チェックしていた生野クラブへ、ひな祭りのタイミングで友人らと日帰りで行ってきた。
久々に18きっぷを使ったら、遠い・・・(汗)、3時間近くかかって到着。
生野は以前ひとりで来たことがあり(あぁ、書いてない・・)、口銀谷のまちをうろついて建物を見て回ったのだが、
ここは見ていなかった。2011年時点ではまだ公開していなかったのだと思う。
1886(明治19)年に大山師(鉱山経営者)松本林右衛門の邸宅として建てられた、数寄屋造りの近代和風建築。
混んでいるかと思ったが先客は1~2組ぐらいでゆうゆう。
1階の続き間の座敷におひな様が展示してあったが、もっぱら建物を見る私たち(苦笑)
二間の間の欄間は一部欠けてしまっているが、扇を散らしたデザインでしゃれている。
うぐいす色の壁が美しい。床の間には曲面づかいの棚や、4段の違い棚など高い技術を要するであろう造作が。
書院の欄間は、うずら(?)と植物の背景に破れ格子を配したデザイン。
こんな竹を曲げて編んだような下地窓はありそうでなかったな。
さて目当てのお風呂場はどこかな・・・
ここだ!うわぉ~~皆テンション急上昇!!
手前の洗面所は早くに改装されてしまったのか味気なく、ステンレスの業務用シンクがドンと置かれている。
お風呂場は狭いので入れ替わりで撮影。あぁ~~素敵、素敵~~~
瀬戸の本業タイルだな。おめでたい鶴亀をモチーフにした秀逸なデザイン。潔く1種類のみ。
木製の浴槽はコンパクトだが洗い場の贅沢さと言ったら・・・床と三方の壁の立ち上がりにまで、このタイルが
貼られている。数えてみるとちょうど60枚。これだけ隙間をあけて貼っているので防水とかの実用的な目的では
ないだろう。
1888(明治21)年に有栖川宮熾仁親王が生野鉱山の視察に訪れ、ここを御宿泊所として利用されており、
このお風呂場はそのときに宮さまを迎えるために増築されたものとか。実際に入浴されたとしたら、さぞ長風呂された
ことだろうな(笑)。
隣接するトイレも同時に作られたものらしいが、さすがにモザイクタイルは明治21年ではないだろう。
後年改修されたのだろうか。
野菜をモチーフにしたこんな欄間が。なんでトイレに大根?肥料になるからとか・・・!?(爆)
廊下に面した手洗い場。
その後所有者が変わり、1956(昭和31)年からは三菱金属生野工業所の保養施設・迎賓館として使用された。
そのあと(株)SUMCOの所有となり、職員用の施設になっていたが、2013(平成25)年に朝来市に寄付され、
現在は「迎賓館 生野鉱山倶楽部」としてイベントなどに活用、一般公開されている。
しかしお風呂場もトイレも、三菱時代に現代的設備に改修されずよく残っていたものだな!!素晴らしい~~~
入口から右の方へ行くと奥に事務所スペースがあり、その手前にはこんなタイル貼りのストーブ置き場があった。
面白いのはこれらのタイルが市松状に少し凹凸をつけて貼られていて、斜めから見ると目地がジグザグのラインに
見えるのだ。こんな貼り方をしているのはあまり見たことがないなぁ。
事務所は三菱時代に改修されているようだが、このタイルは昭和31年よりはもう少し古そうな感じがする。
縁に使われているのはトイレの床タイルと同じものと思われる。
こちらの棟は2階もあった。上も見に行こう。2部屋の続き間。
この欄間も格子に植物模様。
こちらは打って変わって幾何学的な線。これは流水だろうな。それとも雲?
この床の間も数寄屋風と見られるが、いずれも奇抜なものでなくセンスよく、上質。
口銀谷にはここ以外にも大山師の邸宅がいくつかあったという。
前回来たときもまちなかはたいがい見たのだが書いていないので(汗)、他の建物についても書いておこう。
続く。
久々に18きっぷを使ったら、遠い・・・(汗)、3時間近くかかって到着。
生野は以前ひとりで来たことがあり(あぁ、書いてない・・)、口銀谷のまちをうろついて建物を見て回ったのだが、
ここは見ていなかった。2011年時点ではまだ公開していなかったのだと思う。
1886(明治19)年に大山師(鉱山経営者)松本林右衛門の邸宅として建てられた、数寄屋造りの近代和風建築。
混んでいるかと思ったが先客は1~2組ぐらいでゆうゆう。
1階の続き間の座敷におひな様が展示してあったが、もっぱら建物を見る私たち(苦笑)
二間の間の欄間は一部欠けてしまっているが、扇を散らしたデザインでしゃれている。
うぐいす色の壁が美しい。床の間には曲面づかいの棚や、4段の違い棚など高い技術を要するであろう造作が。
書院の欄間は、うずら(?)と植物の背景に破れ格子を配したデザイン。
こんな竹を曲げて編んだような下地窓はありそうでなかったな。
さて目当てのお風呂場はどこかな・・・
ここだ!うわぉ~~皆テンション急上昇!!
手前の洗面所は早くに改装されてしまったのか味気なく、ステンレスの業務用シンクがドンと置かれている。
お風呂場は狭いので入れ替わりで撮影。あぁ~~素敵、素敵~~~
瀬戸の本業タイルだな。おめでたい鶴亀をモチーフにした秀逸なデザイン。潔く1種類のみ。
木製の浴槽はコンパクトだが洗い場の贅沢さと言ったら・・・床と三方の壁の立ち上がりにまで、このタイルが
貼られている。数えてみるとちょうど60枚。これだけ隙間をあけて貼っているので防水とかの実用的な目的では
ないだろう。
1888(明治21)年に有栖川宮熾仁親王が生野鉱山の視察に訪れ、ここを御宿泊所として利用されており、
このお風呂場はそのときに宮さまを迎えるために増築されたものとか。実際に入浴されたとしたら、さぞ長風呂された
ことだろうな(笑)。
隣接するトイレも同時に作られたものらしいが、さすがにモザイクタイルは明治21年ではないだろう。
後年改修されたのだろうか。
野菜をモチーフにしたこんな欄間が。なんでトイレに大根?肥料になるからとか・・・!?(爆)
廊下に面した手洗い場。
その後所有者が変わり、1956(昭和31)年からは三菱金属生野工業所の保養施設・迎賓館として使用された。
そのあと(株)SUMCOの所有となり、職員用の施設になっていたが、2013(平成25)年に朝来市に寄付され、
現在は「迎賓館 生野鉱山倶楽部」としてイベントなどに活用、一般公開されている。
しかしお風呂場もトイレも、三菱時代に現代的設備に改修されずよく残っていたものだな!!素晴らしい~~~
入口から右の方へ行くと奥に事務所スペースがあり、その手前にはこんなタイル貼りのストーブ置き場があった。
面白いのはこれらのタイルが市松状に少し凹凸をつけて貼られていて、斜めから見ると目地がジグザグのラインに
見えるのだ。こんな貼り方をしているのはあまり見たことがないなぁ。
事務所は三菱時代に改修されているようだが、このタイルは昭和31年よりはもう少し古そうな感じがする。
縁に使われているのはトイレの床タイルと同じものと思われる。
こちらの棟は2階もあった。上も見に行こう。2部屋の続き間。
この欄間も格子に植物模様。
こちらは打って変わって幾何学的な線。これは流水だろうな。それとも雲?
この床の間も数寄屋風と見られるが、いずれも奇抜なものでなくセンスよく、上質。
口銀谷にはここ以外にも大山師の邸宅がいくつかあったという。
前回来たときもまちなかはたいがい見たのだが書いていないので(汗)、他の建物についても書いておこう。
続く。