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Channel: まちかど逍遥
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新潟邸宅三昧 椿寿荘(旧田巻邸)

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2019年夏の新潟の続き。

東桂苑を出て新潟方面へ1時間ほど車を走らせ、椿寿荘にやってきた。
予定ではこの近くの店でランチをする予定だったのだが、何と休み。ショック!!代わりになる店も見当たらないので、仕方なく昼抜きで
椿寿荘の見学をすることに。。。(空腹)


道路に面した門を入って右に折れると、立派な薬医門が見えた。
この薬医門は敷地内の別の場所にあった本宅の内門を移築したもので、1778(安永7)年に造られたと言う。
外から見ると手前の売店を兼ねた事務所の建物に隠れているので内側にこんな空間が広がっているとは想像もできなかったな。。。


かつて田上町には2軒の田巻姓の豪農があり、本田巻家と原田巻家と呼ばれていた。こちらの椿寿荘は、原田巻家の離れ座敷である。
原田巻家は幕末から昭和初期まで越後で5本の指に入る豪農で、最盛期には1300町歩を越える大地主だった。
椿寿荘は、第7代堅太郎氏が不況で苦しむ小作人に仕事を与えるために建築し、1918(大正7)年に完成。
小作人に仕事を与えるために屋敷などを建てたという話は、新潟で邸宅をめぐっているとき他でも聞いたような気がするな。。


そして薬医門をくぐると・・・うぉぉ~~!見るからに格式の高そうな玄関!!
日光東照宮と同じ「大名玄関造り」で、式台や腰板には樹齢800年超の会津ケヤキ材が使われている。
この建物は、代々加賀前田藩に仕えた名人の宮大工「越後の角平」の手によるもので、釘を一本も使わず3年半の年月を
かけて造り上げたという。「どれだけ時間がかかってもいいから、できるだけ豪華に」との要請を受け、15年ほどかけて
全国から銘木中の銘木を集められた。6割に木曽檜を使っているという。これが本宅でなく離れとは!!


玄関の天井は互い違いに組み合わさり、格間にも細かい格子が入っている「小組み入り格天井」。究極の格天井だな!


玄関を入ると、正面に置かれた衝立の猩々の舞の絵に迎えられる。これは八方にらみの絵で、どこから見ても自分の方を
睨んでいるように見えるというもの。ちょっと不気味・・・三富与一という画家によって描かれた。


ちょうどこの衝立の裏の部屋、脇の間に大きな仏壇が置かれていた。
これは新津の建築業者が原田巻家から譲り受けて自宅に安置していたものが、近年里帰りしたのだとか。
他の調度品が全く残っていない中で、よそに「疎開」していたことでかえって無事だったのだな!


幅がとても広く折戸式の扉がついている。6枚の扉板にはケヤキの玉杢板が使われている。


荒々しくダイナミックな彫刻。血走ったような龍の目に睨まれると身がすくみそう。


中の「宮殿」もすごい!ミニチュアサイズの木組みや緻密な彫刻。これを見るだけでも当時の田巻家の隆盛が偲ばれる。


三の間、二の間、上段の間、と連続する座敷は建具を取り払うと48畳敷きの大空間となる。


欄間の立体的な菊の透かし彫りも見事である。岩倉知正の作という。


上段の間は格天井。床の間の床框は輪島塗。


横長の長方形に切り取られた庭が緑色に光る。


庭は京都の庭師広瀬万次郎によるもので、禅を表現した京風の枯山水である。
紅葉の季節は特に素晴らしいのだとか。見てみたいなぁ~


露縁の深い庇を支える丸桁は直径30cm、長さ20mもの天然絞りの吉野杉。海路はるばる、信濃川を遡って運んだという。


この土縁にさえ、玄関と同じ樹齢800年のケヤキ材が使われている。


この厚み。


こじんまりと落ち着いた奥座敷。




水まわり。


トイレも漆塗り。


椿寿荘は迎賓館として使われていたが、戦後の農地改革に伴い国に物納された。その後国鉄の保養所となっていたが、
国鉄民営化を期に1987(昭和62)年に田上町が建物を買い取り、田上町指定文化財とした。


農地改革というのは、地主が所有する農地を小作人が耕作し小作料を納めるという地主制度を打破した政策であり、
小作人は搾取されることがなくなったが、地主にとっては残酷なものだな。。。何代にもわたって築いてきた財産を
いきなり手放さされ、一気に没落したという話をあちこちで聞く。そうして土地を離れざるを得なくなるのだ。
ちょっと気の毒な気がするな。。。しかし保養所時代にも建物が改変されることなく残ってよかった。


あぁ、ここでも新潟に蓄積された莫大な富の一端を見た。。。

続く。

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