり、和館は今も人が住んでおられるように見える。
1854(嘉永7)年棟上げの武家様式で、座敷などが後から増築されているらしい。

白石家は元は酒造業を営む家であったが明治ごろから鉱山を広く経営し、その後紡績業も手がける。
川之石村の有志により設立された宇和紡績を買い受けて大阪紡績株式会社を作り、それが後の
東洋紡績となる。
公共事業への寄付や教育、政治にも尽力し地元の発展に寄与した家だという。


洋館はこじんまり小さな木造擬洋風の建物で、明治30年代の築と推測されている。
窓や入口まわりのペディメントのレリーフなど装飾が豊か。外壁が黒いのは国防色なのだろうか??




見学ができるはずだが、鍵が閉まっている。
ガラスに顔をつけて中を覗くとエントランスホールもいい感じ。開かないのかなぁ?

近くの商店にいた人に聞いてみるとインターホンがある場所を教えてくれ、ピンポンしたら
開けてもらえた!

エントランスホールには郵便局か医院のようにカウンターがあり、天井には天使のレリーフが。
ぼってりとした金太郎のような天使(笑)。バックには世界地図。
紡績の技師として招いたイギリス人向けの宿舎との伝承もあるそうだが、宿舎には見えないなぁ。


1Fは暖炉のある大きな一部屋。暖炉と言っても薪を入れる空間がないのでせいぜいストーブ置き場だろう。
この建物は1994(平成6)年に当時の保内町が保存のために買い取ったそうで、
時々ここでコンサートを開いたりしているという。




急な階段を上った2階には大小3部屋ある(4部屋だったっけ??)。
戦後1989(平成元)年まで、川之石ドレスメーカー女学院として使われていたといい、
当時の生徒さんの作品や、取り外されたドアノブやレリーフなどが展示されていた。
2階の部屋の天井にもバスケットのレリーフが。

入口部分の屋根は銅板葺き。



白石家から少し先へ行ったところにあるカワイシ本舗。ひなび具合が素敵。
これは元々醸造家だった白石家と関連があるのか、ないのか・・・




川沿いから見えるレンガの煙突。「カワ」の部分が折れてしまったのだろうか??


宮内川のほとりを歩き、東洋紡績川之石工場を見に行こう。


続く。

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