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Channel: まちかど逍遥
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生野のまちをうろつく。2

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生野の続き。

ひな祭りで公開している民家は結構な数あり、古い邸宅の門をくぐり玄関先や表の間まで踏み込んで見れると
いうのはとてもありがたい機会。今も住んでおられるから美しく維持されているのだ。


生野のまちなみを特徴づけている、独特の風合いを持つ赤黒い色の瓦は、鉄分の多い土で作られた生野瓦。
昭和10年ごろからは作られなくなったとか。復刻品が作られ補修や修景に使われているが、オリジナルの生野瓦は
減ってきているそうだ。




魅惑的な路地。


前にも来た甲社宅(旧生野鉱山職員宿舎)にやって来た。
平安時代に開坑したと伝えられる生野鉱山は明治維新後に官営となり、1896(明治29)年に三菱合資会社に
払い下げられる。この宿舎のうち7・8・9号は官営時代の1876(明治9)年に建てられたもので、
オリジナル部材をできるだけ使って、明治、大正、昭和、の官舎の様子を復原してある。19号は三菱時代に
建てられたもので、今は宿泊体験ができるとかで、モザイクタイル貼りのお風呂も新しく作られていた。




スレートのような風合いのこれは、カラミを型に流し込んで作ったカラミ瓦。
大正11年、鉱山の近くで行われていた精製工程を瀬戸内海に浮かぶ直島の三菱合資会社中央精錬所に移すと
カラミの利用も高度化され、このようなカラミ瓦に加工された。社宅の建設資材として、生野でも使われたという。




カラミ石の石垣が見事なお寺。口銀谷の山の手にはお寺がずらりと並んでいる。




生野警察署。明治建築らしい三角形のペディメントを持つ下見板張りの擬洋風建築。軒蛇腹がすごい!
今回は電車の時間が迫っていたので近寄らず通りがかりに道路から眺めるのみ。。


SNSでも見ていたこの建物、素敵な丸窓もあるが・・・崩壊寸前(汗)。これはかわいそうだが、危険だな。。。


こちらもしもたやの元商店。ショーウィンドウがちょっと変わっている。


近寄ってみるとこんな曲面づかいの造形で洗い出し仕上げ。


なまこ壁の稲垣医院。
細かく見ていけばもっと楽しめそうな生野のまち。前回見たトロッコ軌道跡なども今回は見る時間がなかったけど、
銀の馬車道、鉱石の道として日本遺産に選定されているし、また来る機会もあるだろう。
実は私は口銀谷は2回目だが、生野銀山にまだ行っていない。神子畑も明延も、いつかゆっくりと思いながら
行っていないのだ(爆)。


JR生野駅の脇に建つ旧日下旅館。1910(明治43)年に2階建てで建てられ、1921(大正10)年に
3階建ての部分を増築したらしい。ずいぶん昔に廃業されたような雰囲気だ。




もう一方の脇建っている建物も元旅館と見て間違いないだろう。玄関の両脇には丸窓が配されている。


近寄ってみると、丸竹を曲げて作られた松のデザイン。しゃれているな!

こちらももちろん営業されていないが、鉱山で賑わった時代に駅前旅館が訪問者を迎えていた風景がそのまま
残っているのは貴重だな!再び観光向けの施設として活用されればいいなぁ。このロケーションと建物、
大きなポテンシャルを秘めていると思うな!



続く。

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