2019年夏の新潟の続き。
朝イチでたばこ屋のタイルを見たあと、渡邉邸のすぐ近くにある東桂苑へ行く。
公園のように開かれた敷地の中に、木々にまぎれて邸宅が建っている。
すでに9時をまわり開館して雨戸も開け放たれていた。
昨日の夕方渡邉邸のあとに外観だけ見て写真を撮っておいたのだが、雨戸が立てられていたし雨がちだったので暗く、
今日の青空の下では見違えるように建物が生き生きしている(写真は逆光だが・・・汗)。
お庭から座敷が見えていた。昨日外から見た印象では内部は割と簡素なのかなと思ったので、
さらっと見て次へ行こうと考えていたのだが、、、これはなかなか見ごたえがありそうだな!
苔もいきいき!!カワイイ~~
玄関の鬼瓦と懸魚。残念ながら見学者の入場はここからではなく、脇にある勝手口のような板戸の入口から(苦笑)
この建物は渡邉邸の分家として1905(明治38)年にこの地に建てられた。
分家だから本家よりも質素なのかというとそうではなく、本家は商売をしていたので仕事場や、たくさん抱えていた
従業員のための部屋などが建物の中で大きな割合を占めていたが、こちらは純粋な住宅であったので、全体的に
上質な材が使われ当時の建築技術の粋を集めた繊細な意匠が見られる。
左側のエリアは家族の部屋であったが、こちらも十分こだわりをもってつくられている。
主人の寝室であった8畳間のこの天井は単なる格天井ではない。碁盤を模したもので「碁天井」と呼ばれ、「星」まで
忠実に再現されている。初代の当主渡邉善俊氏が碁が趣味だったため、寝るときも碁を練ったのだという。何と面白い!!
説明板に書かれていた黒柿はこの落としがけのことだな。美しいストライプの模様は数百本に1本ぐらいのレアものだとか。
床框もストライプの入った変わった材が使われている。
こちらが接客用の座敷。さっきの正面玄関から上がった控えの間に続く12.5畳と13.5畳、そして畳縁も
併せると合計42畳か!商売はしていなかったとは言え、善俊氏は庄屋や12村合併後の関村の初代村長を務めた
名士なので、大勢の人を招いての振る舞いなどが行われたようだ。
座敷からお庭を見渡すアングルも計算されているな。
座敷の壁には岡山産のベンガラが使われ華やかな空間を演出。
落としがけの材は漆塗りを一部はがしてあるなど、細部にもこだわりが感じられる。
床の間の側面の透かし彫り。
分かりにくいが、・・・うずら?雷鳥か!?
引き手のデザインもいろいろ。
座敷の外側の濡れ縁の板は継ぎ目のない杉の一枚板が使われている。
2階はお客用の寝室であった。2間半の大きな床の間!木材は柾目のみが使われている贅沢な仕様だ。
宙に浮いたような違い棚。
ちんくぐりの透かし彫りは梅にウグイス・・・でなくホトトギスっぽいな!?
壁紙は当時のものが残る。シダの葉だろうか、上品で素敵な柄だ。
別の階段を上った2階にも客用寝室があった。20人ぐらいは余裕で泊まれただろう。雑魚寝なら30人ぐらいは(笑)
古い便器が残るトイレも特別に見せてもらった。
あちこちに使われているケシガラスはあまり見たことのない模様がちらほら。トイレは桜の模様。かわいい~!
1951(昭和26)年頃まで住まわれていた後は30年間も空き家のままだったという。1982(昭和57)年から
関川村の管理となり、修復工事を経て公園として整備された。村民からの公募により東桂苑という愛称がつけられ、
村指定文化財として大切にされている。
お部屋はイベントなどに使ったり、予約しておけば近隣の料理屋の仕出し弁当を取ることもできるという。いいね!
30分で見る予定だったのだが見どころが多く長居してしまった。次へ急ごう。。。
続く。
朝イチでたばこ屋のタイルを見たあと、渡邉邸のすぐ近くにある東桂苑へ行く。
公園のように開かれた敷地の中に、木々にまぎれて邸宅が建っている。
すでに9時をまわり開館して雨戸も開け放たれていた。
昨日の夕方渡邉邸のあとに外観だけ見て写真を撮っておいたのだが、雨戸が立てられていたし雨がちだったので暗く、
今日の青空の下では見違えるように建物が生き生きしている(写真は逆光だが・・・汗)。
お庭から座敷が見えていた。昨日外から見た印象では内部は割と簡素なのかなと思ったので、
さらっと見て次へ行こうと考えていたのだが、、、これはなかなか見ごたえがありそうだな!
苔もいきいき!!カワイイ~~
玄関の鬼瓦と懸魚。残念ながら見学者の入場はここからではなく、脇にある勝手口のような板戸の入口から(苦笑)
この建物は渡邉邸の分家として1905(明治38)年にこの地に建てられた。
分家だから本家よりも質素なのかというとそうではなく、本家は商売をしていたので仕事場や、たくさん抱えていた
従業員のための部屋などが建物の中で大きな割合を占めていたが、こちらは純粋な住宅であったので、全体的に
上質な材が使われ当時の建築技術の粋を集めた繊細な意匠が見られる。
左側のエリアは家族の部屋であったが、こちらも十分こだわりをもってつくられている。
主人の寝室であった8畳間のこの天井は単なる格天井ではない。碁盤を模したもので「碁天井」と呼ばれ、「星」まで
忠実に再現されている。初代の当主渡邉善俊氏が碁が趣味だったため、寝るときも碁を練ったのだという。何と面白い!!
説明板に書かれていた黒柿はこの落としがけのことだな。美しいストライプの模様は数百本に1本ぐらいのレアものだとか。
床框もストライプの入った変わった材が使われている。
こちらが接客用の座敷。さっきの正面玄関から上がった控えの間に続く12.5畳と13.5畳、そして畳縁も
併せると合計42畳か!商売はしていなかったとは言え、善俊氏は庄屋や12村合併後の関村の初代村長を務めた
名士なので、大勢の人を招いての振る舞いなどが行われたようだ。
座敷からお庭を見渡すアングルも計算されているな。
座敷の壁には岡山産のベンガラが使われ華やかな空間を演出。
落としがけの材は漆塗りを一部はがしてあるなど、細部にもこだわりが感じられる。
床の間の側面の透かし彫り。
分かりにくいが、・・・うずら?雷鳥か!?
引き手のデザインもいろいろ。
座敷の外側の濡れ縁の板は継ぎ目のない杉の一枚板が使われている。
2階はお客用の寝室であった。2間半の大きな床の間!木材は柾目のみが使われている贅沢な仕様だ。
宙に浮いたような違い棚。
ちんくぐりの透かし彫りは梅にウグイス・・・でなくホトトギスっぽいな!?
壁紙は当時のものが残る。シダの葉だろうか、上品で素敵な柄だ。
別の階段を上った2階にも客用寝室があった。20人ぐらいは余裕で泊まれただろう。雑魚寝なら30人ぐらいは(笑)
古い便器が残るトイレも特別に見せてもらった。
あちこちに使われているケシガラスはあまり見たことのない模様がちらほら。トイレは桜の模様。かわいい~!
1951(昭和26)年頃まで住まわれていた後は30年間も空き家のままだったという。1982(昭和57)年から
関川村の管理となり、修復工事を経て公園として整備された。村民からの公募により東桂苑という愛称がつけられ、
村指定文化財として大切にされている。
お部屋はイベントなどに使ったり、予約しておけば近隣の料理屋の仕出し弁当を取ることもできるという。いいね!
30分で見る予定だったのだが見どころが多く長居してしまった。次へ急ごう。。。
続く。