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Channel: まちかど逍遥
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豊稔池堰堤を見に行く

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先日の記事でも書いたが、5月に友人と渡邊邸花鳥苑(鳥取邸)を訪れたあと、7月にまた、
花鳥苑の文化財登録を手掛けた設計会社の担当者による解説つきの見学会とマルシェをあわせたイベントがあって
再訪したのだった(花鳥苑の記事は2回の訪問時の写真を併せて紹介した)。
ここだけの訪問ならわずか1か月半後にまた東京から出かけるのはちょっとなぁ・・・と迷っていたのだが、
前回行きたかったが時間がなく行けなかった豊稔池などにも行こうと思い立ち、四国入りを決めたのだった。


花鳥苑から南へ10kmあまり、車だと30分もかからず山の中のダム湖にたどり着く。
豊稔池遊水公園のすぐそばまで車でアプローチできてらくらく!
「水辺の土木」の本で見てからチェックしていた豊稔池。「稔」は「なまず」と勘違いしていたが「みのる」だった(爆)。
長年水不足に悩まされてきた地域なのでこのダムによる豊かな実りを願って名付けられた。
おぉ~~っ!あれか!


1929(昭和4)年完成。当時アメリカの最先端技術を採用した「マルチプルアーチダム」は日本唯一だった。
堤長145.5m、堤高30.4m。
ダム設計のパイオニアと呼ばれる佐藤藤次郎が指導、農民たちが自ら石を積んで築いたという。
豊稔池堰堤は重要文化財に指定されている。


並び立つ柱(バットレス)は巨大で本当に要塞のよう。この柱がダム湖の水圧を支えているのだ。
そしてこの堰堤の真下まで近づけるのがすごい!


見上げると石の柱が頭上に迫ってくる。これで放水したらどれほどの迫力だろうか!!


説明板に「石積み」「コンクリート造」という記載が混在しているのは、堰堤本体はコンクリート造で表面や
一部が石積みということだろうか。さすがに本体が石積みではもたないだろう。。。
昭和63年から平成6年にかけて改修工事が施されている。


この部分は当初からの石積みのように見える。


一つ一つ手で形を整えられ谷積みに積まれた、泥岩のような石。


しばらく遊水公園は独占状態で、あっちから、こっちから、ゆっくりと眺めて楽しんだ。ドライブの立ち寄り
スポットなのだろう、お天気がよいこともありぽつぽつと車で人がやってきたので、そろそろ遊水公園を後にし
今度は上流の方へ行ってみよう。


堰堤を見学できるようちゃんと駐車場も設けられている。
湖のふちに生えた木の枝がじゃまでなかなか視界が開けないが、何とか見えた!


上から見ると、堰堤は上流に向かってアーチが7連並んだ構造になっていて、これが「マルチプルアーチ」なのだ。
うおおぉ~~~、美しい・・・構造美。

私のカメラがあんまりズームしないのがもどかしい。。。

念願の豊稔池堰堤を見れて満足満足!


そして、帰る前に観音寺の共楽湯へ。
古いRC造アパートの1Fがお風呂屋になっていてレトロを地で行く佇まい。いいねぇ~~




明るいうちにお風呂に入る贅沢(笑)


そろそろ時間も迫ってきたので丸亀まで帰ろうと走り出したら、、、うわっ!コンクリートアーチ3連の橋だ!
これは止まらずにおられようか!?アーチひとつでも目を惹くのに、それが3連なのだから映えること映えること!


その名も「三架橋」。観音寺市のサイトによると、1935(昭和10)年架橋。長さ93m、幅員6mの
鉄骨コンクリート下路式タイドアーチ橋で日本百名橋にも選定されている。財田川の河口から数えて3番目の橋だ。
隣接する「琴弾八幡宮」に参賀するのに通る橋ということから「参賀橋」として古くからあった橋らしい。


最後に、駅から少し離れていてこれまで見に行けていなかった丸亀高校を見ていこう。


香川県立高松尋常中学校丸亀分校本館として1893(明治26)年に建てられ、現在は丸亀高校記念館となっている。
木造の美しい建物だ。




このときは羽田→高松、伊丹→羽田というオープンジョーの楽パックを利用、高松で車を借りて遊んだあと
丸亀で返却、岡山へ出て新幹線で大阪へ、実家に帰って泰山タイルのあるヴェルデ辻甚でランチという
なかなか充実の帰省を兼ねた旅だった。

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