東京の続き。
さてこちらが今回のメイン、小石川後楽園。山手線のど真ん中、東京ドームのすぐ隣。
こんなところに広大な庭園が広がっているなんて本当に東京って世界が違う。。。比べて大阪って単なる一地方都市だなぁと。
ま、だからといって好きとか嫌いとか言うことは別の話だが。。。
小石川後楽園は水戸徳川家の祖、頼房が手がけ光圀が完成させた、回遊式築山泉水庭園。
入場して地図を見ると、入り組んだ形の大泉水を中心に小川と小径が絡みあい、その間に小さな建物が散在している。
うわぁ、、、これはゆっくり全ての小径を歩いてみたいなぁ・・・しかし、あまりゆっくりする時間もない(汗)
今回は、この中にある得仁堂の床に敷き詰められた瀬戸の本業敷瓦が、年に一度の公開というので見に来たのだ。
まぁ、入口から得仁堂までの道すがら、渡月橋、屏風岩、音羽の滝、通天橋、などを見て楽しんだ。
こちらが得仁堂。これは光圀が18歳のとき、史記「伯夷列伝」を読み感銘を受け、伯夷と叔斉を祀るために建てたものとか。
ほぼ正方形の小さなお堂で、宝形造の屋根の正面側がめくれ上がるようにして唐破風となっている。
特別公開なので正面の扉と側面の窓が開け放たれ、何組かのお客に係の人が説明をしていた。
おお、これか!四半貼りされた印花文敷瓦!!
約2間四方の床一面に、潔く白一色の敷瓦がびっしりと。見事だな!志野釉だろうか。
対角方向の並びで10枚×10枚。なので実際は200枚分ということである。(「分」と書いているのは、
半分サイズや1/4サイズの三角形のものもあるので)
柄はよく見かけるタイプの印花文。明治初期のものと思われる。得仁堂はもっと早くに建てられているので、
この敷瓦は途中で敷かれたということだな。
白一色とは言っても、微妙にトーンの違う白が並ぶ。
得仁堂は平成23年度から修復工事が行われ、平成26年度末で完成している。一部を解体して
傷んだ部材を取り替えたり継いだりしたらしく、係の人に聞くとその時に敷瓦も数枚レプリカに取り替えたそう。
INAXで作ったと言われていた復刻品のサンプルが置いてあったが、真っ白で明らかに新しいものと分かる。
これが部分的に使われているって?探してみるが、そんな新しそうなのは見当たらないじゃないの。ん~?
わざと汚してあるのか、薄暗くてよく見えない奥の隅の方なのか、、、
まぁ、見えるところにピカピカの敷瓦があると目立つので、分からないぐらいうまく仕上げてあるということだな!
しかし、、、白い敷瓦がちょっと汚れており落ち葉のかすなど載っているのが気になる。
年中締め切っていて今朝開けたところなんだろうが、せっかくの公開なのだからちょっときれいにしてあげたいな。。。
私拭きましょうか(笑)
ところで、この記事を書きながら写真を拡大して見ていたら・・・あっ!?一枚だけ柄の違うものが混ざってるのを発見!
うわ~~これは現地で気づかなかったなぁ!
この模様のは多分これまでに見たことがなかった。これと同じもので模様を青色でなぞった敷瓦は
本や瀬戸のミュージアムにはあった。型は同じなのでこれも明治初期だろうな。
しかし、なぜ一枚だけ違う柄なのか。しかもど真ん中に近い場所に。それでいてひっそりと。
割れたから取り替えたのか。でもそれなら端の方のと入れ替えそうなものだが・・・
なんだか謎かけされて試されているようだ(笑)。ちょっと調べてみよう~~
続く。
さてこちらが今回のメイン、小石川後楽園。山手線のど真ん中、東京ドームのすぐ隣。
こんなところに広大な庭園が広がっているなんて本当に東京って世界が違う。。。比べて大阪って単なる一地方都市だなぁと。
ま、だからといって好きとか嫌いとか言うことは別の話だが。。。
小石川後楽園は水戸徳川家の祖、頼房が手がけ光圀が完成させた、回遊式築山泉水庭園。
入場して地図を見ると、入り組んだ形の大泉水を中心に小川と小径が絡みあい、その間に小さな建物が散在している。
うわぁ、、、これはゆっくり全ての小径を歩いてみたいなぁ・・・しかし、あまりゆっくりする時間もない(汗)
今回は、この中にある得仁堂の床に敷き詰められた瀬戸の本業敷瓦が、年に一度の公開というので見に来たのだ。
まぁ、入口から得仁堂までの道すがら、渡月橋、屏風岩、音羽の滝、通天橋、などを見て楽しんだ。
こちらが得仁堂。これは光圀が18歳のとき、史記「伯夷列伝」を読み感銘を受け、伯夷と叔斉を祀るために建てたものとか。
ほぼ正方形の小さなお堂で、宝形造の屋根の正面側がめくれ上がるようにして唐破風となっている。
特別公開なので正面の扉と側面の窓が開け放たれ、何組かのお客に係の人が説明をしていた。
おお、これか!四半貼りされた印花文敷瓦!!
約2間四方の床一面に、潔く白一色の敷瓦がびっしりと。見事だな!志野釉だろうか。
対角方向の並びで10枚×10枚。なので実際は200枚分ということである。(「分」と書いているのは、
半分サイズや1/4サイズの三角形のものもあるので)
柄はよく見かけるタイプの印花文。明治初期のものと思われる。得仁堂はもっと早くに建てられているので、
この敷瓦は途中で敷かれたということだな。
白一色とは言っても、微妙にトーンの違う白が並ぶ。
得仁堂は平成23年度から修復工事が行われ、平成26年度末で完成している。一部を解体して
傷んだ部材を取り替えたり継いだりしたらしく、係の人に聞くとその時に敷瓦も数枚レプリカに取り替えたそう。
INAXで作ったと言われていた復刻品のサンプルが置いてあったが、真っ白で明らかに新しいものと分かる。
これが部分的に使われているって?探してみるが、そんな新しそうなのは見当たらないじゃないの。ん~?
わざと汚してあるのか、薄暗くてよく見えない奥の隅の方なのか、、、
まぁ、見えるところにピカピカの敷瓦があると目立つので、分からないぐらいうまく仕上げてあるということだな!
しかし、、、白い敷瓦がちょっと汚れており落ち葉のかすなど載っているのが気になる。
年中締め切っていて今朝開けたところなんだろうが、せっかくの公開なのだからちょっときれいにしてあげたいな。。。
私拭きましょうか(笑)
ところで、この記事を書きながら写真を拡大して見ていたら・・・あっ!?一枚だけ柄の違うものが混ざってるのを発見!
うわ~~これは現地で気づかなかったなぁ!
この模様のは多分これまでに見たことがなかった。これと同じもので模様を青色でなぞった敷瓦は
本や瀬戸のミュージアムにはあった。型は同じなのでこれも明治初期だろうな。
しかし、なぜ一枚だけ違う柄なのか。しかもど真ん中に近い場所に。それでいてひっそりと。
割れたから取り替えたのか。でもそれなら端の方のと入れ替えそうなものだが・・・
なんだか謎かけされて試されているようだ(笑)。ちょっと調べてみよう~~
続く。