※残念ながらこの展示は終了しています。
名古屋から瀬戸へ移動してきた。
瀬戸蔵ミュージアムの「建物のキオク―瓦・タイル・テラコッタ―」展を駆け込みで見に来たのだ。
ここのミュージアムも好きなのだ。焼き物で発展してきた瀬戸の歴史がまるごと分かる実物展示が面白い。
ミュージアムは「洗練された」「カッコイイ」展示よりも、分かりやすいのがいちばん。最近キャプションの
文字が私でも読めないほど小さかったり、文字数が少なくて知りたいことが書かれていなかったり、管理上の
問題なのだろうが展示物が遠くて細部が見れなかったり、というのもあるので困る。
この企画展では主に戦前の瀬戸市内にあった建物を飾っていた焼き物が展示されていた。
普段屋根の上の高いところにあり遠目でしか見ない鬼瓦、変わったものは写真には撮るが、目の前で見ると
やはり「焼き物」としての迫力が感じられる。特に釉薬のかかった鬼瓦はリッチで、ひとつひとつが芸術作品のようだ。
展示品の中でも出色だったのは、磁器製のるり色の鬼瓦。るり釉の磁器タイルは見るが、こんな立体造形は初めて見た!!
この鳳凰の頭がついた鬼瓦は、元陶原学校で瀬戸村役場だった建物に取り付けられていたもので、幕末~明治の
名工と言われた6代川本半助による明治17年の製作。パーツを鋳込みか型で作ってつなぎ合わせているものと
思われる。雄雌が対になっていて、雌形の方は陶器館(舜陶館)の玄関上に飾られていた。
陶器館は、陶磁器製品の展示販売、古陶磁等参考品の展示、競技会など育成の場として使われた施設。
同じペアが旧水野小学校の木造校舎の屋根にもあった。こちらが雌形で、色白で艶っぽい顔をしている。
雄形の方は今も水野小学校の玄関内に飾られているという。焼き物のまちとしての威信が感じられる作品だな!
いずれも取り付けられていた建物の写真とその歴史についても解説されているのがいい。
この欄間は陶器館の二階の会議室にあった。欄間に陶板を埋め込むというのは斬新だな!
はめ込まれている扇形や雪輪型の陶板は、青白モノトーンの染付と色絵のものがあった。
どちらもそれぞれの味わいがあるが、特に色絵の美しさには驚いた。タイルばかり見ていて器のことは正直あまり
知らないのだが、瀬戸の器は日常使い用で模様も素朴でラフな感じのイメージだったが、こんな緻密で写実的な
生き生きとした動植物の絵が描かれた焼き物があったのか。
染付の方もよくある筆書きでなく、輪郭を針のように細い線で描いた中を美しいグラデーションで彩色した素晴らしいもの。
陶磁器試験所瀬戸試験場は瀬戸市立窯業試験所として1932(昭和7)年に開設、翌年国へ移管された。
やはり外壁や玄関周りなどタイルやテラコッタで飾られていたといい、これは玄関灯の透かし模様のテラコッタ。
夕暮れ以降には唐草模様の間から漏れる光が美しくきらめいたことだろう。
こちらは、今この瀬戸蔵のある場所に1928(昭和3)年に建てられた、旧瀬戸町役場の建物の装飾として
取り付けられていたテラコッタ。
手仕事の跡が感じられる。
これは満州国務院の屋根に取り付けられていたものと同形の鉄釉のシャチホコ。瀬戸の三浦製陶所に残されていたもので、
試作品か予備品だったのかもしれない。かなり小さいパーツに分けられているのは、遠く満州まで運ぶためか・・・
小森忍は1928(昭和3)年に瀬戸に山茶窯を開設してタイルやテラコッタを作った。
このタイルは山茶窯製陶所の近くにあった柴田合名瀬戸支店(酒造会社)の外壁を飾っていたもの。説明によると、
小森忍の山茶窯時代のタイルは「瀬戸産の耐火質黄土に匣鉢破片の粉砕物を混ぜた素地」なのだそう。ははぁ。
窯道具である匣鉢(エンゴロ等と呼ばれる)を粉砕したものがシャモットであるというのは、実はつい最近知ったのだった。
味わいのある色の布目タイルも同じ建物に貼られていた。裏には山茶窯の花のマークが。泰山タイルよりはフラットな感じ。
これはこの近くに建っていた唐破風を持つ蔵所派出所にあった警察章。このほかに黄瀬戸釉、結晶釉など合計4つの
警察章が見つかっているとのことで、どれが実際に使用されていたのかはよく分からないらしい。
こんなものまで焼き物で作っていたとは、さすが瀬戸だなぁ!面白い~
じっくり見て堪能。小さいが充実した企画展だった。しかし、こんな素晴らしい展示なのに、予算がなく
毎回図録が制作されないというのはもったいないなぁ・・・
ちなみに瀬戸蔵ミュージアムで現在開催中の企画展「新収蔵品展 2012-2018」には、私の寄贈した品
(台湾三峡救生医院の敷瓦と蚤の市で見つけたタイル)も展示されている。多くの人に見てもらいたいなぁ!
続く。
名古屋から瀬戸へ移動してきた。
瀬戸蔵ミュージアムの「建物のキオク―瓦・タイル・テラコッタ―」展を駆け込みで見に来たのだ。
ここのミュージアムも好きなのだ。焼き物で発展してきた瀬戸の歴史がまるごと分かる実物展示が面白い。
ミュージアムは「洗練された」「カッコイイ」展示よりも、分かりやすいのがいちばん。最近キャプションの
文字が私でも読めないほど小さかったり、文字数が少なくて知りたいことが書かれていなかったり、管理上の
問題なのだろうが展示物が遠くて細部が見れなかったり、というのもあるので困る。
この企画展では主に戦前の瀬戸市内にあった建物を飾っていた焼き物が展示されていた。
普段屋根の上の高いところにあり遠目でしか見ない鬼瓦、変わったものは写真には撮るが、目の前で見ると
やはり「焼き物」としての迫力が感じられる。特に釉薬のかかった鬼瓦はリッチで、ひとつひとつが芸術作品のようだ。
展示品の中でも出色だったのは、磁器製のるり色の鬼瓦。るり釉の磁器タイルは見るが、こんな立体造形は初めて見た!!
この鳳凰の頭がついた鬼瓦は、元陶原学校で瀬戸村役場だった建物に取り付けられていたもので、幕末~明治の
名工と言われた6代川本半助による明治17年の製作。パーツを鋳込みか型で作ってつなぎ合わせているものと
思われる。雄雌が対になっていて、雌形の方は陶器館(舜陶館)の玄関上に飾られていた。
陶器館は、陶磁器製品の展示販売、古陶磁等参考品の展示、競技会など育成の場として使われた施設。
同じペアが旧水野小学校の木造校舎の屋根にもあった。こちらが雌形で、色白で艶っぽい顔をしている。
雄形の方は今も水野小学校の玄関内に飾られているという。焼き物のまちとしての威信が感じられる作品だな!
いずれも取り付けられていた建物の写真とその歴史についても解説されているのがいい。
この欄間は陶器館の二階の会議室にあった。欄間に陶板を埋め込むというのは斬新だな!
はめ込まれている扇形や雪輪型の陶板は、青白モノトーンの染付と色絵のものがあった。
どちらもそれぞれの味わいがあるが、特に色絵の美しさには驚いた。タイルばかり見ていて器のことは正直あまり
知らないのだが、瀬戸の器は日常使い用で模様も素朴でラフな感じのイメージだったが、こんな緻密で写実的な
生き生きとした動植物の絵が描かれた焼き物があったのか。
染付の方もよくある筆書きでなく、輪郭を針のように細い線で描いた中を美しいグラデーションで彩色した素晴らしいもの。
陶磁器試験所瀬戸試験場は瀬戸市立窯業試験所として1932(昭和7)年に開設、翌年国へ移管された。
やはり外壁や玄関周りなどタイルやテラコッタで飾られていたといい、これは玄関灯の透かし模様のテラコッタ。
夕暮れ以降には唐草模様の間から漏れる光が美しくきらめいたことだろう。
こちらは、今この瀬戸蔵のある場所に1928(昭和3)年に建てられた、旧瀬戸町役場の建物の装飾として
取り付けられていたテラコッタ。
手仕事の跡が感じられる。
これは満州国務院の屋根に取り付けられていたものと同形の鉄釉のシャチホコ。瀬戸の三浦製陶所に残されていたもので、
試作品か予備品だったのかもしれない。かなり小さいパーツに分けられているのは、遠く満州まで運ぶためか・・・
小森忍は1928(昭和3)年に瀬戸に山茶窯を開設してタイルやテラコッタを作った。
このタイルは山茶窯製陶所の近くにあった柴田合名瀬戸支店(酒造会社)の外壁を飾っていたもの。説明によると、
小森忍の山茶窯時代のタイルは「瀬戸産の耐火質黄土に匣鉢破片の粉砕物を混ぜた素地」なのだそう。ははぁ。
窯道具である匣鉢(エンゴロ等と呼ばれる)を粉砕したものがシャモットであるというのは、実はつい最近知ったのだった。
味わいのある色の布目タイルも同じ建物に貼られていた。裏には山茶窯の花のマークが。泰山タイルよりはフラットな感じ。
これはこの近くに建っていた唐破風を持つ蔵所派出所にあった警察章。このほかに黄瀬戸釉、結晶釉など合計4つの
警察章が見つかっているとのことで、どれが実際に使用されていたのかはよく分からないらしい。
こんなものまで焼き物で作っていたとは、さすが瀬戸だなぁ!面白い~
じっくり見て堪能。小さいが充実した企画展だった。しかし、こんな素晴らしい展示なのに、予算がなく
毎回図録が制作されないというのはもったいないなぁ・・・
ちなみに瀬戸蔵ミュージアムで現在開催中の企画展「新収蔵品展 2012-2018」には、私の寄贈した品
(台湾三峡救生医院の敷瓦と蚤の市で見つけたタイル)も展示されている。多くの人に見てもらいたいなぁ!
続く。