2019年10月の弘前の続き。
旧五十九銀行本店(青森銀行記念館)のすぐ近く、追手門広場内にある、旧東奥義塾外人教師館へやって来た。
初日はどんより雨がちの天気で映えない写真しか撮れなかったが、翌日は打って変わって晴天!こちらの写真から始めよう(笑)
東奥義塾とは、藩校であった稽古館を母体として1872(明治5)年に設立された私立の学校。
下見板張りの総2階建ての木造洋館は神戸の異人館みたい。緑色のペイントが上品で引き締まるね!
レンガの煙突もポイントになっている。
この建物は1900(明治33)年の築で、旧五十九銀行と同じく堀江佐吉の手によるもの。
1階はカフェが入っていてお客で混んでいた。大半のスペースがカフェの店内にあたる。
廊下の奥のトイレとお風呂場を見に行くと、青いモザイクタイル貼り。ま、タイル自体はそれほど古くないだろう。
お風呂もお揃い。
2階も見学できる。行ってみよう。
階段ホールから全室へ直接アクセスできる純洋風の間取り。窓が多く明るい書斎。ピンク色の壁がラブリ~~
こちらの主寝室も窓が多いな。やっぱり木造はいい。
ベッドサイドのちょっと引っ込んだコーナーが隠れ家のよう。ここで仕事や書き物をしたら集中できそうだな!
台形の出窓に造りつけられたベンチ。こういう素敵なコーナーがいくつも集まって部屋が出来ているのは、洋館ならでは。
置かれているアンティークな調度品も元からここにあったものだろうか。やはり家具があることで当時の生活が
ありありと思い描けて見るのも楽しい。
これらのいかにも西洋人が快適に暮らせそうな気の利いた空間づくりは、どこかの洋館を下敷きにしたのか、
堀江佐吉は西洋人の生活スタイルも熟知していたのだろうか。
ベランダと書かれた場所は行き止まりの廊下のようなスペースだった。
子供が屋内でも遊べるように梁にブランコが取り付けてあった。
ここのカフェ、さすがに初日から休憩ばかりもしていられないとパスしたのだったが、翌日のランチで実現。
時間が遅めだったからか少し空いていてすんなり入れてよかった!
青森りんご入りのカレーを。
カレーは甘口が好きなお子様の私(笑)、りんごのつぶつぶがほんのり甘くておいしかった!
スイーツも食べたかったなぁ。次回は是非!
続く。
旧五十九銀行本店(青森銀行記念館)のすぐ近く、追手門広場内にある、旧東奥義塾外人教師館へやって来た。
初日はどんより雨がちの天気で映えない写真しか撮れなかったが、翌日は打って変わって晴天!こちらの写真から始めよう(笑)
東奥義塾とは、藩校であった稽古館を母体として1872(明治5)年に設立された私立の学校。
下見板張りの総2階建ての木造洋館は神戸の異人館みたい。緑色のペイントが上品で引き締まるね!
レンガの煙突もポイントになっている。
この建物は1900(明治33)年の築で、旧五十九銀行と同じく堀江佐吉の手によるもの。
1階はカフェが入っていてお客で混んでいた。大半のスペースがカフェの店内にあたる。
廊下の奥のトイレとお風呂場を見に行くと、青いモザイクタイル貼り。ま、タイル自体はそれほど古くないだろう。
お風呂もお揃い。
2階も見学できる。行ってみよう。
階段ホールから全室へ直接アクセスできる純洋風の間取り。窓が多く明るい書斎。ピンク色の壁がラブリ~~
こちらの主寝室も窓が多いな。やっぱり木造はいい。
ベッドサイドのちょっと引っ込んだコーナーが隠れ家のよう。ここで仕事や書き物をしたら集中できそうだな!
台形の出窓に造りつけられたベンチ。こういう素敵なコーナーがいくつも集まって部屋が出来ているのは、洋館ならでは。
置かれているアンティークな調度品も元からここにあったものだろうか。やはり家具があることで当時の生活が
ありありと思い描けて見るのも楽しい。
これらのいかにも西洋人が快適に暮らせそうな気の利いた空間づくりは、どこかの洋館を下敷きにしたのか、
堀江佐吉は西洋人の生活スタイルも熟知していたのだろうか。
ベランダと書かれた場所は行き止まりの廊下のようなスペースだった。
子供が屋内でも遊べるように梁にブランコが取り付けてあった。
ここのカフェ、さすがに初日から休憩ばかりもしていられないとパスしたのだったが、翌日のランチで実現。
時間が遅めだったからか少し空いていてすんなり入れてよかった!
青森りんご入りのカレーを。
カレーは甘口が好きなお子様の私(笑)、りんごのつぶつぶがほんのり甘くておいしかった!
スイーツも食べたかったなぁ。次回は是非!
続く。