生野の続き。
ひな祭り開催中の生野のまちでランチできるお店を探していたら、「口銀谷銀山町ミュージアムセンター」になっている
旧浅田邸で、ちらし寿司などをいただけるというので、生野クラブを見たあとに戻ってきた。
浅田家は江戸時代から代々続いた「地役人」だった家。浅田貞次郎は明治の近代化の時代に播但鉄道の開設に尽力し
生野銀行の初代頭取を務めるなど生野鉱山や生野のまちの発展に貢献した人である。そしてその三男の養蔵が
1932(昭和7)年にこの邸宅を建てた。
急勾配の三角屋根の小さな洋館は道路からでも目を引く。こちらは和館よりも古く大正時代に建てられたものとか。
外壁はワラビが美しいスクラッチタイル貼り。
その洋館でも食事できるというので迷わずそちらへ。
別に独占したわけじゃないのだが、寒いからかお座敷席が人気のようで洋室は貸切状態。気兼ねなく写真を撮りながら
温かいぜんざいとちらし寿司、いなり寿司を頂きマッタリ過ごした。
素敵な呼び鈴。
洋室前の廊下に面したトイレの戸はこんな三階菱のガラス窓つき。
食べ終わったら和館の方を見学。スタッフの方はお客が多くて忙しそうだったが、快くどうぞと言ってくれて、
好きなように見て回ることができた。
こちらは、二方向にドアが開けられる電話室。一度に両方のドアを開けると何だか不思議なスペース。
座敷前の広い廊下にも席が設えてあったが、さすがに寒いので利用している人はおらず・・・
大きなガラス窓からお庭や洋館がきれいに見える!
隣にあるカトリック仁豊野教会生野分教会の建物もよく見える。浅田邸との間に仕切りはなく直接接して建てられて
いるな?と思ったら、戦後、淳心会が旧浅田邸と隣の敷地を購入して、1953(昭和28)年に生野教会を設立したとか。
1965(昭和40)年に隣接地に新聖堂が完成するまでは、この邸宅自体が教会として使われ、1階の座敷で
ミサが行われていたとか。 →こちらの年表による
浅田邸はその後2008(平成20)年に朝来市が買い取り改修され、2010(平成22)年に、隣の旧吉川邸と
ともに口銀谷銀山町ミュージアムセンターとして再生された。「新聖堂」の方は今も現役の教会堂だ。
1階の座敷には子供などお客がいたため欄間の写真のみ。老松と鶴が透かし彫りされた立派なもの。
書院の格子窓は蝙蝠形?
1階の廊下を奥まで行って右手へ曲がると蔵に通ずる裏口があった。床に味わいのある施釉クリンカータイルが
敷かれている。蔵でも展示をやっていてこちらから入ってくるお客さんも多いので、靴がいっぱい(苦笑)。
あとでお客が途切れた瞬間を狙って撮った。
2階にも座敷があって、廊下はサンルームのように明るい。透かし彫りのある欄干がぐるりと回っている。
狭く装飾もない階段を降りているとき、手すりに目が止まる。よくあるどうってこともない手すりなのだが・・・
よく見たら、バーを固定する端のパーツが木製だ!真鍮製とかめっきされた金属製しか見たことなかったなぁ~
生野教会時代に取り付けられたものと思われ、それほど古くはないのだろうが、何か気に入ってなで回したのだった(笑)
続く。
ひな祭り開催中の生野のまちでランチできるお店を探していたら、「口銀谷銀山町ミュージアムセンター」になっている
旧浅田邸で、ちらし寿司などをいただけるというので、生野クラブを見たあとに戻ってきた。
浅田家は江戸時代から代々続いた「地役人」だった家。浅田貞次郎は明治の近代化の時代に播但鉄道の開設に尽力し
生野銀行の初代頭取を務めるなど生野鉱山や生野のまちの発展に貢献した人である。そしてその三男の養蔵が
1932(昭和7)年にこの邸宅を建てた。
急勾配の三角屋根の小さな洋館は道路からでも目を引く。こちらは和館よりも古く大正時代に建てられたものとか。
外壁はワラビが美しいスクラッチタイル貼り。
その洋館でも食事できるというので迷わずそちらへ。
別に独占したわけじゃないのだが、寒いからかお座敷席が人気のようで洋室は貸切状態。気兼ねなく写真を撮りながら
温かいぜんざいとちらし寿司、いなり寿司を頂きマッタリ過ごした。
素敵な呼び鈴。
洋室前の廊下に面したトイレの戸はこんな三階菱のガラス窓つき。
食べ終わったら和館の方を見学。スタッフの方はお客が多くて忙しそうだったが、快くどうぞと言ってくれて、
好きなように見て回ることができた。
こちらは、二方向にドアが開けられる電話室。一度に両方のドアを開けると何だか不思議なスペース。
座敷前の広い廊下にも席が設えてあったが、さすがに寒いので利用している人はおらず・・・
大きなガラス窓からお庭や洋館がきれいに見える!
隣にあるカトリック仁豊野教会生野分教会の建物もよく見える。浅田邸との間に仕切りはなく直接接して建てられて
いるな?と思ったら、戦後、淳心会が旧浅田邸と隣の敷地を購入して、1953(昭和28)年に生野教会を設立したとか。
1965(昭和40)年に隣接地に新聖堂が完成するまでは、この邸宅自体が教会として使われ、1階の座敷で
ミサが行われていたとか。 →こちらの年表による
浅田邸はその後2008(平成20)年に朝来市が買い取り改修され、2010(平成22)年に、隣の旧吉川邸と
ともに口銀谷銀山町ミュージアムセンターとして再生された。「新聖堂」の方は今も現役の教会堂だ。
1階の座敷には子供などお客がいたため欄間の写真のみ。老松と鶴が透かし彫りされた立派なもの。
書院の格子窓は蝙蝠形?
1階の廊下を奥まで行って右手へ曲がると蔵に通ずる裏口があった。床に味わいのある施釉クリンカータイルが
敷かれている。蔵でも展示をやっていてこちらから入ってくるお客さんも多いので、靴がいっぱい(苦笑)。
あとでお客が途切れた瞬間を狙って撮った。
2階にも座敷があって、廊下はサンルームのように明るい。透かし彫りのある欄干がぐるりと回っている。
狭く装飾もない階段を降りているとき、手すりに目が止まる。よくあるどうってこともない手すりなのだが・・・
よく見たら、バーを固定する端のパーツが木製だ!真鍮製とかめっきされた金属製しか見たことなかったなぁ~
生野教会時代に取り付けられたものと思われ、それほど古くはないのだろうが、何か気に入ってなで回したのだった(笑)
続く。