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Channel: まちかど逍遥
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八千代座のタイル

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山鹿の続き。

山鹿には2016年に友人のTさんと一緒に来てまちや建物や温泉や買い物まで楽しんだのだったが、今回再訪である。


駐車場に車を停めて八千代座へ。ここは前回も入場してガイドコースを見て回ったが、見残しがあったようだ。
それはトイレのタイル!小道さんがフェイスブックに載せていた写真を見て、こんなのどこにあったっけ?と(笑)


入場してまずはひとりですみずみ見て回るが、ないじゃないの。観念して係の方に聞いてみると、
今は公開していないが、と言いながら奥にある離れのトイレに案内してくれた。あぁ、ここだったのか。
男性用トイレの壁の腰の高さまで、よく見かける柄の瀬戸の本業タイルがみっしりと。許斐本家にもあったな。
ひとつずつ仕切られた小便器のまわりに各三面貼られているので1ブースあたり21枚。合計約100枚!


この「西側便所」は復元したものだそうで、お客が多い日は使用しているとの話だった。
この隣にもうひとつ扉があって、そちらは女性用だ。使わせているというのはそちらのことかもしれないな。
手前のブースのタイルは新しいもの。


しかし奥の方のタイルは古いものだ。復元時に再利用したのだろう。


係りの人いわく、こちらは復元だが、もう1ヶ所オリジナルのまま残っている所があるとか。ええっ!
そっちを見せてもらえないかと聞いてみたが無理とのことだった。・・・それはどこだろう??
係の人と分かれた後、ちょっと考えていたが、客席を挟んで反対側にも同じように離れのトイレがあるはず、
とちょっと見に行ってみると、やはり同じように廊下が伸びていた。途中まで廊下を進んでいくと、、、
その先の廊下には荷物が山積み!!廊下の突き当たりにはやはりトイレらしきドアがあったが・・・
この大量の荷物を退かさなければあそこには入れそうにないな、そりゃ無理だわ、確かに。。。

※これは西側。

年表によると、1910(明治43)年に竣工、翌年こけら落とし。昭和40年代に経営不振により閉鎖。
1980(昭和55)年に建物が山鹿市に寄贈された。その後の補修工事時に西側便所は撤去されてしまうが、
国重要文化財に指定されたあと、1990(平成2)年に復元されたと。




さっきの係員の方が、向かいにある資料館に、古いタイルの展示があると言っていたので見に行ってみる。


あぁこれだな。「明治中・後期の瀬戸で焼かれたもの」「荒壁の上に漆喰で貼り付けてあった」と書かれている。
245mm角。やっぱり「東西の便所の腰壁に使用」とある。いつか東側便所を見てみたいなぁ~~


八千代座を出て、百花堂という心地よいギャラリーで少しおしゃべりしてから天聴蔵を見せてもらう。




真っ白な蔵が折り重なった景観は遠くからでもよく見えるが、前回はこっちの方まで見ていなかった。




元は吉田酒造場という江戸時代1830(天保元)年創業の造り酒屋。戦時中は一時休業を余儀なくされるも
戦後早々に復活し酒造りを続けたが、1974(昭和49)年に酒造りをやめた。その後しばらく
千代の園酒造が「天聴」ブランドの酒造りを代行していたとか。しかし1984(昭和59)年に販売も
終了して完全に閉店となった。


現在は大小の蔵をイベントスペースとして貸し出したり自主企画のイベントを行ったりしているらしい。
前日も古本市があったそうで、かなりの人出だったとか。




温泉もあり、近世・近代のまちなみや産業遺産をうまく生かして賑わいを生み出している山鹿のまちは
とても魅力的!一方で昭和な商店街のアーケードだけがぽつねんと残るちょっと寂しい一角もあり、、、
昭和レトロなまちなみも活用したらさらに楽しくなりそうだな!


続く。

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