マラッカのタイル、でなく、「タイルのマラッカ」(笑)。
いろいろ悩んだが、やっぱり時系列で行くか。。。
2日目は早朝から散歩に。7時からのつもりで外に出てみると真っ暗・・・実は1時間間違って
起きたのだが、窓のない部屋だったため外へ出て初めて気づいたのだった(爆)。
マラッカ川の川べりなどを歩いているうちに日が昇ってきた。
まずはオランダ広場の脇から丘を登る。市街地を見渡す丘の頂上に建つのがセントポール教会。
ポルトガル軍によって1521年に建立されたカトリック教会であるが、その後オランダ、イギリスの
支配時代のプロテスタントの台頭で廃れたとか。
屋根は抜け落ちているが壁は往時の雰囲気を十分伝えている。
ところでこの建物の壁は赤い色から一見赤煉瓦造に見えるがそうではない。
サンゴのように穴の多い、赤い石である。砕いた石を固めた人造石のようにも見えるが、こんな古い
時代にそんなものはなかっただろう。そういえばマラッカ川付近の要塞跡の石垣もこの石だった。
今検索してみると、ラテライトという鉄分とアルミニウムを含んだ石らしい。
丘の反対側へ降りていくと、サンチャゴ砦(ファモサ要塞)。これもポルトガル時代の遺構である。
後年イギリス支配時代に爆破されかけたが、ラッフルズ卿がその重要性を説いたおかげで残ったとか。
これもさっきと同じラテライトを積んで漆喰で固めた構造。
大変貴重な遺構にもかかわらず中に入れるのは驚きだ。おかげでこの砦が、オブジェでなく
建築物であることを感じることができる。
マラッカ川の左岸にはかつて、セントポールの丘を中心としたこのような五角形の要塞が作られていたのだ。
現在の地形と重ね合わせてみると、堀は埋められ、河口部はかなり埋め立てが進んだようだ。
丘のふもとには交通公園のようなものがあり、日本の「汽車製造会社」製の機関車が保存されていた。
1965の年号の入ったプレートがつけられている。イカツくてカッコイイ!!
こんな機関車に引かれた列車に乗ってマレー半島を旅したいなぁ〜
チャイナタウンに戻り、まちなか散策。ようやく明るいところでタイルが見れる。
どの建物も建物の入口は道路から1〜1.5間程度セットバックした構造で作られており、
その床は象嵌タイル、そして壁の腰張りにはマジョリカタイルが張り巡らされているのだ!
うぉぉ〜〜〜!!すごい!!マジョリカタイルは日本製が多いらしいが、イギリス製の
ビクトリアンタイルや銅版転写タイルと思われるものもある。
床の象嵌タイルの産地はわからないが、明らかに品質の高いものとそうでないものがある。
左下のものはとても模様が細かく色の境界がはっきりしている。上質な象嵌タイルが使われている
ところは、壁のタイルもゴージャスな傾向がある。やっぱりお金のかけ方が違うんだろう。
そして右下の、色土タイルと私が呼んでいる鮮やかな無釉のタイル。これもイギリス製だろうか。
模様の部分は象嵌タイルであるが、くっきりとしており上質である。
この美しいグリーン!見るからに洗練された色とデザインは、本場イギリス製だろうな。
右下のは銅版転写だろう。磁器のティーカップを思わせる。
建物の1階をセットバックした造りは台湾や他の華僑の町にも見られるが、ここのは雁木造りのような
通り抜けスタイルにはなっておらず、隣家との間は窓の開いた壁で仕切られていることが多い。
柵を設けている家もあり、あくまで1軒ずつ各家のエントランスポーチである。
プライベート空間だからこそ豪華に飾りたてているのだろう。
興奮はなかなか冷めやらないが・・・おなかもすいてきたので宿へ戻り朝ごはんを。
朝の散歩でかなり見て回ったな。。。
続く。
いろいろ悩んだが、やっぱり時系列で行くか。。。
2日目は早朝から散歩に。7時からのつもりで外に出てみると真っ暗・・・実は1時間間違って
起きたのだが、窓のない部屋だったため外へ出て初めて気づいたのだった(爆)。
マラッカ川の川べりなどを歩いているうちに日が昇ってきた。
まずはオランダ広場の脇から丘を登る。市街地を見渡す丘の頂上に建つのがセントポール教会。
ポルトガル軍によって1521年に建立されたカトリック教会であるが、その後オランダ、イギリスの
支配時代のプロテスタントの台頭で廃れたとか。
屋根は抜け落ちているが壁は往時の雰囲気を十分伝えている。
ところでこの建物の壁は赤い色から一見赤煉瓦造に見えるがそうではない。
サンゴのように穴の多い、赤い石である。砕いた石を固めた人造石のようにも見えるが、こんな古い
時代にそんなものはなかっただろう。そういえばマラッカ川付近の要塞跡の石垣もこの石だった。
今検索してみると、ラテライトという鉄分とアルミニウムを含んだ石らしい。
丘の反対側へ降りていくと、サンチャゴ砦(ファモサ要塞)。これもポルトガル時代の遺構である。
後年イギリス支配時代に爆破されかけたが、ラッフルズ卿がその重要性を説いたおかげで残ったとか。
これもさっきと同じラテライトを積んで漆喰で固めた構造。
大変貴重な遺構にもかかわらず中に入れるのは驚きだ。おかげでこの砦が、オブジェでなく
建築物であることを感じることができる。
マラッカ川の左岸にはかつて、セントポールの丘を中心としたこのような五角形の要塞が作られていたのだ。
現在の地形と重ね合わせてみると、堀は埋められ、河口部はかなり埋め立てが進んだようだ。
丘のふもとには交通公園のようなものがあり、日本の「汽車製造会社」製の機関車が保存されていた。
1965の年号の入ったプレートがつけられている。イカツくてカッコイイ!!
こんな機関車に引かれた列車に乗ってマレー半島を旅したいなぁ〜
チャイナタウンに戻り、まちなか散策。ようやく明るいところでタイルが見れる。
どの建物も建物の入口は道路から1〜1.5間程度セットバックした構造で作られており、
その床は象嵌タイル、そして壁の腰張りにはマジョリカタイルが張り巡らされているのだ!
うぉぉ〜〜〜!!すごい!!マジョリカタイルは日本製が多いらしいが、イギリス製の
ビクトリアンタイルや銅版転写タイルと思われるものもある。
床の象嵌タイルの産地はわからないが、明らかに品質の高いものとそうでないものがある。
左下のものはとても模様が細かく色の境界がはっきりしている。上質な象嵌タイルが使われている
ところは、壁のタイルもゴージャスな傾向がある。やっぱりお金のかけ方が違うんだろう。
そして右下の、色土タイルと私が呼んでいる鮮やかな無釉のタイル。これもイギリス製だろうか。
模様の部分は象嵌タイルであるが、くっきりとしており上質である。
この美しいグリーン!見るからに洗練された色とデザインは、本場イギリス製だろうな。
右下のは銅版転写だろう。磁器のティーカップを思わせる。
建物の1階をセットバックした造りは台湾や他の華僑の町にも見られるが、ここのは雁木造りのような
通り抜けスタイルにはなっておらず、隣家との間は窓の開いた壁で仕切られていることが多い。
柵を設けている家もあり、あくまで1軒ずつ各家のエントランスポーチである。
プライベート空間だからこそ豪華に飾りたてているのだろう。
興奮はなかなか冷めやらないが・・・おなかもすいてきたので宿へ戻り朝ごはんを。
朝の散歩でかなり見て回ったな。。。
続く。