大川からの続き。
時間が迫る中、佐賀でひとつふたつでも建物を見ようかとちょっと立ち寄ってみたのだが、
市内中心部にさしかかったあたりからなぜか車が進まない。あれ、佐賀ってそんな観光地だったっけ?
首尾よく車を駐車場に停められたので、歴史民俗博物館になっている旧古賀銀行を見にいくと、何かすごい人!?
何でも「肥前さが幕末維新博覧会」というイベントを去年の3月からやっていて、この週末が最終の週末なので
駆け込みのお客が詰めかけていたのだ(行ったのは1/12)。そういうことだったのか。
前回はお城の西側をちょろっと見て回っただけで、このあたりは全く見ていない。
柳町と呼ばれているこのあたりは古い建物が数多く残り、この博覧会の中心的な会場となっている。
明治維新の立役者、薩長土肥の4藩のうち、「肥」が肥前、つまり佐賀のことだったとは、今ようやく気がついた(爆)
これは見出すと深みにはまってしまいそうだ・・・時間もないし、ここは思い切って端折ることにしよう。
また空いている時期にゆっくり佐賀に泊まって見て回る方がいいな。
・・・というわけで、佐賀からまた車を飛ばし高速に乗って武雄温泉へ。
武雄温泉の元湯がお気に入り。そして今回は武雄温泉新館の特別貸切湯のタイルを見たい!!
というわけで元湯や新館と同じ敷地内にある旅館「楼門亭」で泊まることにしていた。
特別貸切湯ののタイルは以前は見ることができたが、今は一般公開していないという。それを特別に
見せてもらうアポイントを取っていたので、どうしても遅れるわけにはいかなかったのだ。
案内してもらった特別貸切湯は新館の裏手の屋外にあり、厳重に蓋をしてある。以前はハッチから汚れたアクリル板
越しには見ることができた記憶があるのだが、今はそのハッチにも蓋がしてあった。
鍵を開けてもらい覗き込むと・・・うぉ~~う!!
こじんまりした浴槽の底の部分に、有田焼のタイルが敷き詰められていた!
草花が描かれた八角形のタイルに上品な青色の正方形タイルを組み合わせてある。描かれた草花は皆違っていて
博物画のようにリアル。肌理の細かい磁器ならではの細く緻密な線は生き生きとして、一枚一枚が名品の絵画だ。
これらの草花は、洗い場側から見たときに正対するように描かれている。
しかし・・・やはり雨水が入り込むのか、かなり汚れているのだけが残念。。。クモの抜け殻も(汗)
あぁ~~ハッチの中へ入り込んですみずみまできれいに拭いてあげたい・・・美しさがよみがえるだろうに。
まわりの白無地タイルも有田焼ということだったが、磁器には見えないなぁ。
貫入だらけでカビが入り込み黒ずんでいる。。。もはや白タイルとは思えないようなものも(汗)。
なぜ浴槽の壁のタイルがこんなに傷むのか・・・底のタイルよりもひどく?
洗い場には台北故事館のトイレに貼られているものと同じ、グリーンのマジョリカタイルが敷き詰められている。
台北故事館のものは英国製だが、これもそうだろうか。
何とも贅沢なこのお風呂は、1926(大正15)年の「陸軍特別大演習」のときに大正天皇がお見えになると
いうことで特別に作られたが、結果的には使われなかったという。そのままお蔵入りとは何とももったいないなぁ(汗)
洗い場側から浴槽を見たときには見えない位置に、「陶磁器美術品 製造販売業 辻製造所」の銘が入っている。
辻製造所は有田の老舗で宮内庁御用達の窯元。現在も「辻精磁社」として営業を続けられている。→辻精磁社の公式サイト
特別貸切湯にももちろん元は上屋があったのだが、平成10年の台風か集中豪雨で被災し、撤去したそう。
何とか上屋を整備して、誰でも見られるように公開してほしいなぁ。
そして前も見たけど五銭湯と十銭湯も見ておこう。浴槽底のマジョリカタイルが見事だなぁ。
お風呂の底にこういうタイルを使うとは・・・今では思いつかない使い道。
ところで、展示資料によると、上々湯というところにもマジョリカタイルがあったそうだ。
それはどこにあるのか??と探すと、建物の一番端に3つの小部屋があった。戸を少し開けて覗くと
一人用の小さな木製浴槽があった。壁も床もきれいに復旧されている。この下にタイルがあったんだろうか。
楼門亭は1階の一番手前の部屋は少し和風の面白い意匠があるようだが、それ以外の部屋はただの古い旅館(苦笑)。
元湯や鷺の湯のゆっくり何度でも入れるのはうれしいね!
近くの居酒屋でひとりごはん。地鶏の肝刺し~~♪タタキ~~♪
食後は酔い覚ましがてら夜歩き(笑)。道端にあったこんな地図を眺めていたら・・・うわ、これ手描きやん!?
すご~~~い!!この知られざる大作に光を!!(笑)
続く。
時間が迫る中、佐賀でひとつふたつでも建物を見ようかとちょっと立ち寄ってみたのだが、
市内中心部にさしかかったあたりからなぜか車が進まない。あれ、佐賀ってそんな観光地だったっけ?
首尾よく車を駐車場に停められたので、歴史民俗博物館になっている旧古賀銀行を見にいくと、何かすごい人!?
何でも「肥前さが幕末維新博覧会」というイベントを去年の3月からやっていて、この週末が最終の週末なので
駆け込みのお客が詰めかけていたのだ(行ったのは1/12)。そういうことだったのか。
前回はお城の西側をちょろっと見て回っただけで、このあたりは全く見ていない。
柳町と呼ばれているこのあたりは古い建物が数多く残り、この博覧会の中心的な会場となっている。
明治維新の立役者、薩長土肥の4藩のうち、「肥」が肥前、つまり佐賀のことだったとは、今ようやく気がついた(爆)
これは見出すと深みにはまってしまいそうだ・・・時間もないし、ここは思い切って端折ることにしよう。
また空いている時期にゆっくり佐賀に泊まって見て回る方がいいな。
・・・というわけで、佐賀からまた車を飛ばし高速に乗って武雄温泉へ。
武雄温泉の元湯がお気に入り。そして今回は武雄温泉新館の特別貸切湯のタイルを見たい!!
というわけで元湯や新館と同じ敷地内にある旅館「楼門亭」で泊まることにしていた。
特別貸切湯ののタイルは以前は見ることができたが、今は一般公開していないという。それを特別に
見せてもらうアポイントを取っていたので、どうしても遅れるわけにはいかなかったのだ。
案内してもらった特別貸切湯は新館の裏手の屋外にあり、厳重に蓋をしてある。以前はハッチから汚れたアクリル板
越しには見ることができた記憶があるのだが、今はそのハッチにも蓋がしてあった。
鍵を開けてもらい覗き込むと・・・うぉ~~う!!
こじんまりした浴槽の底の部分に、有田焼のタイルが敷き詰められていた!
草花が描かれた八角形のタイルに上品な青色の正方形タイルを組み合わせてある。描かれた草花は皆違っていて
博物画のようにリアル。肌理の細かい磁器ならではの細く緻密な線は生き生きとして、一枚一枚が名品の絵画だ。
これらの草花は、洗い場側から見たときに正対するように描かれている。
しかし・・・やはり雨水が入り込むのか、かなり汚れているのだけが残念。。。クモの抜け殻も(汗)
あぁ~~ハッチの中へ入り込んですみずみまできれいに拭いてあげたい・・・美しさがよみがえるだろうに。
まわりの白無地タイルも有田焼ということだったが、磁器には見えないなぁ。
貫入だらけでカビが入り込み黒ずんでいる。。。もはや白タイルとは思えないようなものも(汗)。
なぜ浴槽の壁のタイルがこんなに傷むのか・・・底のタイルよりもひどく?
洗い場には台北故事館のトイレに貼られているものと同じ、グリーンのマジョリカタイルが敷き詰められている。
台北故事館のものは英国製だが、これもそうだろうか。
何とも贅沢なこのお風呂は、1926(大正15)年の「陸軍特別大演習」のときに大正天皇がお見えになると
いうことで特別に作られたが、結果的には使われなかったという。そのままお蔵入りとは何とももったいないなぁ(汗)
洗い場側から浴槽を見たときには見えない位置に、「陶磁器美術品 製造販売業 辻製造所」の銘が入っている。
辻製造所は有田の老舗で宮内庁御用達の窯元。現在も「辻精磁社」として営業を続けられている。→辻精磁社の公式サイト
特別貸切湯にももちろん元は上屋があったのだが、平成10年の台風か集中豪雨で被災し、撤去したそう。
何とか上屋を整備して、誰でも見られるように公開してほしいなぁ。
そして前も見たけど五銭湯と十銭湯も見ておこう。浴槽底のマジョリカタイルが見事だなぁ。
お風呂の底にこういうタイルを使うとは・・・今では思いつかない使い道。
ところで、展示資料によると、上々湯というところにもマジョリカタイルがあったそうだ。
それはどこにあるのか??と探すと、建物の一番端に3つの小部屋があった。戸を少し開けて覗くと
一人用の小さな木製浴槽があった。壁も床もきれいに復旧されている。この下にタイルがあったんだろうか。
楼門亭は1階の一番手前の部屋は少し和風の面白い意匠があるようだが、それ以外の部屋はただの古い旅館(苦笑)。
元湯や鷺の湯のゆっくり何度でも入れるのはうれしいね!
近くの居酒屋でひとりごはん。地鶏の肝刺し~~♪タタキ~~♪
食後は酔い覚ましがてら夜歩き(笑)。道端にあったこんな地図を眺めていたら・・・うわ、これ手描きやん!?
すご~~~い!!この知られざる大作に光を!!(笑)
続く。