(2022年2月の旅)
佐世保からの続き。
佐世保から松浦鉄道で約30分の相浦までやってきた。黒島はそこから船で50分かかる。
船のりばは駅を出て2~3分だ。
世界遺産候補エリア内の教会堂では管理が厳格で、見学するには日時を指定しての事前連絡が必要。
「教会堂は祈りの場」であり観光スポットではないことから、建物内部は撮影不可。電話で問い合わせたときには
「タイルが敷かれている内陣には近寄れない」との話で、現地へ行っても本当にタイルを見ることができるかどうか
分からないまま長崎へ飛んだのだった。
車も積み込める「フェリーくろしま」。
乗り込んでデッキをうろうろ偵察しているうちに出航の時間に。
可動橋みたい。
途中に見えた島。これは佐世保のまちなかでもよく見かけたあの砂岩でできた島だな。
50分などあっという間だ。黒島の姿が見えてきたと思ったらもう入港。
はるばるやってきた黒島は、バスもタクシーもないローカルな島だった(電動キックボードみたいなのはあったらしい)。
船のダイヤのしばりにより3時間半の滞在が必須。教会以外は特に観光施設はなく、ランチも予約なしで入れる店は
1軒のみという。時間が余ってしまうかも。。。
港からヒイヒイ言いながら坂を登り約20分。ようやく見えてきた赤レンガの教会。うぉー、やっと来た!!
改修工事を終えたばかりだからピカピカになっているかと思えば、全然そんなことはなく、自然な感じでなじんでいる。
黒島天主堂はマルマン神父の設計で、1902(明治35)年竣工。松尾徳助窯の十字タイルはこのマルマン神父の
デザインと言われており、まさにこの天主堂のために作ったものだったのだ。
入口を入ると、高い高い木製のヴォールト天井。白木のままの円柱が並ぶ。
そして前の方へ。。。柵や台などの木製の装飾も見事である。そして祭壇が置かれた内陣の床一面に、あの十字タイルが。
うゎーーっ・・・美しい!見れないかもと言われていたが見ることができた!よかった~
内陣の柵の手前からタイルを眺める。間近で見るとタイルは意外に曲がりや反りがあって、大きさも均一でない。
転写模様の色も濃いもの薄いものいろいろ混ざっており、よく見るとヒビの入ったものもある。
明治中期に試行錯誤しながら苦労を重ねて磁器タイルを作ったことがしのばれる。敷き詰められた全体を見れば
個々の違いはむしろ柔らかさを生んでおり、ブルーのじゅうたんのように内陣を明るく彩っていた。
ふと、高窓の色ガラスからプリズムのような原色の光が落ちてきて、床のタイルが多色に染まった。
おぉ・・・なんという神々しさ・・・言葉も出ず、息をのんでしばし見つめた。
そのうち、またふいっと気が変わったように光は消えた。太陽光線がある角度で差し込んだ一瞬の出来事。
そのあとしばらく待っても、タイルの上に色ガラスの光が落ちてくることはなかった。
あの幻の一瞬を写真でお見せできればよかったのだが・・・代わりにこちらのサイトをどうぞ。
https://oratio.jp/p_column/aritayaki-tile
黒島の道端でちょくちょく見られた石積み。建材の石の端材のようだが・・・このような石がどこで採られどこで
使われたのかは不明・・・
天主堂をゆっくり堪能したあと、たった1軒の予約不要の店でランチを食べ、その辺をうろつき何とか3時間半すごした(笑)
続く。
佐世保からの続き。
佐世保から松浦鉄道で約30分の相浦までやってきた。黒島はそこから船で50分かかる。
船のりばは駅を出て2~3分だ。
世界遺産候補エリア内の教会堂では管理が厳格で、見学するには日時を指定しての事前連絡が必要。
「教会堂は祈りの場」であり観光スポットではないことから、建物内部は撮影不可。電話で問い合わせたときには
「タイルが敷かれている内陣には近寄れない」との話で、現地へ行っても本当にタイルを見ることができるかどうか
分からないまま長崎へ飛んだのだった。
車も積み込める「フェリーくろしま」。
乗り込んでデッキをうろうろ偵察しているうちに出航の時間に。
可動橋みたい。
途中に見えた島。これは佐世保のまちなかでもよく見かけたあの砂岩でできた島だな。
50分などあっという間だ。黒島の姿が見えてきたと思ったらもう入港。
はるばるやってきた黒島は、バスもタクシーもないローカルな島だった(電動キックボードみたいなのはあったらしい)。
船のダイヤのしばりにより3時間半の滞在が必須。教会以外は特に観光施設はなく、ランチも予約なしで入れる店は
1軒のみという。時間が余ってしまうかも。。。
港からヒイヒイ言いながら坂を登り約20分。ようやく見えてきた赤レンガの教会。うぉー、やっと来た!!
改修工事を終えたばかりだからピカピカになっているかと思えば、全然そんなことはなく、自然な感じでなじんでいる。
黒島天主堂はマルマン神父の設計で、1902(明治35)年竣工。松尾徳助窯の十字タイルはこのマルマン神父の
デザインと言われており、まさにこの天主堂のために作ったものだったのだ。
入口を入ると、高い高い木製のヴォールト天井。白木のままの円柱が並ぶ。
そして前の方へ。。。柵や台などの木製の装飾も見事である。そして祭壇が置かれた内陣の床一面に、あの十字タイルが。
うゎーーっ・・・美しい!見れないかもと言われていたが見ることができた!よかった~
内陣の柵の手前からタイルを眺める。間近で見るとタイルは意外に曲がりや反りがあって、大きさも均一でない。
転写模様の色も濃いもの薄いものいろいろ混ざっており、よく見るとヒビの入ったものもある。
明治中期に試行錯誤しながら苦労を重ねて磁器タイルを作ったことがしのばれる。敷き詰められた全体を見れば
個々の違いはむしろ柔らかさを生んでおり、ブルーのじゅうたんのように内陣を明るく彩っていた。
ふと、高窓の色ガラスからプリズムのような原色の光が落ちてきて、床のタイルが多色に染まった。
おぉ・・・なんという神々しさ・・・言葉も出ず、息をのんでしばし見つめた。
そのうち、またふいっと気が変わったように光は消えた。太陽光線がある角度で差し込んだ一瞬の出来事。
そのあとしばらく待っても、タイルの上に色ガラスの光が落ちてくることはなかった。
あの幻の一瞬を写真でお見せできればよかったのだが・・・代わりにこちらのサイトをどうぞ。
https://oratio.jp/p_column/aritayaki-tile
黒島の道端でちょくちょく見られた石積み。建材の石の端材のようだが・・・このような石がどこで採られどこで
使われたのかは不明・・・
天主堂をゆっくり堪能したあと、たった1軒の予約不要の店でランチを食べ、その辺をうろつき何とか3時間半すごした(笑)
続く。