徳島は、なぜか今まで一度も来たことがなかった。計画しかけたこともあったのだが、縁がなかったのか。。。
今回平日仕事を休んでまで徳島にやってきたのは、三河家住宅を見るためである。
梅田からバスで2時間半。こんなに近かったのか!日帰りの予定なのでちょっと早めに行ってまちをうろつこう。
徳島駅からまっすぐ進むと新町橋がある。さすが阿波青石の産地、新町川の護岸はすべて青石貼りだ。
川のほとりの交番は円形校舎ならぬ円形交番。インパクトあるな!
ヤシの木が南国気分を作っている。・・・ん?徳島って南国なの??
このビルもいかにも戦後昭和30~40年頃の雰囲気をまとった建物だな。
徳島にほとんど近世や近代の建物が残っていないのはやはり空襲を受けたからだそうで、
焼夷弾が降り注ぎ焼け野原になった徳島の中心部にあって、残ったのはコンクリート造の建物のみ。
現みずほ銀行、元日本勧業銀行徳島支店はその一つだ。最初は、阿波農工銀行本店として建てられたとか。
1929(昭和4)年築。
大通りでなく生活道路クラスの道路に面しているのがちょっと意外だが、昔はこちらがまちの中心地であり
この通りがメインストリートだったということだろう。
道路に面して円柱が6本並びその上に大きなアーチが渡っている。比較的簡素になっているものの
古典的なスタイルを踏襲した、いかにも銀行といった建物。
引きが取れないのでなかなか全体を撮るのが難しいな!
この日は平日だったので、銀行も営業日である。一般のお客の顔をして店内に入ることは別に構わないだろう。
ひと通り外観を撮ってから、ガラス窓から店内を覗くと・・・おや!?
な、なんだこれは!?うぉ~~~っ!
店内に入り吹き抜けを見上げると、天井が6重の額縁になっている!?そしてバンドを巻いたようなこの柱は!?
こうなるともう一般のお客ではいられない(爆)
正式にお願いして、人や銀行設備が絶対写らないようにとの条件付で写真撮影の許可を得た。
入口に近い部分はこんなヴォールト天井になっている~
脇の柱が独特!!何この段々のハンチ(?)は。ゼセッションなのか?キュビズムなのか?表現主義??
黒色の大理石でくっきり縁取りされているのがモダンだな。外観からは全く想像もつかなかった。
階段の親柱も黒色の大理石で縦溝入りのシンプルなデザイン。
しかし現役の銀行で、天井板を張ることもなくこんなオリジナルのまま使い続けているというのは
珍しいんじゃない!?徳島市の貴重な戦前建築という認識で大切に使われているのだろう。
ちょくちょく建築を見に来る人がいるとのことで、責任者らしい男性の方も気さくに話して下さったり、
「焼夷弾の跡があるんですよ」と女性行員の方がわざわざ私たちを案内して下さったりも。
建築の素晴らしさはもちろんだが、営業中にも関わらず嫌な顔ひとつせず温かく対応下さったことに
とても感激した。ありがとうございました!
銀行のほぼはす向かいにもう1軒残っている戦前建築が、油問屋であった高原商店の本社兼住居として
建てられた旧高原ビル。1932(昭和7)年築で、この時期大流行していた黄色っぽいスクラッチタイルが
全面に貼られている。左側のドアが住宅の玄関だったのだろう。
アールデコっぽい丸窓の面格子。
このビルはリノベーション済みで、入口から路地のような通路が新町川沿いのボードウォークへとつながる。
裏に作られた新しい棟と一体となり、中央部が吹き抜けの階段ホールになっている。
多分元のビルが裏の川べりまであったのを、裏側の部分を壊して建て替えたのではないかと想像。
現在はテナントビルとなっており、川に面して飲食店などが入っている。
古い棟の2階はガランと空いていたが、ギャラリースペースとして使われているようだ。
エレベーターで3階まで上ると屋上に出られる。こちらもスクラッチタイル貼りの小さなペントハウスがあり、
かわいい丸窓が2つ。
こちらも貴重な戦前建築を生かしながら現代に生きる建物として使い続けられており、うれしいことだなぁ。
今回平日仕事を休んでまで徳島にやってきたのは、三河家住宅を見るためである。
梅田からバスで2時間半。こんなに近かったのか!日帰りの予定なのでちょっと早めに行ってまちをうろつこう。
徳島駅からまっすぐ進むと新町橋がある。さすが阿波青石の産地、新町川の護岸はすべて青石貼りだ。
川のほとりの交番は円形校舎ならぬ円形交番。インパクトあるな!
ヤシの木が南国気分を作っている。・・・ん?徳島って南国なの??
このビルもいかにも戦後昭和30~40年頃の雰囲気をまとった建物だな。
徳島にほとんど近世や近代の建物が残っていないのはやはり空襲を受けたからだそうで、
焼夷弾が降り注ぎ焼け野原になった徳島の中心部にあって、残ったのはコンクリート造の建物のみ。
現みずほ銀行、元日本勧業銀行徳島支店はその一つだ。最初は、阿波農工銀行本店として建てられたとか。
1929(昭和4)年築。
大通りでなく生活道路クラスの道路に面しているのがちょっと意外だが、昔はこちらがまちの中心地であり
この通りがメインストリートだったということだろう。
道路に面して円柱が6本並びその上に大きなアーチが渡っている。比較的簡素になっているものの
古典的なスタイルを踏襲した、いかにも銀行といった建物。
引きが取れないのでなかなか全体を撮るのが難しいな!
この日は平日だったので、銀行も営業日である。一般のお客の顔をして店内に入ることは別に構わないだろう。
ひと通り外観を撮ってから、ガラス窓から店内を覗くと・・・おや!?
な、なんだこれは!?うぉ~~~っ!
店内に入り吹き抜けを見上げると、天井が6重の額縁になっている!?そしてバンドを巻いたようなこの柱は!?
こうなるともう一般のお客ではいられない(爆)
正式にお願いして、人や銀行設備が絶対写らないようにとの条件付で写真撮影の許可を得た。
入口に近い部分はこんなヴォールト天井になっている~
脇の柱が独特!!何この段々のハンチ(?)は。ゼセッションなのか?キュビズムなのか?表現主義??
黒色の大理石でくっきり縁取りされているのがモダンだな。外観からは全く想像もつかなかった。
階段の親柱も黒色の大理石で縦溝入りのシンプルなデザイン。
しかし現役の銀行で、天井板を張ることもなくこんなオリジナルのまま使い続けているというのは
珍しいんじゃない!?徳島市の貴重な戦前建築という認識で大切に使われているのだろう。
ちょくちょく建築を見に来る人がいるとのことで、責任者らしい男性の方も気さくに話して下さったり、
「焼夷弾の跡があるんですよ」と女性行員の方がわざわざ私たちを案内して下さったりも。
建築の素晴らしさはもちろんだが、営業中にも関わらず嫌な顔ひとつせず温かく対応下さったことに
とても感激した。ありがとうございました!
銀行のほぼはす向かいにもう1軒残っている戦前建築が、油問屋であった高原商店の本社兼住居として
建てられた旧高原ビル。1932(昭和7)年築で、この時期大流行していた黄色っぽいスクラッチタイルが
全面に貼られている。左側のドアが住宅の玄関だったのだろう。
アールデコっぽい丸窓の面格子。
このビルはリノベーション済みで、入口から路地のような通路が新町川沿いのボードウォークへとつながる。
裏に作られた新しい棟と一体となり、中央部が吹き抜けの階段ホールになっている。
多分元のビルが裏の川べりまであったのを、裏側の部分を壊して建て替えたのではないかと想像。
現在はテナントビルとなっており、川に面して飲食店などが入っている。
古い棟の2階はガランと空いていたが、ギャラリースペースとして使われているようだ。
エレベーターで3階まで上ると屋上に出られる。こちらもスクラッチタイル貼りの小さなペントハウスがあり、
かわいい丸窓が2つ。
こちらも貴重な戦前建築を生かしながら現代に生きる建物として使い続けられており、うれしいことだなぁ。