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Channel: まちかど逍遥
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志田焼の里博物館 その1

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武雄温泉からの続き。

楼門亭で泊まった翌日は早めに出発しようと思っていたのだが、朝から鷺の湯に入ってマッタリしてしまったため
今日も予定をまっとうできるか心配・・・(苦笑)。
今日はまず、嬉野温泉の近くの塩田津というところに行ってみよう。そのあと嬉野温泉で温泉に入ろうか・・・
そう考えて走っていると、道路沿いに「志田の蔵」という大きな木造の建物が現れ、「志田焼の里博物館」という案内が。
昨日の夜宿で地図で見ていたときに気にはなっていたのだが、、、ふと立ち寄ってみようと思い立った。


駐車場に入ると停まっている車は2台だけ。閉まっている?不安になって車の中で検索して確かめる(苦笑)。
ちょっと曇っていた空からポツポツ雨も降ってきたので急いで受付へ向かい、300円の入場料を払って中へ。
オープン時間直後のようで私が今日最初の客だ。


志田焼という磁器の焼き物を作っていた工場が丸ごと博物館になっている。1914(大正3)年から
何と1984(昭和59)年まで、実際に使われていた施設だ。
これが思いのほか面白くて充実していて、どっぷりと滞在してしまったのである(笑)


見学はまず、天草陶石を砕く施設から始まる。
分業体制を取る焼き物産地が多い中、この工場では何と原料を自前の船で買い付けるところから行っていた。
塩田津に荷揚げした天草陶石を馬車や牛車でここへ運び込み、粉砕する。


暗い木造の作業場に入ると人感センサーがあり自動放送の説明が流れるようになっていた。


太い梁の和小屋。古めかしい装置。ギミック好きの私は萌える~~


粉にした原料土は水簸という工程を経てきめの細かい陶土にし、圧力をかけて水分を抜く。
ここは半屋外の空間。冬は寒そうだなぁ!




釉薬調合場、石膏型成形場、、、まるで昨日まで作業をしていたかのような、そのままの状態だ。
そこここに説明書きがあり焼き物をつくる工程がよく分かる。


幕末から昭和の初め頃まで使われていた素焼き製の型。きのこのよう。大正年間には石膏型による成形技術が
ヨーロッパから持ち込まれ、鋳込み成形など複雑な形状が容易に作れるようになり大量生産につながる。




こちらはボシ成形場。ボシとは一般に匣鉢と呼ばれる窯道具で、製品を中に入れて焼くための耐火性の容器。
エンゴロ、さやとも呼ばれる。窯道具も自前なのか。


藁混じりの素朴な土壁。腰壁にはトンバイが積み上げられていた。




そしてその横には、さっきの陶石を砕く装置と同じものがあった。「ボシ再生スタンパー」。ははぁ、この装置は
スタンパーと言うのか。説明書きによると、割れたボシを粉砕したものがシャモットで、再利用されるのだとか。
へぇ~~!使えなくなった窯道具は窯垣や通路の敷石などに使うしかないのかと思っていた。まぁ、使用済みの窯道具は
大量に出るので、シャモットとして焼き物の原料に再利用されるのはごくわずかだったのだろう。


ところで建物の入口や通路などに敷かれているレンガには刻印がいっぱい。これが実にいろんな銘柄があるのだ。
一瞬、これはコレクターの放出品か!?と思ったほど(笑)
「SHINAGAWA」「TOBATA」「ニッサン」「OSAKATAIKA」「H.KATO」「WAKE」「K.HIROSE」「YAMASAN」
「MARUTA MITSUISHI」などの屋号、「YFI」「KTR」「MK」「WTK」などの略称、アルファベットと数字、
丸や三角などの記号、各社のマーク、JISマーク・・・さながら耐火煉瓦の博物館だ!!

壊した窯で使われていたものの再利用だろうが、耐火煉瓦はいろんなところから集められていたのだなぁ!

続く。

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