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Channel: まちかど逍遥
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松山近郊の近代建築

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ずいぶんあいてしまったが・・・

伊予長浜から松山市内へ戻って来た。
JR松山駅は旅客ホームのすぐ横に貨物ホームがあって、トラックがずらりとお尻を並べている。
ここで鉄道コンテナをトラックに積み替える作業を行うのだろうか。
地方に行くと貨物と旅客が分離されていない駅がまだあって、その風景に心がときめく(笑)。

市内中心部の主要な近代建築は以前に見ているので(あぁ、まだ書いてないや・・・)、
近郊の建築を見に行こう。

まずは、伊予鉄の横河原線に乗って伊予立花駅で下車。少し戻る方向に歩いていくと、
車窓からも見えていた煉瓦塀とのこぎり屋根の重松倉庫が全容を現す。


見事な8連ののこぎり屋根。

ついに雨が降ってきた。。。

そのへんをうろうろしていたらこんな民家が。なんてことない建物だが、妻壁の斜めの飾りと
大屋根が素敵な雰囲気。


今度は高浜線に乗って山西まで行く。本降りになってきた雨の中、新田高等学校へ向かう。
たちばな館というのが1940(昭和15)年竣工の旧新田中学校本館なのだが、道路からは
裏側しか見えない。。。


見学を申し込もうと思って門を入ったのだが事務室に誰もいなかったため引き返し、写真を1枚だけ
撮らせてもらった。
凸型でシンメトリーのシルエットは学校建築の定番だが、すでに様式建築の装飾はなくモダニズムな
デザイン。車寄せの中央の白い柱がパラペットを貫き縦ラインを強調している。

松山で新田と言えば新田長次郎、ここも関係があるのだろうか?と思っていたが、
今調べてみると、新田長次郎の甥の新田仲太郎という人が新田中学校の創設者なのだとか。

詳しい説明を見つけた→こちら

本降りになってきた雨の中、三津方面へ向かって歩く。
目指したのは、旧白楊会館。1934(昭和9)年竣工、愛媛県立女子師範学校の同窓会館であった。
同窓生の寄付金により建設された白楊会館は、教育、研修、親睦などの場として利用され、
戦後師範学校が廃校になった後も同窓生たちが会館を維持・運営してきたという。


現在は洋食屋からすという店になっているが、この店は2代目で、初代の店がオープンしたときは
近代建築保存活用の好例として注目されたようだが、撤退したらしい。
ネオンサインなどちょっとそぐわないかなと思う演出も集客のためには仕方ないのかも。。。

この近くで同窓会により建立された師範学校跡の碑も見つけた。残された簡素な門と塀に
囲まれた敷地にはマンションが建っていた。

三津港の方まで歩いていく。住吉2丁目にあるらしい旧濱田医院を探すが見つからず。
おかしいなぁ、もう解体されてしまったのかなぁ。。。


港の方に行ってみたら、製材所や倉庫が並び建ち、岸壁にはクレーンが。これも三津の風景。



結局旧濱田医院は見つけられないままタイムアウト。
帰ってから調べてみたら、やっぱりまだあるようだ。ん〜残念。やっぱりスマホにしないとダメかな。。。

このあとひょんの大屋さんと食事をして、大街道からバスでオレンジフェリーの出る東予港へ。
東予行きのバスは中心部を21時頃出るので結構ゆっくりできて便利。
実はそこから大阪行きの深夜バスも出ているのだが・・・(笑)

ぐっすり寝たあと早朝に放り出される港のすがすがしさ(笑)。バスだとぐっすり寝れないので。。。
やっぱりフェリーがいいね!


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