今年8月の香川の旅の続き。
![]()
引田にやって来たのは、こちらの讃州井筒屋敷が目的だった。というか、この旅のメインディッシュである。
![]()
讃州井筒屋敷は、旧佐野邸。広い敷地内に、母屋、離れと庭園、そして一から五の蔵があった。
母屋が一般公開されているほか、たくさんの蔵と、ゆったりしたつくりを生かして、まち歩き観光の中心施設
として活用されており、土産物屋、食事処、イベント会場、テナント店舗などが集まる。
![]()
佐野家の祖先は高松藩主生駒氏に仕える郷士であり、江戸時代初期ごろには醤油・酒醸造を開始。
第13代佐野新平のときが最盛期で、彼は本業を拡大するだけでなく多くの会社をおこした実業家であり、
引田村助役や香川県議会議員など要職を歴任した政治家でもあった。
また幼稚園や小中学校の建設に対する寄付や寺社への寄進など、慈善事業も熱心に行っている。
佐野家は東讃地方の近代化、産業の振興に大きな役割を果たした家であったと言える。
![]()
井筒屋のマーク。
帳場を抜けて奥座敷へ。奥座敷は離れのように庭園の中に独立して建つ棟で、母屋から一本の渡り廊下でつながる。
シンプルなつくりで装飾はあまりないが、しっかりした材が使われていると見え、今も全く狂いはない。
![]()
濡れ縁には厚さ1寸(約3cm)のケヤキ材が使われている。
庵治石の産地が近いだけに、お庭には数々の石灯籠や、手水鉢、亀石など、石造物が配されている。
![]()
いったん庭に下りて、奥座敷の裏手へまわったところに浴室と便所がある。なぜ廊下でつなげなかったのかと
いぶかしんでしまうが、、、ここは東門から茶室へ向かう途中にあり、茶室の浴室・便所だったのだろうか。
![]()
こちらがお風呂。奥に浴槽が置かれているが、狭いな!これは確かに水浴び程度のものだろう。
![]()
そしてその奥にある便所に、本業タイルが貼られているのだ!
説明プレートには「タイルは輸入品」と書かれているが、瀬戸の本業タイルだと思うが・・・
![]()
まず大便所への上がり口の床に、四半貼りとは言わないだろうが、45度の角度で5枚敷かれている。
![]()
そして正面の男性用小便器の背後の壁に12枚、床に4枚。合計で21枚の本業タイルが使われていた。
6寸角の、割と見かける柄の2色使いの銅板転写タイル。これは明治後半のものと思われ、その頃に茶室と
あわせて増築したのだろうと想像する。
![]()
![]()
全く新品のような艶!タイルは半永久的に美しさを保つ建材なのである。
![]()
奥座敷をあとにして母屋の方へ。
![]()
![]()
茶室への渡り廊下。茶室は次の記事で紹介する。
![]()
「かまや」というギャラリーになっている道具蔵。
![]()
その中では井筒屋関連の写真や資料と一緒に、金庫が展示されていた。
![]()
ダイヤル部分に「OSAKA KITAMURA MADEBY」と印刻されていた。
![]()
箱は漆塗り、ハンドルは真鍮製。カッコイイなぁ~
![]()
続く。

引田にやって来たのは、こちらの讃州井筒屋敷が目的だった。というか、この旅のメインディッシュである。

讃州井筒屋敷は、旧佐野邸。広い敷地内に、母屋、離れと庭園、そして一から五の蔵があった。
母屋が一般公開されているほか、たくさんの蔵と、ゆったりしたつくりを生かして、まち歩き観光の中心施設
として活用されており、土産物屋、食事処、イベント会場、テナント店舗などが集まる。

佐野家の祖先は高松藩主生駒氏に仕える郷士であり、江戸時代初期ごろには醤油・酒醸造を開始。
第13代佐野新平のときが最盛期で、彼は本業を拡大するだけでなく多くの会社をおこした実業家であり、
引田村助役や香川県議会議員など要職を歴任した政治家でもあった。
また幼稚園や小中学校の建設に対する寄付や寺社への寄進など、慈善事業も熱心に行っている。
佐野家は東讃地方の近代化、産業の振興に大きな役割を果たした家であったと言える。

井筒屋のマーク。
帳場を抜けて奥座敷へ。奥座敷は離れのように庭園の中に独立して建つ棟で、母屋から一本の渡り廊下でつながる。
シンプルなつくりで装飾はあまりないが、しっかりした材が使われていると見え、今も全く狂いはない。

濡れ縁には厚さ1寸(約3cm)のケヤキ材が使われている。
庵治石の産地が近いだけに、お庭には数々の石灯籠や、手水鉢、亀石など、石造物が配されている。

いったん庭に下りて、奥座敷の裏手へまわったところに浴室と便所がある。なぜ廊下でつなげなかったのかと
いぶかしんでしまうが、、、ここは東門から茶室へ向かう途中にあり、茶室の浴室・便所だったのだろうか。

こちらがお風呂。奥に浴槽が置かれているが、狭いな!これは確かに水浴び程度のものだろう。

そしてその奥にある便所に、本業タイルが貼られているのだ!
説明プレートには「タイルは輸入品」と書かれているが、瀬戸の本業タイルだと思うが・・・

まず大便所への上がり口の床に、四半貼りとは言わないだろうが、45度の角度で5枚敷かれている。

そして正面の男性用小便器の背後の壁に12枚、床に4枚。合計で21枚の本業タイルが使われていた。
6寸角の、割と見かける柄の2色使いの銅板転写タイル。これは明治後半のものと思われ、その頃に茶室と
あわせて増築したのだろうと想像する。


全く新品のような艶!タイルは半永久的に美しさを保つ建材なのである。

奥座敷をあとにして母屋の方へ。


茶室への渡り廊下。茶室は次の記事で紹介する。

「かまや」というギャラリーになっている道具蔵。

その中では井筒屋関連の写真や資料と一緒に、金庫が展示されていた。

ダイヤル部分に「OSAKA KITAMURA MADEBY」と印刻されていた。

箱は漆塗り、ハンドルは真鍮製。カッコイイなぁ~

続く。