生野の続き。
生野クラブや口銀谷銀山町ミュージアムセンターの他に、生野のまちをうろうろしたときに見た建物などを順不同で。
生野駅から歩いてまちなみの中心部へ向かう途中、旧海崎医院のひときわ古びた板壁の小屋が道路に面して建っている。
一見蔵のようだが、よろい戸がついた縦長窓と細かい軒蛇腹が洋風を目指した意思を語っている。明治時代の擬洋風建築だ。
道路から外観の写真を撮っていたら、ちょうどそこのご主人が車で帰って来られ、何と中を見せてもらえることに。
小さな洋館だが奥行半間ほどの踏み込みのスペースがとられ、その奥に4畳半くらいの部屋があった。
その天井は格天井で、9×8=72に分割された格間には花鳥画が描かれている!可憐な草花、月と太陽、鳥、、、
ひとつひとつ全部違っている。すごい!!
しかしやはり雨漏りで傷んでいるところもあり、、、もったいないな。
ここは医院の待合室だったといい、受付窓口も残っていた。昔は主屋の診療室に続いていたらしい。
その手前の踏み込みスペースの天井には、こんな鷹(?)の絵が!うわ~~カッコイイ!
主屋の前には古い屋根瓦が山積みされていた。聞けば、雨漏りしていたので古い瓦を下ろしてトタン葺きにしたと言う。
やはりどこも古い建物は維持が大変だが、使っていないにもかかわらず朽ちる前にちゃんと手を入れられたのは頭が下がる。
この日はひなまつりということで、普段公開していない現役民家も表の間にお雛様を飾り、門を開け放して公開していた。
そんな家をちらちら見つつ歩く。
すごい重厚な木製の軒蛇腹のある、松本邸。松一醤油店邸宅として明治時代後期~大正時代に建てられたもの。
軒蛇腹があるのは大正時代に建てられた棟。内部にタイルとかありそうだなぁ〜(笑)
立派な大屋根が見えたので近づいてみると、天理教の建物だった。
入母屋造りだがちょっと変わった感じ。赤黒い屋根瓦で鬼瓦がダブルで。
こちらも戦後建築だがちょっと古そうだな。何の建物だったんだろう。ドレスメーカーっぽい感じだが・・・
近寄ってみると、珠算学校のようだ。そろばんって懐かしい。私が子供の頃は習い事の定番だったが(笑)
今の子もそろばんを習っているんだろうか。ちなみに算数数学はずっと苦手で、私の場合は全然役に立たなかったな(爆)
こちらは生野まちづくり工房となっている、井筒屋。江戸時代に6軒あった公事人の宿のうちのひとつ、
旧吉川邸を整備した、まちづくりの拠点施設である。観光案内所やカフェなども入っており、観光の拠点でもある。
母屋は1832(天保3)年に建てられたものとか。奥の蔵も見学することができる。
カラミ石を積み上げた塀は鉱山町らしい風景。カラミは鉱石を精製する時に出る不純物で、昔は川に捨てていたが、
銀の生産量が増えるに伴い産廃の問題が大きくなり、固めて建築土木資材として使用されるようになった。
当然閉山後はカラミが出ないのでカラミ石はもう再生産されない。時代限定、地域限定の風景である。
家々の外構部にもカラミ石が使われている。ここのはすごくブロックが大きい。
他の鉱山町でも見られるものだが、「カラミレンガ(鉱滓レンガ)」に加工して塀などに使っているところが多いかな。
成分がまた違うのかもしれない。
口銀谷銀山町ミュージアムセンターの隣に建つカトリック仁豊野教会生野分教会。先日の記事に書いたとおり、
1965(昭和40)年の建物だ。緩い勾配の屋根、一部石張りの壁、穴あきブロック使い、、、各パーツは
その時代を感じさせる。落ち着いた雰囲気の建物だな。
中を見学させてもらおうとドアを入ると、おぉ!?穴あきブロックにはこんな色のガラスがはまっていたのか!
意外なカラフル空間に驚いた。聖堂へのドアは閉まっていて、中から声が聞こえる。ミサ中のようなのでここまでにしておこう。
この教会はミサの時しか開けないのだろう、隣でランチしている間に、人が出てきて鍵をかけて帰ってしまった。
続く。
生野クラブや口銀谷銀山町ミュージアムセンターの他に、生野のまちをうろうろしたときに見た建物などを順不同で。
生野駅から歩いてまちなみの中心部へ向かう途中、旧海崎医院のひときわ古びた板壁の小屋が道路に面して建っている。
一見蔵のようだが、よろい戸がついた縦長窓と細かい軒蛇腹が洋風を目指した意思を語っている。明治時代の擬洋風建築だ。
道路から外観の写真を撮っていたら、ちょうどそこのご主人が車で帰って来られ、何と中を見せてもらえることに。
小さな洋館だが奥行半間ほどの踏み込みのスペースがとられ、その奥に4畳半くらいの部屋があった。
その天井は格天井で、9×8=72に分割された格間には花鳥画が描かれている!可憐な草花、月と太陽、鳥、、、
ひとつひとつ全部違っている。すごい!!
しかしやはり雨漏りで傷んでいるところもあり、、、もったいないな。
ここは医院の待合室だったといい、受付窓口も残っていた。昔は主屋の診療室に続いていたらしい。
その手前の踏み込みスペースの天井には、こんな鷹(?)の絵が!うわ~~カッコイイ!
主屋の前には古い屋根瓦が山積みされていた。聞けば、雨漏りしていたので古い瓦を下ろしてトタン葺きにしたと言う。
やはりどこも古い建物は維持が大変だが、使っていないにもかかわらず朽ちる前にちゃんと手を入れられたのは頭が下がる。
この日はひなまつりということで、普段公開していない現役民家も表の間にお雛様を飾り、門を開け放して公開していた。
そんな家をちらちら見つつ歩く。
すごい重厚な木製の軒蛇腹のある、松本邸。松一醤油店邸宅として明治時代後期~大正時代に建てられたもの。
軒蛇腹があるのは大正時代に建てられた棟。内部にタイルとかありそうだなぁ〜(笑)
立派な大屋根が見えたので近づいてみると、天理教の建物だった。
入母屋造りだがちょっと変わった感じ。赤黒い屋根瓦で鬼瓦がダブルで。
こちらも戦後建築だがちょっと古そうだな。何の建物だったんだろう。ドレスメーカーっぽい感じだが・・・
近寄ってみると、珠算学校のようだ。そろばんって懐かしい。私が子供の頃は習い事の定番だったが(笑)
今の子もそろばんを習っているんだろうか。ちなみに算数数学はずっと苦手で、私の場合は全然役に立たなかったな(爆)
こちらは生野まちづくり工房となっている、井筒屋。江戸時代に6軒あった公事人の宿のうちのひとつ、
旧吉川邸を整備した、まちづくりの拠点施設である。観光案内所やカフェなども入っており、観光の拠点でもある。
母屋は1832(天保3)年に建てられたものとか。奥の蔵も見学することができる。
カラミ石を積み上げた塀は鉱山町らしい風景。カラミは鉱石を精製する時に出る不純物で、昔は川に捨てていたが、
銀の生産量が増えるに伴い産廃の問題が大きくなり、固めて建築土木資材として使用されるようになった。
当然閉山後はカラミが出ないのでカラミ石はもう再生産されない。時代限定、地域限定の風景である。
家々の外構部にもカラミ石が使われている。ここのはすごくブロックが大きい。
他の鉱山町でも見られるものだが、「カラミレンガ(鉱滓レンガ)」に加工して塀などに使っているところが多いかな。
成分がまた違うのかもしれない。
口銀谷銀山町ミュージアムセンターの隣に建つカトリック仁豊野教会生野分教会。先日の記事に書いたとおり、
1965(昭和40)年の建物だ。緩い勾配の屋根、一部石張りの壁、穴あきブロック使い、、、各パーツは
その時代を感じさせる。落ち着いた雰囲気の建物だな。
中を見学させてもらおうとドアを入ると、おぉ!?穴あきブロックにはこんな色のガラスがはまっていたのか!
意外なカラフル空間に驚いた。聖堂へのドアは閉まっていて、中から声が聞こえる。ミサ中のようなのでここまでにしておこう。
この教会はミサの時しか開けないのだろう、隣でランチしている間に、人が出てきて鍵をかけて帰ってしまった。
続く。