タイルをきっかけに思いついた今回の旅。
金曜日の夜、会社からいったん帰宅して着替えてから意気揚々と出発!
・・・しかし、やっぱり夜行バスは辛かった(汗)。3列シートでカーテンもあり、深くリクライニングする
快適シートなのだが、私は眠れず、、、体勢を変えてはうつらうつらして、熟睡できないまま、八幡浜に到着。。。
あぁ、八幡浜!古い駅舎の向こうにみかん山が見える。いいねぇ!八幡浜は2011年に初めて歩いたが、とても楽しかった。
九州の別府や臼杵へ渡るフェリーも発着し、青石垣めぐりの拠点でもある。大正湯もお気に入り。
しかし松山空港から八幡浜へ直行する肱南バスの便はもうなくなってしまったようだ。。。
大阪からの夜行バスが少し遅れたのでJRの普通列車には乗り継げず、特急宇和海でビュンと。
宇和島駅前は再開発の計画があるのか、駅前の大通りに面したアーケードの店舗が軒並み閉店しており寂しい・・・
15分ぐらい歩いてレンタカー屋へ。三寒四温のこの時期、急な寒波が来て道が凍結したりしないか一抹の不安が
あったが、大丈夫そうでよかった。
30分ほど南へ走り、岩松川の河川敷の駐車場に着くと、Sさんが待っていて下さり、2人でまち歩き。
川沿いに建つ小西家の外観をまず確認。なんて事のないありふれた和風家屋だな。
主屋はもうはるか昔に取り壊され、残っているのは離れと蔵のみ。日本の洋館の本に載っている写真も
この離れの建物だという。
印象的な色ガラスの建具はもともと一階にはまっていたものを二階の窓にはめ替えたところの写真だという。
今は別の場所に保管されているそうだ。
ここに十数年前まで小西家の親族が住まわれていたが、その後宇和島市が買い取った。
岩松の古いまちは宇和海へ注ぐ岩松川の左岸に位置し、古くから水運の要衝として栄えたところ。
小西家は、岩松の地で酒造業を興したことに始まり、質商、新田開発など手広い事業で成功した豪商だった。
目の前の岩松港から荷物を積み出し大いに栄え、小西家は宇和島藩のお抱え御用商人にまでなった。
川底が土砂で埋まり港の機能が果たせなくなると河口の方へ新しい港ができ、まちの中心も移っていった。
小西家も戦後農地解放と水運の衰退により打撃を受け急激に勢いをなくしていったのだが、
ここには今も当時の岩松の賑わいを髣髴とさせるまちなみが残っている。
堤防の際に生えた立派な松!!
川沿いの道に面した大畑旅館は、獅子文六という作家が疎開で一時期滞在したとき、岩松での人情味あふれる
生活を気に入って2年間住み「てんやわんや」という小説に書いた。
集落の端に位置する臨江寺の山門。窓の形がおしゃれだなぁ!黄檗宗のお寺で小西家の菩提寺でもあった。
一本内側の道を歩くと昔ながらの町人長屋や力強い持ち送りのある古い商店や銀行などが並び
岩松のメインストリートらしい趣が感じられるな。
格子など若干修景されているところもあるが、安っぽい建材のファサードもあり、まちなみ整備は途上と
いったところか。
辻を覗き込むとひときわ立派な塀が見えた。この奥には元西村酒造場があり、中を見学させて頂けた。
ここでは昭和52年頃まで「金丸」というお酒を作っていた。
水と米に恵まれた岩松には元々3つの酒造があった。阿部酒造が最後まで残っていたが、そこも今はもう
作っていない。
うわぁ・・・中庭は草ぼうぼうだが、作業場はそのままの状態で残っている。
もう酒造りされなくなって40年も経つというのに昨日まで使っていたかのように状態は良いなぁ。
蔵も残っているが一部が火事で焼けてしまい、改修されている。
これは大きなものを2階に運び上げるための巻上げ機?こんなの初めて見たなぁ!
この蔵を利用して時々酒蔵コンサートなどが開かれていたが、建物の老朽化により危険とのことで今は
使われていないとか。。。
金丸の甕がとても美しい!!大小、いろんな形の焼き物の甕が置いてあった。
銘を見てみると、長崎県上波佐見町、とある。波佐見焼きかぁ。
醸造タンクの並ぶ仕込庫。
その奥にはまるで「蒸し風呂」のような小さい入口で真っ暗な部屋があり、中にはもみがらがいっぱい入っていた。
氷室かと思ったが「麹むろ」だとか。へぇ~~
酒造りの技術者である杜氏。愛媛では伊方杜氏と越智杜氏が有名で、シーズンになるとやってきて
酒造りをしていたのだという。
この西村酒造場も西村家から宇和島市に寄贈されたらしいが、予算がなくまだ整備には手つかずとか。。。
これだけ揃った酒造場なのに非公開のままはもったいないなぁ。
続く。
金曜日の夜、会社からいったん帰宅して着替えてから意気揚々と出発!
・・・しかし、やっぱり夜行バスは辛かった(汗)。3列シートでカーテンもあり、深くリクライニングする
快適シートなのだが、私は眠れず、、、体勢を変えてはうつらうつらして、熟睡できないまま、八幡浜に到着。。。
あぁ、八幡浜!古い駅舎の向こうにみかん山が見える。いいねぇ!八幡浜は2011年に初めて歩いたが、とても楽しかった。
九州の別府や臼杵へ渡るフェリーも発着し、青石垣めぐりの拠点でもある。大正湯もお気に入り。
しかし松山空港から八幡浜へ直行する肱南バスの便はもうなくなってしまったようだ。。。
大阪からの夜行バスが少し遅れたのでJRの普通列車には乗り継げず、特急宇和海でビュンと。
宇和島駅前は再開発の計画があるのか、駅前の大通りに面したアーケードの店舗が軒並み閉店しており寂しい・・・
15分ぐらい歩いてレンタカー屋へ。三寒四温のこの時期、急な寒波が来て道が凍結したりしないか一抹の不安が
あったが、大丈夫そうでよかった。
30分ほど南へ走り、岩松川の河川敷の駐車場に着くと、Sさんが待っていて下さり、2人でまち歩き。
川沿いに建つ小西家の外観をまず確認。なんて事のないありふれた和風家屋だな。
主屋はもうはるか昔に取り壊され、残っているのは離れと蔵のみ。日本の洋館の本に載っている写真も
この離れの建物だという。
印象的な色ガラスの建具はもともと一階にはまっていたものを二階の窓にはめ替えたところの写真だという。
今は別の場所に保管されているそうだ。
ここに十数年前まで小西家の親族が住まわれていたが、その後宇和島市が買い取った。
岩松の古いまちは宇和海へ注ぐ岩松川の左岸に位置し、古くから水運の要衝として栄えたところ。
小西家は、岩松の地で酒造業を興したことに始まり、質商、新田開発など手広い事業で成功した豪商だった。
目の前の岩松港から荷物を積み出し大いに栄え、小西家は宇和島藩のお抱え御用商人にまでなった。
川底が土砂で埋まり港の機能が果たせなくなると河口の方へ新しい港ができ、まちの中心も移っていった。
小西家も戦後農地解放と水運の衰退により打撃を受け急激に勢いをなくしていったのだが、
ここには今も当時の岩松の賑わいを髣髴とさせるまちなみが残っている。
堤防の際に生えた立派な松!!
川沿いの道に面した大畑旅館は、獅子文六という作家が疎開で一時期滞在したとき、岩松での人情味あふれる
生活を気に入って2年間住み「てんやわんや」という小説に書いた。
集落の端に位置する臨江寺の山門。窓の形がおしゃれだなぁ!黄檗宗のお寺で小西家の菩提寺でもあった。
一本内側の道を歩くと昔ながらの町人長屋や力強い持ち送りのある古い商店や銀行などが並び
岩松のメインストリートらしい趣が感じられるな。
格子など若干修景されているところもあるが、安っぽい建材のファサードもあり、まちなみ整備は途上と
いったところか。
辻を覗き込むとひときわ立派な塀が見えた。この奥には元西村酒造場があり、中を見学させて頂けた。
ここでは昭和52年頃まで「金丸」というお酒を作っていた。
水と米に恵まれた岩松には元々3つの酒造があった。阿部酒造が最後まで残っていたが、そこも今はもう
作っていない。
うわぁ・・・中庭は草ぼうぼうだが、作業場はそのままの状態で残っている。
もう酒造りされなくなって40年も経つというのに昨日まで使っていたかのように状態は良いなぁ。
蔵も残っているが一部が火事で焼けてしまい、改修されている。
これは大きなものを2階に運び上げるための巻上げ機?こんなの初めて見たなぁ!
この蔵を利用して時々酒蔵コンサートなどが開かれていたが、建物の老朽化により危険とのことで今は
使われていないとか。。。
金丸の甕がとても美しい!!大小、いろんな形の焼き物の甕が置いてあった。
銘を見てみると、長崎県上波佐見町、とある。波佐見焼きかぁ。
醸造タンクの並ぶ仕込庫。
その奥にはまるで「蒸し風呂」のような小さい入口で真っ暗な部屋があり、中にはもみがらがいっぱい入っていた。
氷室かと思ったが「麹むろ」だとか。へぇ~~
酒造りの技術者である杜氏。愛媛では伊方杜氏と越智杜氏が有名で、シーズンになるとやってきて
酒造りをしていたのだという。
この西村酒造場も西村家から宇和島市に寄贈されたらしいが、予算がなくまだ整備には手つかずとか。。。
これだけ揃った酒造場なのに非公開のままはもったいないなぁ。
続く。