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Channel: まちかど逍遥
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旧小田家住宅(小値賀町歴史民俗資料館)を見に行く。

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(2022年2月の旅)
黒島天主堂からの続き。


佐世保に泊まって黒島へ日帰りで行った翌日は、また船に乗って小値賀島へ。今度は佐世保港から出発だから楽々~


びっぐあーすという高速船で約2時間。こちらもやはりダイヤの関係上日帰りのパターンは決まってしまう。
現地では3時間の滞在だが、まぁそのくらいでちょうどいいだろう。




デッキに出られない船は正直退屈だな。。。穏やかな海。うつらうつらしているうちに小値賀島に到着。


小値賀島の小さなターミナル。


乗ってきた船はくるりと回り、宇久島へ向けて再び港を出て行った。


さて、小値賀島のまちを歩き出そう。
長崎でもよく見かける小さな石の祠。屋根の形がふっくらしていてとってもリアルに作り込まれているな!


こちらの建物の壁が何かきらきらしているなと思ったら・・・


洗い出しの壁に、お魚型にカットした貝殻が埋め込まれていた。かわいい~~


昨日の黒島ではキリシタンの人々が潜伏していたため集落は目立たない場所に作られ、私たちが道を歩いても
まちなみを目にすることはほぼなかった。小値賀島も同じように何もない島かと思ったら、港周辺には商店や
飲食店もあって、路地を歩くと人の生活が感じられるまちだった。


さて、小値賀島の目的である旧小田家住宅(小値賀町歴史民俗資料館)へ向かおう。
この上が旧小田家住宅。かつては左側の道までが海であり、スロープが小田家の船着き場だったとか。
ふーん、そう言われるとそう見えてくる。


この門に白無地タイルが使われているのが珍しい。


旧小田家住宅の塀の特徴的な黒い石。何石というのだろうか。


小田家は17世紀の半ばに壱岐島から移住して小値賀島で捕鯨業を興し、財をなした。
もちろん島民たちは捕鯨業に直接携わったほか、「捨てるところがない」と言われる鯨の様々な製品を求めて
全国から商売人が買い付けに訪れたことで商業が発達し島全体に経済発展、都市化をもたらした。
小田家はさらに新田開発、酒造業、廻船業、海産物問屋など広く手がけ、平戸藩の財政にも影響を与えていたとか。


レンガ敷きの土間。殿様用の玄関は別にある。


江戸時代中期に建てられ明治以降の改築も見られる建築だが、その後の改変が少なく、主屋、奥座敷、土蔵が
長崎県の指定有形文化財となっている。建物に加え塀、門、庭園なども往時の状態をよく留めた屋敷である。
そして・・・ここのトイレにはあの、黒島天主堂にあったのと同じ、松尾徳助窯の十字タイルがあるのだ!
それを見に来たわけである。


入場したところ、なんと、写真撮影NGとな!?ええっ、何で~~~?撮影には事前に教育委員会の許可が要ると。。。
お目当てのトイレは中庭にある外便所で、いったん庭に出ないと行けない場所。そして・・・
うわぁ~~~!!2ヶ所の大便所の床に、あのタイルが太い目地を取って四半貼りされていた。壁の足元にも
同じタイルが巻かれている(写真なし/涙)。1ヶ所は便器も瀬戸の角型染付便器だった。
あぁ~~、これを見れて小値賀島へ来た甲斐があった!

しかし何で写真撮影NGなのか・・・すでに町の所有になっているのに。防犯上の理由?
実際、はるばる小値賀島まで行って見学したのに、写真を撮っていないので主屋や奥座敷はどんなだったか
もう忘れてしまった(汗)。

お昼は「寿司平六」で握りを食べた。さすが、唸るおいしさだった!(写真は2人盛)


そのあと船の時間まで駆け足で路地を散策。豆タイルの流しも見つかり、こんな離島まではるばる運ばれて
きたのかとちょっと感動。




ほかにも古い石垣が現れたり魅力的な風景がたくさんあって楽しい路地歩き。




黒島のイメージで3時間あれば十分かと考えていたが、小田家を見てお昼を食べるだけでもうほとんどの時間を
使ってしまった。。。まちはまだ広がっており、見れたのは港周辺のごく狭い範囲のみ。


あぁ、名残惜しいが船の時間が迫ってきたので港へ向かうと、SeaQueenという船が待っていた。


後から考えると、小値賀島って五島列島の上五島に属しており、これは佐世保から日帰りで行く場所ではない。
泊まりで行くべきだったと反省。佐世保からの距離は黒島の約3倍・・・距離感が全然違った(汗)。
もったいなかったな。。。




約2時間で佐世保港に到着。まだまだ日は高い。


続く。

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