台湾の続き。
台北の朝。昨日まで金門島で興奮しすぎたし、午後からは約束があるので午前中はあまり遠出せず近辺を散歩することに。
国立台湾博物館へ行ってみると閉まっていた。あっ、今日は月曜日かぁ!
何度となく台北に来ており、台北中心部の近代建築を見て回ったことも何度かあるが、実はここに入ったことがない。
数年前に来たときは工事中だったし、どうも縁がないようだな。。。
忠孝西路一段と博愛路の大交差点に面した角地に建つ、台北郵局。日本統治時代の1930(昭和5)年に旧台北郵便局と
して建てられた。現在も現役であるところがすごい。
平日で営業していたので中へ入ってみた。高い吹き抜け!このスペースはギャラリーになっていた。
4階は戦後の増築なのだとか。えっそうなの!?驚いた~
こちらは隣の建物で郵局とつながっている。郵局の一部か?戦後建築だろうがレンガ色の縦縞タイルがいい感じ。
十数年前に初めて台北を訪れてから、台北駅より西側は、もともと台北駅西隣にあったバスターミナルぐらいしか
用事がなく、郵局も一度見に来たことはあったと思うのだが、何かこのあたりごちゃごちゃしたイメージがあった。
というか、ほとんど記憶に残っていない(汗)
郵局からほど近いところにある、撫台街洋楼。これは台湾に現存する最も古い洋風町家のひとつだとか。
撫台街というのは、清代にあった「巡撫衛門」に由来して日本統治時代につけられた地名で、北門の南側、博愛路、武昌街、
中華路に囲まれたエリアを指すらしい。
長屋ではなく独立して建ち、銅板葺の寄せ棟屋根にドーマーウィンドウが載った印象的な建物だ。
日本の高石組が、1910年に本社と社長宅として建てたが、その後所有者が転々とし、最後は国防部の公務員宿舎と
なっていたという。1997年に市定古蹟に指定され、一部破壊された部分も修復されて、2014年から
「台北撮影センター」として運営されている。
そして北門。台北城にあった5つの門のうち、当時の姿をとどめるのはここ北門のみで、他の門は復元。
重厚な石積みの門は、いかにも敵の襲撃に備えるようなものものしさを感じさせる。
そこに続いていた城壁は日本統治時代に取り払われ、跡地に道路が建設された。
なのでこの北門は広い道路のど真ん中にあるのだが、あたりは広々とした歩道があって公園のようになっている。
広い歩道の一角に、石の角材が互い違いに積まれたオブジェがあった。これは何だろう、発掘された遺跡か??
と思ったが、たぶん北門の石積み構造を再現したものだな。城壁もこのような造りだったのかも。
そして郵局から北門を挟んで相対する、旧台湾総督府交通局鉄道部。こちらはお役所とは思えないこじゃれた建物!
敷地の角に設けた入口に三角の破風を見せ、赤レンガにハーフティンバーの組み合わせ、道路に面してアーチを並べた
外観はまるでリゾートホテルのようじゃない!?
ここはしかしまだ修復作業中であり、オープンしていない。周囲の鋼板塀には建物の立面図が描かれた幕が張られ、
どういう建物なのか分かるのが素晴らしいな。この建物以外にも、敷地内にはいくつかの建物が点在している。
そこにはこんな建物も描かれていた。何これ!?
興味をそそられ、どこか覗けるところがないかとぐるっと回ってみる。
手を伸ばしてカメラを掲げ塀の中を撮ってみると、うわっ、ほんとにこんな建物があるな。
いったい何の建物だったのか、修復して見学できるようになるのか、ますます気になって完成が楽しみになった!!
鉄道部の台北工場の建物の一部を取り壊してMRT空港線の新しい入口が作られたのだろうか、工場をスパッと
切り落としたような断面の、大きな壁がそそり立っていた。「台北工場」と書かれている。
そしてその前に・・・・あら~カワイイ!!「鉄道部」と書かれた駅名標のオブジェが。
その上の透明ケースの中にあるのは、、、レゴで作られたレンガ車庫!う~ん、このセンス、最高!!
さらに西の方へ歩いていくと、さすがにまだ開発されず放置されたような古く荒れた一画があった。
フェンス沿いに無法地帯のように車が路駐しており、雑木林のようにうっそうと木や雑草が茂った中に、崩れかけた
日本家屋があったり・・・このあたりに日本家屋が風前の灯のように残っているというのは友人から聞いたことがあり
一度見にきたことがあるような記憶も。。。周りがかなりさっぱりとしただけに、そこだけ手付かずなのが妙に
いかがわしく感じるな。。。
しかしフェンスに何やらプレートが・・・「交通部台湾鉄路管理局」名で貼られたプレートには、「市定古蹟機器局
第五号倉庫及び歴史建築台鉄局局長宿舎緊急防護工程」と書かれていた。ええっ、このボロボロの日本家屋を保存修復
しようというのか!?なんとまぁ・・・
こんな小さな建物も自国の歴史としてきっちり記録、保存しようという台湾の姿勢は、日本にも見習ってほしいなぁ。。
MRT空港線台北車站の開業とバスターミナルの移転で大きく変わった台北駅前。さぁ今度は黒々としたこの森が、
どのように姿を変えていくのだろうか。台北駅舎のシンボル性が際立つ個性的な駅前風景が、徐々に進化していくのが
毎回楽しみだ。
続く。
台北の朝。昨日まで金門島で興奮しすぎたし、午後からは約束があるので午前中はあまり遠出せず近辺を散歩することに。
国立台湾博物館へ行ってみると閉まっていた。あっ、今日は月曜日かぁ!
何度となく台北に来ており、台北中心部の近代建築を見て回ったことも何度かあるが、実はここに入ったことがない。
数年前に来たときは工事中だったし、どうも縁がないようだな。。。
忠孝西路一段と博愛路の大交差点に面した角地に建つ、台北郵局。日本統治時代の1930(昭和5)年に旧台北郵便局と
して建てられた。現在も現役であるところがすごい。
平日で営業していたので中へ入ってみた。高い吹き抜け!このスペースはギャラリーになっていた。
4階は戦後の増築なのだとか。えっそうなの!?驚いた~
こちらは隣の建物で郵局とつながっている。郵局の一部か?戦後建築だろうがレンガ色の縦縞タイルがいい感じ。
十数年前に初めて台北を訪れてから、台北駅より西側は、もともと台北駅西隣にあったバスターミナルぐらいしか
用事がなく、郵局も一度見に来たことはあったと思うのだが、何かこのあたりごちゃごちゃしたイメージがあった。
というか、ほとんど記憶に残っていない(汗)
郵局からほど近いところにある、撫台街洋楼。これは台湾に現存する最も古い洋風町家のひとつだとか。
撫台街というのは、清代にあった「巡撫衛門」に由来して日本統治時代につけられた地名で、北門の南側、博愛路、武昌街、
中華路に囲まれたエリアを指すらしい。
長屋ではなく独立して建ち、銅板葺の寄せ棟屋根にドーマーウィンドウが載った印象的な建物だ。
日本の高石組が、1910年に本社と社長宅として建てたが、その後所有者が転々とし、最後は国防部の公務員宿舎と
なっていたという。1997年に市定古蹟に指定され、一部破壊された部分も修復されて、2014年から
「台北撮影センター」として運営されている。
そして北門。台北城にあった5つの門のうち、当時の姿をとどめるのはここ北門のみで、他の門は復元。
重厚な石積みの門は、いかにも敵の襲撃に備えるようなものものしさを感じさせる。
そこに続いていた城壁は日本統治時代に取り払われ、跡地に道路が建設された。
なのでこの北門は広い道路のど真ん中にあるのだが、あたりは広々とした歩道があって公園のようになっている。
広い歩道の一角に、石の角材が互い違いに積まれたオブジェがあった。これは何だろう、発掘された遺跡か??
と思ったが、たぶん北門の石積み構造を再現したものだな。城壁もこのような造りだったのかも。
そして郵局から北門を挟んで相対する、旧台湾総督府交通局鉄道部。こちらはお役所とは思えないこじゃれた建物!
敷地の角に設けた入口に三角の破風を見せ、赤レンガにハーフティンバーの組み合わせ、道路に面してアーチを並べた
外観はまるでリゾートホテルのようじゃない!?
ここはしかしまだ修復作業中であり、オープンしていない。周囲の鋼板塀には建物の立面図が描かれた幕が張られ、
どういう建物なのか分かるのが素晴らしいな。この建物以外にも、敷地内にはいくつかの建物が点在している。
そこにはこんな建物も描かれていた。何これ!?
興味をそそられ、どこか覗けるところがないかとぐるっと回ってみる。
手を伸ばしてカメラを掲げ塀の中を撮ってみると、うわっ、ほんとにこんな建物があるな。
いったい何の建物だったのか、修復して見学できるようになるのか、ますます気になって完成が楽しみになった!!
鉄道部の台北工場の建物の一部を取り壊してMRT空港線の新しい入口が作られたのだろうか、工場をスパッと
切り落としたような断面の、大きな壁がそそり立っていた。「台北工場」と書かれている。
そしてその前に・・・・あら~カワイイ!!「鉄道部」と書かれた駅名標のオブジェが。
その上の透明ケースの中にあるのは、、、レゴで作られたレンガ車庫!う~ん、このセンス、最高!!
さらに西の方へ歩いていくと、さすがにまだ開発されず放置されたような古く荒れた一画があった。
フェンス沿いに無法地帯のように車が路駐しており、雑木林のようにうっそうと木や雑草が茂った中に、崩れかけた
日本家屋があったり・・・このあたりに日本家屋が風前の灯のように残っているというのは友人から聞いたことがあり
一度見にきたことがあるような記憶も。。。周りがかなりさっぱりとしただけに、そこだけ手付かずなのが妙に
いかがわしく感じるな。。。
しかしフェンスに何やらプレートが・・・「交通部台湾鉄路管理局」名で貼られたプレートには、「市定古蹟機器局
第五号倉庫及び歴史建築台鉄局局長宿舎緊急防護工程」と書かれていた。ええっ、このボロボロの日本家屋を保存修復
しようというのか!?なんとまぁ・・・
こんな小さな建物も自国の歴史としてきっちり記録、保存しようという台湾の姿勢は、日本にも見習ってほしいなぁ。。
MRT空港線台北車站の開業とバスターミナルの移転で大きく変わった台北駅前。さぁ今度は黒々としたこの森が、
どのように姿を変えていくのだろうか。台北駅舎のシンボル性が際立つ個性的な駅前風景が、徐々に進化していくのが
毎回楽しみだ。
続く。