里庄町の仁科芳雄博士生家の続き。
タイル尽くしのお風呂があったのは離れの棟の奥で、さらに奥には蔵がある。蔵の扉は閉ざされていた。
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この手前にお風呂の焚口がある。レンガ積みになっていて、改修のときもここはさわっていないようだ。
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離れの部屋はシンプルで2間続きになっていた。奥の方の部屋に下ろされていた可動式の梯子は比較的勾配が緩やかで、
2階を覗いてみると十分な高さがあった。博士の勉強部屋だったそうだ。
いろいろ問合せてみたのだが、主屋の江戸時代後期というのも推測であり、ましてや棟ごとの築年は分からず、詳細不明。
この離れは博士の勉強部屋を確保するために増築したのではないかと想像する。そうだとしたら明治30年ごろだろうか。
こんな風通しよく明るく快適な部屋なら勉強も捗ったことだろう。
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ところでここはそれほど大きくない屋敷なのに、大便所と小便所が2組もある。
庄屋や代官の時代には訪れる人が多かったからだろうか。埃だらけだったが、ドアを開けて見せて頂いたところ
大便所の1つは染付便器だった。これもお風呂場の敷瓦と同じく瀬戸製だろうな。
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小便器のひとつは縞模様に釉薬を流したもので、小さな花形の下地窓がぽつんとあるのみ。
この便所は主屋と離れの間にあるが主屋が建てられた時に裏側に張り出してつくられたものだろう。
もう一組の便所は白い陶製便器だった。染付便器は古いものでも明治後期だと思う。
あとから離れを作ったのだとしたらその時に主屋も増改築している可能性はあり、そのときに便器を
取り替えたかもしれない。明治30年ごろなら時代が合いそうだ。
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いったん玄関を出て庭から建物を眺めてみる。本瓦葺の入母屋屋根のすぐ下に下屋がぐるっと回っている。
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裏側のセミオープンなスペースは水場である。
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井戸は塩分を含んでいたらしく、飲み水には適さなかったようだ。昔はこの家のすぐそばまで海だったという。
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梁から吊り下げられているのは、昔の「冷蔵庫」らしい。要は風通しのよい涼しいところに食べ物を保存して
いたのだな。
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敷地内には別棟の茶室もある。こちらも覗いてみよう。
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2部屋続きで、広く開放的。煎茶の茶室だったのだろうか。よく知らないけど・・・
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一部屋は板を組んだ網代天井。板の材はよく分からないが杉ではなさそうな感じ。押さえ縁は丸竹が使われている。
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こちらの部屋の天井は、木の皮を剥いで伸ばしたものだ。杉か・・・?だとしたら網代もやっぱり杉か?
ひと目見て分かるようになりたいものだ(汗)
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この離れにも便所が附属していた。さっきと同じ花形の下地窓があり、大便所の扉の隙間から覗くと染付便器が見えた。
主屋のトイレと同時期に作られたのだろう。
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あぁ、結局2時間ぐらい滞在してじっくり堪能した。。。
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近くには「仁科会館」という施設もあり、生家から大した距離はないがボランティアガイドのおっちゃんが親切に
車で送ってくれた。そこでは仁科芳雄博士の研究や世界に誇る功績の数々についての詳細な資料が展示されている。
また里庄町で過ごした時代の習字や絵や、博士の人柄を知れるもろもろの資料が展示されていて、小学生の学習の場
にもなっている。
帰りも館長さんが車で駅まで送ってくれた。何て親切なんだろう~~
日本にこんなすごい研究者がいて、この小さな町がふるさとだったのだ。私は全然知らなかったし、知っている人は
少ないのではないだろうか。仁科芳雄博士生家のあの素晴らしい建築とタイルの見学と併せて、ぜひ仁科会館の方も
見学してみてほしい。
このあと倉敷へ寄り道。。
タイル尽くしのお風呂があったのは離れの棟の奥で、さらに奥には蔵がある。蔵の扉は閉ざされていた。
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この手前にお風呂の焚口がある。レンガ積みになっていて、改修のときもここはさわっていないようだ。
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離れの部屋はシンプルで2間続きになっていた。奥の方の部屋に下ろされていた可動式の梯子は比較的勾配が緩やかで、
2階を覗いてみると十分な高さがあった。博士の勉強部屋だったそうだ。
いろいろ問合せてみたのだが、主屋の江戸時代後期というのも推測であり、ましてや棟ごとの築年は分からず、詳細不明。
この離れは博士の勉強部屋を確保するために増築したのではないかと想像する。そうだとしたら明治30年ごろだろうか。
こんな風通しよく明るく快適な部屋なら勉強も捗ったことだろう。
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ところでここはそれほど大きくない屋敷なのに、大便所と小便所が2組もある。
庄屋や代官の時代には訪れる人が多かったからだろうか。埃だらけだったが、ドアを開けて見せて頂いたところ
大便所の1つは染付便器だった。これもお風呂場の敷瓦と同じく瀬戸製だろうな。
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小便器のひとつは縞模様に釉薬を流したもので、小さな花形の下地窓がぽつんとあるのみ。
この便所は主屋と離れの間にあるが主屋が建てられた時に裏側に張り出してつくられたものだろう。
もう一組の便所は白い陶製便器だった。染付便器は古いものでも明治後期だと思う。
あとから離れを作ったのだとしたらその時に主屋も増改築している可能性はあり、そのときに便器を
取り替えたかもしれない。明治30年ごろなら時代が合いそうだ。
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いったん玄関を出て庭から建物を眺めてみる。本瓦葺の入母屋屋根のすぐ下に下屋がぐるっと回っている。
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井戸は塩分を含んでいたらしく、飲み水には適さなかったようだ。昔はこの家のすぐそばまで海だったという。
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梁から吊り下げられているのは、昔の「冷蔵庫」らしい。要は風通しのよい涼しいところに食べ物を保存して
いたのだな。
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一部屋は板を組んだ網代天井。板の材はよく分からないが杉ではなさそうな感じ。押さえ縁は丸竹が使われている。
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こちらの部屋の天井は、木の皮を剥いで伸ばしたものだ。杉か・・・?だとしたら網代もやっぱり杉か?
ひと目見て分かるようになりたいものだ(汗)
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この離れにも便所が附属していた。さっきと同じ花形の下地窓があり、大便所の扉の隙間から覗くと染付便器が見えた。
主屋のトイレと同時期に作られたのだろう。
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あぁ、結局2時間ぐらい滞在してじっくり堪能した。。。
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近くには「仁科会館」という施設もあり、生家から大した距離はないがボランティアガイドのおっちゃんが親切に
車で送ってくれた。そこでは仁科芳雄博士の研究や世界に誇る功績の数々についての詳細な資料が展示されている。
また里庄町で過ごした時代の習字や絵や、博士の人柄を知れるもろもろの資料が展示されていて、小学生の学習の場
にもなっている。
帰りも館長さんが車で駅まで送ってくれた。何て親切なんだろう~~
日本にこんなすごい研究者がいて、この小さな町がふるさとだったのだ。私は全然知らなかったし、知っている人は
少ないのではないだろうか。仁科芳雄博士生家のあの素晴らしい建築とタイルの見学と併せて、ぜひ仁科会館の方も
見学してみてほしい。
このあと倉敷へ寄り道。。