GWの旧蔵内邸の続き。
こちらは1916(大正5)年頃に増築されたという居間。ちょうど五月の節句の飾りが部屋いっぱいに広げられていた。
ちょっと暗くて見にくいが、欄間には鳳凰の透かし彫りがはめ込まれている。居間というと生活空間であり
もてなしの場とは一転して地味なことが多いが、鳳凰とは、華やかだな!
廊下に面して丸窓も。
そして廊下ごしにお庭も見える!
居間の隣には仏間がある。ここは明治30年代に最初に建てられた主屋の一部で、奥まったところに豪華な仏壇が
納められている。仏間には写真撮影禁止の札が立っており写真はないが、仏壇の周りの壁には金唐革紙が貼られている。
金唐革紙は、紙にエンボス加工、金泥などで着色して革細工の質感を模したもの。呉の入船山記念館、岡谷の旧林家住宅
(書いてなかった汗)、それに北海道の小林家住宅(写真撮影不可・・)でも見たな。ここのは最古級とのこと。
係りの方に尋ねたら仏壇以外ならよいということだったので、床の間の写真を。この左手に仏壇がある。
続き間となっている隣室との間の欄間は櫛のように目が細かい筬欄間。・・・この右手に仏壇がある(笑)。
決して仏壇は撮っていないので、あしからず。
これも確か仏間だったと思う・・・焼物製の美しい引き手。
これは隣の部屋だったかも・・・?下の引き出し部分に鶴の絵の染付の陶板がはまった小さな箪笥。素敵!
上の扉部分は摺り染めした麻布が貼られている。日本のものではないのかな?
引き出しの引き手をよく見ると、蝙蝠形だ!
玄関の間は、さっきの旧玄関を入ったところであり、大理石の大きな板が敷き詰められていた大玄関の床とは
打って変わって地味なモルタル土間。しかし壁は縦材と横材を格子状に入れたハーフティンバー。そして力強い根太天井、
欅の天井板。
仏間と玄関の間とのあいだの部屋まで、根太天井は続いている。この棟は2階建てなのだ。
しかし2階は立入禁止だった。
その部屋に置かれていた戸棚、この扉に貼られているは金唐革紙じゃないの!?
大広間へ行く途中の廊下にも吊り床があった。
大広間に隣接する控えの間。
18畳2部屋からなる大広間には、幅1間の「入縁側」がぐるりとまわり、合計60畳という広大な空間となる。
入縁側の弓形天井は屋久杉が使われている。
床の間は舞台のように大きい!
書院と、神殿。もうこれはほとんど別室だな!
この大広間は1918(大正7)年に増築された。もともとは応接間からの景色を考えて造られていた庭園も、
大正時代の増築と同時に大幅な改造や増築が行われたという。各部屋や廊下、いろんな角度から眺めて多彩な景色を
楽しめるようになっている。
作庭にも煎茶文化が取り入れられているとか。
続く。
こちらは1916(大正5)年頃に増築されたという居間。ちょうど五月の節句の飾りが部屋いっぱいに広げられていた。
ちょっと暗くて見にくいが、欄間には鳳凰の透かし彫りがはめ込まれている。居間というと生活空間であり
もてなしの場とは一転して地味なことが多いが、鳳凰とは、華やかだな!
廊下に面して丸窓も。
そして廊下ごしにお庭も見える!
居間の隣には仏間がある。ここは明治30年代に最初に建てられた主屋の一部で、奥まったところに豪華な仏壇が
納められている。仏間には写真撮影禁止の札が立っており写真はないが、仏壇の周りの壁には金唐革紙が貼られている。
金唐革紙は、紙にエンボス加工、金泥などで着色して革細工の質感を模したもの。呉の入船山記念館、岡谷の旧林家住宅
(書いてなかった汗)、それに北海道の小林家住宅(写真撮影不可・・)でも見たな。ここのは最古級とのこと。
係りの方に尋ねたら仏壇以外ならよいということだったので、床の間の写真を。この左手に仏壇がある。
続き間となっている隣室との間の欄間は櫛のように目が細かい筬欄間。・・・この右手に仏壇がある(笑)。
決して仏壇は撮っていないので、あしからず。
これも確か仏間だったと思う・・・焼物製の美しい引き手。
これは隣の部屋だったかも・・・?下の引き出し部分に鶴の絵の染付の陶板がはまった小さな箪笥。素敵!
上の扉部分は摺り染めした麻布が貼られている。日本のものではないのかな?
引き出しの引き手をよく見ると、蝙蝠形だ!
玄関の間は、さっきの旧玄関を入ったところであり、大理石の大きな板が敷き詰められていた大玄関の床とは
打って変わって地味なモルタル土間。しかし壁は縦材と横材を格子状に入れたハーフティンバー。そして力強い根太天井、
欅の天井板。
仏間と玄関の間とのあいだの部屋まで、根太天井は続いている。この棟は2階建てなのだ。
しかし2階は立入禁止だった。
その部屋に置かれていた戸棚、この扉に貼られているは金唐革紙じゃないの!?
大広間へ行く途中の廊下にも吊り床があった。
大広間に隣接する控えの間。
18畳2部屋からなる大広間には、幅1間の「入縁側」がぐるりとまわり、合計60畳という広大な空間となる。
入縁側の弓形天井は屋久杉が使われている。
床の間は舞台のように大きい!
書院と、神殿。もうこれはほとんど別室だな!
この大広間は1918(大正7)年に増築された。もともとは応接間からの景色を考えて造られていた庭園も、
大正時代の増築と同時に大幅な改造や増築が行われたという。各部屋や廊下、いろんな角度から眺めて多彩な景色を
楽しめるようになっている。
作庭にも煎茶文化が取り入れられているとか。
続く。