台湾の続き。
午後からは、フェイスブックで少しやりとりしていた康先生が台北近郊のタイル物件を案内してくれるというので
宿の前で車でピックアップしてもらう。康先生は台湾の古蹟建築の研究を20年以上続けておられ、台湾老花磚の本
以外にも民家や廟建築の本など多くの著作がある。
初顔合わせだし、ネット上では中国語のgoogle翻訳のコピペで話していたので、ちゃんとコミュニケーションが
取れるかと一抹の不安を感じつつ・・・まぁ何とかなるだろう、と。
会ってみると気さくなおっちゃんで、言葉も適当な英語と日本語で何とかなるものだ(笑)
川向こうの三重というところにお勧めのタイル物件、「三重先嗇宮」があるというので行ってみる。
まちなかのごちゃごちゃした場所にあるのかと思いきや、川の近くの開けた場所に、それは建っていた。
おぉ、かなり大きな廟だな!そして、入口の壁が青い。あれは・・・タイルだ!
近寄ってみると、マジョリカタイルがずらりと!!横7列、縦に10列で合計70枚のタイルパターンが、4ヶ所に。
爽やかな水色を地色としたタイルと、白地に同じ水色の模様が入ったタイルが使われ、遠目には水色のグラデーション
に見える。瓦や壁に貼られた磚の赤色に映えるなぁ!
垂直に接する壁には黄色ベースの花柄のタイルが貼られているが、それぞれ違った柄だ。
とてもきれいな状態で保たれているなぁ。やはり毎日人が出入りして使われ続けている建物だから
日々のメンテナンスが行き届いているのだろう。
ここにはいろんな神様が祀られているが、主神は神農大帝、農業の神様である。
たわわに実った稲穂を抱えた色黒の神様。
この三重先嗇宮は1755年に創建され、元は新荘あたりにあったが淡水川の氾濫により移転して最終的にこの場所に
落ち着いた。三重区の最古の廟であり、新北市の指定古蹟となっている。梁や柱の彫刻もすごく凝っているが、
比較的新しいものだとか。古いものはもっと精巧だと言うが、これでも十分素晴らしい。
奥の建物の3階まで上ってみると屋根が目の前に。棟の端が反り返って屋根の上に大きな装飾の載っている手前の
部分が北京風の建物で新しい。両側の棟と奥の棟が閩南様式の古い建物だ。違った様式で増築されてきたことがわかる。
この地に移ってきた時はおそらく付近はのどかな農村地帯だっただろう。農家の信仰を集めた廟が、都市化とともに
いろんな神様を合祀して都会のニーズ(?)にも応えて発展してきたのだろう。
そこから少し移動して、今度は北投の方にある福安宮へ。
それは目立たない小さな建物で、日本人観光客など絶対に来ないだろうというローカルな廟だった。
ここにはマジョリカタイルはなく、あるのは中国風の絵付けタイルである。塀にもそのタイル絵が見えるが・・・
一歩踏み込むと、絵付けタイルが壁や天井や梁の部分を所狭しと埋めつくしていた!
日本ではお風呂屋で小さな面積のフレームに描かれたお決まりのデザインのタイル絵を目にするぐらいで、ほとんど
見かけないが、中国建築ではとてもメジャーな絵付けタイル。
古いものは日本製のタイル素地に台湾で絵付けして焼き付けたというが、戦後のものは日本製かどうかは不明。
勇壮な戦いや歴史上の出来事の一場面、龍や花鳥などが描かれており、小さなものから巨大なものまで。
専門の絵付け職人がいたのだろう、多くは銘が見られる。
これらはすべて北投温泉街の旅館などによって奉納されたものだとか。
この建物が増築された戦後当時は北投の温泉旅館街は羽振りがよく、各旅館が競うようにタイル絵を奉納したのだろう。
北投大飯店、龍城大飯店、美楽荘大飯店・・・などなど、今はもうない旅館名がたくさん見られ、
絵の大きさでその勢力が窺える。
鯉や龍を擬人化したユーモラスな絵(笑)
続く。
午後からは、フェイスブックで少しやりとりしていた康先生が台北近郊のタイル物件を案内してくれるというので
宿の前で車でピックアップしてもらう。康先生は台湾の古蹟建築の研究を20年以上続けておられ、台湾老花磚の本
以外にも民家や廟建築の本など多くの著作がある。
初顔合わせだし、ネット上では中国語のgoogle翻訳のコピペで話していたので、ちゃんとコミュニケーションが
取れるかと一抹の不安を感じつつ・・・まぁ何とかなるだろう、と。
会ってみると気さくなおっちゃんで、言葉も適当な英語と日本語で何とかなるものだ(笑)
川向こうの三重というところにお勧めのタイル物件、「三重先嗇宮」があるというので行ってみる。
まちなかのごちゃごちゃした場所にあるのかと思いきや、川の近くの開けた場所に、それは建っていた。
おぉ、かなり大きな廟だな!そして、入口の壁が青い。あれは・・・タイルだ!
近寄ってみると、マジョリカタイルがずらりと!!横7列、縦に10列で合計70枚のタイルパターンが、4ヶ所に。
爽やかな水色を地色としたタイルと、白地に同じ水色の模様が入ったタイルが使われ、遠目には水色のグラデーション
に見える。瓦や壁に貼られた磚の赤色に映えるなぁ!
垂直に接する壁には黄色ベースの花柄のタイルが貼られているが、それぞれ違った柄だ。
とてもきれいな状態で保たれているなぁ。やはり毎日人が出入りして使われ続けている建物だから
日々のメンテナンスが行き届いているのだろう。
ここにはいろんな神様が祀られているが、主神は神農大帝、農業の神様である。
たわわに実った稲穂を抱えた色黒の神様。
この三重先嗇宮は1755年に創建され、元は新荘あたりにあったが淡水川の氾濫により移転して最終的にこの場所に
落ち着いた。三重区の最古の廟であり、新北市の指定古蹟となっている。梁や柱の彫刻もすごく凝っているが、
比較的新しいものだとか。古いものはもっと精巧だと言うが、これでも十分素晴らしい。
奥の建物の3階まで上ってみると屋根が目の前に。棟の端が反り返って屋根の上に大きな装飾の載っている手前の
部分が北京風の建物で新しい。両側の棟と奥の棟が閩南様式の古い建物だ。違った様式で増築されてきたことがわかる。
この地に移ってきた時はおそらく付近はのどかな農村地帯だっただろう。農家の信仰を集めた廟が、都市化とともに
いろんな神様を合祀して都会のニーズ(?)にも応えて発展してきたのだろう。
そこから少し移動して、今度は北投の方にある福安宮へ。
それは目立たない小さな建物で、日本人観光客など絶対に来ないだろうというローカルな廟だった。
ここにはマジョリカタイルはなく、あるのは中国風の絵付けタイルである。塀にもそのタイル絵が見えるが・・・
一歩踏み込むと、絵付けタイルが壁や天井や梁の部分を所狭しと埋めつくしていた!
日本ではお風呂屋で小さな面積のフレームに描かれたお決まりのデザインのタイル絵を目にするぐらいで、ほとんど
見かけないが、中国建築ではとてもメジャーな絵付けタイル。
古いものは日本製のタイル素地に台湾で絵付けして焼き付けたというが、戦後のものは日本製かどうかは不明。
勇壮な戦いや歴史上の出来事の一場面、龍や花鳥などが描かれており、小さなものから巨大なものまで。
専門の絵付け職人がいたのだろう、多くは銘が見られる。
これらはすべて北投温泉街の旅館などによって奉納されたものだとか。
この建物が増築された戦後当時は北投の温泉旅館街は羽振りがよく、各旅館が競うようにタイル絵を奉納したのだろう。
北投大飯店、龍城大飯店、美楽荘大飯店・・・などなど、今はもうない旅館名がたくさん見られ、
絵の大きさでその勢力が窺える。
鯉や龍を擬人化したユーモラスな絵(笑)
続く。