5月の沖縄の続き。
読谷のやちむんの里の近くには座喜味城跡がある。ここは「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として2000年に
世界遺産に登録されている。2~3回は来ているが、この入口脇にある「ユンタンザミュージアム」に初めて入ってみる。
「ユンタンザ」とは「読谷山」のこと。
興味深かったのは、昔から沖縄の建築で使用されてきた地場産建材である琉球石灰岩(琉球トラバーチン)にまつわる展示。
古い石垣などにはサンゴの死骸そのものや不定形の琉球石灰岩などが使われているのを目にするが、建物の基礎や外構、
道路の舗装、墓などにも琉球石灰岩の切石が使われている。
石切場が読谷村の西海岸にあって、コンクリートブロックが普及する前、大正末期から昭和初期まで切り出されていた。
残波崎付近では特に良質の石が採れたという。
展示された写真には満潮時には海水に浸るぐらいの場所に水平なテーブル状の岩が見える。これが石切跡で、
満潮時にそのまま船に乗せて運んでいたのだ。
道具や切り出し作業の図もあって興味津々。
その他沖縄の伝統的なお墓の種類についてや、骨壺である「厨子甕(ジーシガーミ)」の種類や使用年代の年表も興味深い。
沖縄ではかつて人が亡くなると風葬したあと洗骨し厨子甕に入れ墓に納めていた。
そのお墓も亀甲墓や掘込み式の墓で、明らかに日本よりも中国の文化の影響が大きいことが分かる。
読谷村には1959(昭和34)年に火葬場ができた。戦後でもしばらく伝統的な埋葬方法が行われていたのだ。
以前車で丘を抜けて走っていたときに突然巨大で完璧に美しい亀甲墓が目の前に現れて感激したことがあるのだが、
どこだったか記録しておらず・・・。まちなかでもちょっとした隙間の土地に小さな堀込式の墓があったりする。
大通り沿いには本土と変わらないビルやチェーン店舗が並んでも、そういうのを見ると悠久の琉球文化を感じる。
外には6本足の高倉の復元展示があった。
穀物を保存するのに風通しよくネズミなどに食べられないように脚高にするのはどこでも同じだが、床の高さから
茅葺屋根の軒先近くまで斜めに板が張られているのが特徴的。
さて世界遺産の座喜味城は今回はパスして与那原まで走り、聖クララ教会(与那原カトリック教会)を見に行く。
1958(昭和33)年に片岡献の設計により建てられた女子修道院で、アメリカンモダニズムの影響が色濃い。
DOCOMOMO JAPANによりモダン・ムーブメントの建築に選定されている。
それもあってか、シスターに見学を申し入れたら快くどうぞと言って下さった。修道院らしい静謐な雰囲気に
ダメモトと思って写真撮影の可否も尋ねたところ、どうぞいいですよと。えっ、本当ですか。うれしい!
小さな入口から入ると中庭を挟んだ奥に聖堂が見えた。
透かしブロックが使われた回廊を歩いていく。
天井が低くモダンな聖堂は、右側の壁がいちめん色とりどりのガラス張りになっていて、その美しさに息を飲む!
色・大きさをランダムに配された色ガラス。
聖クララ教会は高台に建っており、ガラス張りの外は崖になっていて、眼下には町が広がっている。
全体に低く抑えられた建物はどこか凛とした印象だ。
帰り際にシスターが「いい写真が撮れましたか」と声をかけて下さった。ありがとうございます。あぁ優しい。。
南風原町にある沖縄県公文書館にちょっと立ち寄り。休日なので開いておらず外から眺めるのみ。
1995(平成7)年竣工のRC造の大きな建築。
赤瓦の載った屋根の形状は沖縄風には見えないが、幾重にも重なった屋根は大造りでなく繊細で美しい。
続く。
読谷のやちむんの里の近くには座喜味城跡がある。ここは「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として2000年に
世界遺産に登録されている。2~3回は来ているが、この入口脇にある「ユンタンザミュージアム」に初めて入ってみる。
「ユンタンザ」とは「読谷山」のこと。
興味深かったのは、昔から沖縄の建築で使用されてきた地場産建材である琉球石灰岩(琉球トラバーチン)にまつわる展示。
古い石垣などにはサンゴの死骸そのものや不定形の琉球石灰岩などが使われているのを目にするが、建物の基礎や外構、
道路の舗装、墓などにも琉球石灰岩の切石が使われている。
石切場が読谷村の西海岸にあって、コンクリートブロックが普及する前、大正末期から昭和初期まで切り出されていた。
残波崎付近では特に良質の石が採れたという。
展示された写真には満潮時には海水に浸るぐらいの場所に水平なテーブル状の岩が見える。これが石切跡で、
満潮時にそのまま船に乗せて運んでいたのだ。
道具や切り出し作業の図もあって興味津々。
その他沖縄の伝統的なお墓の種類についてや、骨壺である「厨子甕(ジーシガーミ)」の種類や使用年代の年表も興味深い。
沖縄ではかつて人が亡くなると風葬したあと洗骨し厨子甕に入れ墓に納めていた。
そのお墓も亀甲墓や掘込み式の墓で、明らかに日本よりも中国の文化の影響が大きいことが分かる。
読谷村には1959(昭和34)年に火葬場ができた。戦後でもしばらく伝統的な埋葬方法が行われていたのだ。
以前車で丘を抜けて走っていたときに突然巨大で完璧に美しい亀甲墓が目の前に現れて感激したことがあるのだが、
どこだったか記録しておらず・・・。まちなかでもちょっとした隙間の土地に小さな堀込式の墓があったりする。
大通り沿いには本土と変わらないビルやチェーン店舗が並んでも、そういうのを見ると悠久の琉球文化を感じる。
外には6本足の高倉の復元展示があった。
穀物を保存するのに風通しよくネズミなどに食べられないように脚高にするのはどこでも同じだが、床の高さから
茅葺屋根の軒先近くまで斜めに板が張られているのが特徴的。
さて世界遺産の座喜味城は今回はパスして与那原まで走り、聖クララ教会(与那原カトリック教会)を見に行く。
1958(昭和33)年に片岡献の設計により建てられた女子修道院で、アメリカンモダニズムの影響が色濃い。
DOCOMOMO JAPANによりモダン・ムーブメントの建築に選定されている。
それもあってか、シスターに見学を申し入れたら快くどうぞと言って下さった。修道院らしい静謐な雰囲気に
ダメモトと思って写真撮影の可否も尋ねたところ、どうぞいいですよと。えっ、本当ですか。うれしい!
小さな入口から入ると中庭を挟んだ奥に聖堂が見えた。
透かしブロックが使われた回廊を歩いていく。
天井が低くモダンな聖堂は、右側の壁がいちめん色とりどりのガラス張りになっていて、その美しさに息を飲む!
色・大きさをランダムに配された色ガラス。
聖クララ教会は高台に建っており、ガラス張りの外は崖になっていて、眼下には町が広がっている。
全体に低く抑えられた建物はどこか凛とした印象だ。
帰り際にシスターが「いい写真が撮れましたか」と声をかけて下さった。ありがとうございます。あぁ優しい。。
南風原町にある沖縄県公文書館にちょっと立ち寄り。休日なので開いておらず外から眺めるのみ。
1995(平成7)年竣工のRC造の大きな建築。
赤瓦の載った屋根の形状は沖縄風には見えないが、幾重にも重なった屋根は大造りでなく繊細で美しい。
続く。