台湾、金門島の続き。
水頭集落はひとつの集落内にある洋楼の数が最も多く、狭い範囲を歩くだけでたくさんの洋楼がみられる。
これは1932年に建てられた小学校、金水國小。教育を重視した黄氏が同郷の士に出資を募り、最新式の洋風建築の
小学校を建設した。平屋建てで上から見ると回の字型の平面になっている。
正面3ヶ所の出入口に装飾壁が立ち上がる。学生の飛翔を願った鷹の装飾や、純潔の象徴の天使などがモチーフに。
後から知ったが、今はもう小学校としては使われておらず、無料で一般公開されているらしい。
その横には広場があり、取り囲むようにいくつかの洋楼が建っている。まわりは洋楼だらけで、もし目隠しして
連れて来られたら、ここが台湾だとは絶対思わないだろう(笑)
ひときわ背の高い洋楼は「得月楼」で、この水頭集落のランドマーク。盗賊を見張り防御するためのものだったとか。
住まいの方は「黄輝煌洋楼」といい、共に1931年に建てられた。ここは公開されているがこの時間では閉まっている。
日中に来る時間があるかな。。短い滞在中にいろいろ行きたいところがあるので・・・(汗)
こちらは風獅爺文物坊という施設になっている黄兄弟洋楼。1934年築。ここももう夕方なので閉まっていた。
水頭で最大の洋楼といい、塀越しにも建物の壁に貼られたマジョリカタイルや華麗な装飾が見える。
あぁ何とか時間を作って見に来なければ!
その横の路地を抜けて行くと裏にも洋楼が!これは後からわかったが黄輝煌洋楼の一部だった。
井戸の横にあったこれは何?洗濯板付石たらい?
路地に面したレンガ塀に「伝統建築遺跡保留」のプレートが取り付けられていた。
もしや、この屋根もないレンガ壁だけのがらんどうの建物の残骸を大切に保存して、将来的に復元しようとしているのか!?
何と・・・素晴らしい。さすが台湾!
おぉ、レリーフと共にこんなところにもタイルが!華麗~~
得月楼が反対側からも見えた。装飾的なひさしがついていてピンク色で、こちらから見ると印象がだいぶ違うな。
メルヘンチックなお城のようだ。
この洋楼は外壁がまるでネットに覆われたような独特の外観。僑郷文化館という施設になっており、公開されている。
歩いていくと道端にレンガが山積みになっていた。
あぁ改修中なのだな。いったん全部取り壊して基礎を作り直し、悪くなった部材を取り替えてまた積むのだろう。
なんだか気軽にリニューアルできるんだなぁ。今建っている伝統的民居も、長年の間にこうやってちょくちょく
手を入れて、その時その時の必要に応じて変更したり補修したりして今まで保ってきたんだろうな。とても合理的。
集落のほぼ一番端まで歩いて来たら、マップに載っている「黄乃甫番仔厝」が。1935年築の洋楼だ。
入口まわりにたくさんタイルが貼られているな!しかしもうほとんど日が暮れてしまっていてよく見えない。
生垣に囲まれた広い前庭があるので、建物に近づくことができない。道路に面した側面の窓がちょっと開いていたので
ハローと何度か呼んでみたが返事はない。
民宿のプレートが出ていたので、玄関から声をかけてみようと敷地に入るが、玄関ドアには南京錠がかかり
呼んでも誰も出てくる気配がない。というか、旅行者を泊めるような雰囲気はないんだけど。。。
ここまできたので(笑)至近距離でちょっとタイルを見せてもらう。遠目にはとてもきれいなマジョリカタイルなのだが、
どうもつくりが粗く、日本製のタイルではなさそうだ。フェイスブックでここのタイルが複製品だと書かれているのを
目にしていたが、確かに。。。
しかし元々は本物のマジョリカタイルが貼られていたが破損した、又は後年になってからタイルを貼りたくなったが
その頃には昔のような鮮やかなマジョリカタイルが流通しておらず、やむなく自作した(又は誰かに頼んで作ってもらった)
のかもしれない。想像力を搔き立てるタイルだ(笑)
続く。
水頭集落はひとつの集落内にある洋楼の数が最も多く、狭い範囲を歩くだけでたくさんの洋楼がみられる。
これは1932年に建てられた小学校、金水國小。教育を重視した黄氏が同郷の士に出資を募り、最新式の洋風建築の
小学校を建設した。平屋建てで上から見ると回の字型の平面になっている。
正面3ヶ所の出入口に装飾壁が立ち上がる。学生の飛翔を願った鷹の装飾や、純潔の象徴の天使などがモチーフに。
後から知ったが、今はもう小学校としては使われておらず、無料で一般公開されているらしい。
その横には広場があり、取り囲むようにいくつかの洋楼が建っている。まわりは洋楼だらけで、もし目隠しして
連れて来られたら、ここが台湾だとは絶対思わないだろう(笑)
ひときわ背の高い洋楼は「得月楼」で、この水頭集落のランドマーク。盗賊を見張り防御するためのものだったとか。
住まいの方は「黄輝煌洋楼」といい、共に1931年に建てられた。ここは公開されているがこの時間では閉まっている。
日中に来る時間があるかな。。短い滞在中にいろいろ行きたいところがあるので・・・(汗)
こちらは風獅爺文物坊という施設になっている黄兄弟洋楼。1934年築。ここももう夕方なので閉まっていた。
水頭で最大の洋楼といい、塀越しにも建物の壁に貼られたマジョリカタイルや華麗な装飾が見える。
あぁ何とか時間を作って見に来なければ!
その横の路地を抜けて行くと裏にも洋楼が!これは後からわかったが黄輝煌洋楼の一部だった。
井戸の横にあったこれは何?洗濯板付石たらい?
路地に面したレンガ塀に「伝統建築遺跡保留」のプレートが取り付けられていた。
もしや、この屋根もないレンガ壁だけのがらんどうの建物の残骸を大切に保存して、将来的に復元しようとしているのか!?
何と・・・素晴らしい。さすが台湾!
おぉ、レリーフと共にこんなところにもタイルが!華麗~~
得月楼が反対側からも見えた。装飾的なひさしがついていてピンク色で、こちらから見ると印象がだいぶ違うな。
メルヘンチックなお城のようだ。
この洋楼は外壁がまるでネットに覆われたような独特の外観。僑郷文化館という施設になっており、公開されている。
歩いていくと道端にレンガが山積みになっていた。
あぁ改修中なのだな。いったん全部取り壊して基礎を作り直し、悪くなった部材を取り替えてまた積むのだろう。
なんだか気軽にリニューアルできるんだなぁ。今建っている伝統的民居も、長年の間にこうやってちょくちょく
手を入れて、その時その時の必要に応じて変更したり補修したりして今まで保ってきたんだろうな。とても合理的。
集落のほぼ一番端まで歩いて来たら、マップに載っている「黄乃甫番仔厝」が。1935年築の洋楼だ。
入口まわりにたくさんタイルが貼られているな!しかしもうほとんど日が暮れてしまっていてよく見えない。
生垣に囲まれた広い前庭があるので、建物に近づくことができない。道路に面した側面の窓がちょっと開いていたので
ハローと何度か呼んでみたが返事はない。
民宿のプレートが出ていたので、玄関から声をかけてみようと敷地に入るが、玄関ドアには南京錠がかかり
呼んでも誰も出てくる気配がない。というか、旅行者を泊めるような雰囲気はないんだけど。。。
ここまできたので(笑)至近距離でちょっとタイルを見せてもらう。遠目にはとてもきれいなマジョリカタイルなのだが、
どうもつくりが粗く、日本製のタイルではなさそうだ。フェイスブックでここのタイルが複製品だと書かれているのを
目にしていたが、確かに。。。
しかし元々は本物のマジョリカタイルが貼られていたが破損した、又は後年になってからタイルを貼りたくなったが
その頃には昔のような鮮やかなマジョリカタイルが流通しておらず、やむなく自作した(又は誰かに頼んで作ってもらった)
のかもしれない。想像力を搔き立てるタイルだ(笑)
続く。