志田焼の里博物館の続き。
さてこちらの建物は何かな・・・
中へ入ってびっくり。窯がある!!建物の中に!?
本物の窯だ。1000度以上の温度で焚く窯を木造の建物の中にすっぽり入れてしまって大丈夫なの!?
登り窯など上屋が差しかけられたものはあるが、こんなふうに四方を壁で囲まれた窯って見たことあったっけ??
見上げるとキングポストトラスの小屋組。棟と平行方向にもキングポストトラスが見える。
棟の部分が熱を逃がすための越屋根になっていて、切妻屋根自体も一段高くなっており、すきまには格子が。
そのまわりに入母屋造りのように四方へ屋根がかかった構造。風通しはよさそうだが・・・
これは1954(昭和29)年頃に築かれた、単窯。当初石炭窯だったが後に重油窯に改造され、送風管と燃料管が
めぐらされている。佐賀県地方では、大正初め頃に、薪を燃料とする登り窯から石炭を燃料とする単窯に代わっていったとか。
月に1回火入れをし、4~8日かけて花瓶や徳利などを焼成した。温度は陶器よりも高めの1300度。
火入れしているときは窯の外側もかなり熱くなるんじゃないのかなぁ。
周りには窯道具が整然と積み上げられている。
窯の壁はかなりの厚み。1m以上、120cmほどあるかな。これだけ厚いと中の温度は外まで伝わらないのだろうか。
うわぁ・・・内部の壁は自然の釉薬成分がこびりついていて積まれたトンバイが見えない。チョコクリームを
塗ったよう。
窯の中は場所により温度差があり、異なる釉薬のものを適した場所に詰めたとか。
窯の中に置いたゼーゲルコーンと呼ばれる温度計を見るための小さな窓が開けられていた。
この建物の中にはもうひとつ、1975(昭和50)年頃に築かれた重油窯もあり、計2つの窯が納まっている。
窯の建屋から連続した作業場。
使い込まれた道具の数々の美しいこと。。。
志田焼についての説明もあった。志田焼は鍋島本藩領の東山と鍋島支藩の蓮池領の西山の2ヶ所のエリアで作られた焼き物。
有田や伊万里の名で出回っているものもあり、名前が隠れてしまっているが、縁取りがなく一枚のお皿いっぱいに
絵が描かれていることが特徴だとか。
その後ろにもうひとつ、1958(昭和33)年ごろに築かれた石炭大窯が格納された建物があった。
大型火鉢を焼成するために作られたもので、現在残っている石炭窯では日本最大級だそう。
このような大型の窯での窯詰め作業は重労働で、作業が終わると4kgほど体重が落ちたと言う話も。
建物の一角に分解した機械の部材が積み上げられていた。陶土工場を増築しようという計画があり近隣から
中古部材を購入したが、実現することなく工場が閉鎖された。
この工場は昭和59年まで稼動していたと言うが、実際は晩年は従業員の雇用継続を目的とした細々とした
製造であったらしい。
ガス窯の置かれた建物。ここは今でも使える近代的な設備。
絵付場、施釉場。大きな火鉢に均一に釉薬を掛けるのは難しそう。
このあたりの建物は、現在陶芸体験の施設としても使われている。
あぁ、天草陶石から製品の焼成まで、各工程を通して見てきた。新しく作られた建物はひとつもなく、この広大な敷地に
工場まるごとそのまま残っているのが産業遺産としてすごいよね!建物も面白く見どころがいっぱいでとても充実していた。
ゆっくり見て回って写真もたくさん撮ったが、その間に他のお客は2組ぐらい見かけただけ。ここは平成8年から
博物館として公開されているらしいが、これまで聞いたことなかった。もっと注目を浴びてもいい施設なのでは!?
武雄温泉や嬉野温泉のついでだけでなく、わざわざ行く価値があると思う。是非行ってみて!
続く。
さてこちらの建物は何かな・・・
中へ入ってびっくり。窯がある!!建物の中に!?
本物の窯だ。1000度以上の温度で焚く窯を木造の建物の中にすっぽり入れてしまって大丈夫なの!?
登り窯など上屋が差しかけられたものはあるが、こんなふうに四方を壁で囲まれた窯って見たことあったっけ??
見上げるとキングポストトラスの小屋組。棟と平行方向にもキングポストトラスが見える。
棟の部分が熱を逃がすための越屋根になっていて、切妻屋根自体も一段高くなっており、すきまには格子が。
そのまわりに入母屋造りのように四方へ屋根がかかった構造。風通しはよさそうだが・・・
これは1954(昭和29)年頃に築かれた、単窯。当初石炭窯だったが後に重油窯に改造され、送風管と燃料管が
めぐらされている。佐賀県地方では、大正初め頃に、薪を燃料とする登り窯から石炭を燃料とする単窯に代わっていったとか。
月に1回火入れをし、4~8日かけて花瓶や徳利などを焼成した。温度は陶器よりも高めの1300度。
火入れしているときは窯の外側もかなり熱くなるんじゃないのかなぁ。
周りには窯道具が整然と積み上げられている。
窯の壁はかなりの厚み。1m以上、120cmほどあるかな。これだけ厚いと中の温度は外まで伝わらないのだろうか。
うわぁ・・・内部の壁は自然の釉薬成分がこびりついていて積まれたトンバイが見えない。チョコクリームを
塗ったよう。
窯の中は場所により温度差があり、異なる釉薬のものを適した場所に詰めたとか。
窯の中に置いたゼーゲルコーンと呼ばれる温度計を見るための小さな窓が開けられていた。
この建物の中にはもうひとつ、1975(昭和50)年頃に築かれた重油窯もあり、計2つの窯が納まっている。
窯の建屋から連続した作業場。
使い込まれた道具の数々の美しいこと。。。
志田焼についての説明もあった。志田焼は鍋島本藩領の東山と鍋島支藩の蓮池領の西山の2ヶ所のエリアで作られた焼き物。
有田や伊万里の名で出回っているものもあり、名前が隠れてしまっているが、縁取りがなく一枚のお皿いっぱいに
絵が描かれていることが特徴だとか。
その後ろにもうひとつ、1958(昭和33)年ごろに築かれた石炭大窯が格納された建物があった。
大型火鉢を焼成するために作られたもので、現在残っている石炭窯では日本最大級だそう。
このような大型の窯での窯詰め作業は重労働で、作業が終わると4kgほど体重が落ちたと言う話も。
建物の一角に分解した機械の部材が積み上げられていた。陶土工場を増築しようという計画があり近隣から
中古部材を購入したが、実現することなく工場が閉鎖された。
この工場は昭和59年まで稼動していたと言うが、実際は晩年は従業員の雇用継続を目的とした細々とした
製造であったらしい。
ガス窯の置かれた建物。ここは今でも使える近代的な設備。
絵付場、施釉場。大きな火鉢に均一に釉薬を掛けるのは難しそう。
このあたりの建物は、現在陶芸体験の施設としても使われている。
あぁ、天草陶石から製品の焼成まで、各工程を通して見てきた。新しく作られた建物はひとつもなく、この広大な敷地に
工場まるごとそのまま残っているのが産業遺産としてすごいよね!建物も面白く見どころがいっぱいでとても充実していた。
ゆっくり見て回って写真もたくさん撮ったが、その間に他のお客は2組ぐらい見かけただけ。ここは平成8年から
博物館として公開されているらしいが、これまで聞いたことなかった。もっと注目を浴びてもいい施設なのでは!?
武雄温泉や嬉野温泉のついでだけでなく、わざわざ行く価値があると思う。是非行ってみて!
続く。