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Channel: まちかど逍遥
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吉野山ケーブル

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年末に母親の依頼ついでに自分の分も買っておいた、近鉄の初詣1dayチケット。
1200円で三本松以西の近鉄電車に乗り放題(特急はもちろん別途料金必要)。
スルッと関西の2day・3dayチケットでは乗れない吉野線の壷阪山以南もこのチケットなら
全部乗れるので、とりあえず吉野は行っとこう。
その他どこがいいか見ていたが、近鉄は駅舎がそそらない(苦笑)。あとは行ってから考えよう。

難波で急行に座れたので奈良線経由で行くか。西大寺の連続踏切を見てから、南へ下る。


西大寺〜八木間は昔からのんびり牧歌的な風景が広がる。盆地なので背景には山並みが連なり
限られた平地であるが、意外と起伏もあり、郡山城の石垣や金魚の養殖池、古い環濠集落、
古墳など、懐かしく奈良らしい風景に癒やされる。

橿原神宮前駅は、昔祖父母の家へ行くときなどよく使ったが、あのころから大して変わっていない。
南大阪線が構内踏切だった気がするが・・・
中央の通路部分をゆっくり見たかったのだが、乗り換え時間がギリギリ。また帰りにするか。

吉野線は阿部野橋から直通であるが、急行も特急でさえも橿原神宮前以南は各駅停車となる。
ちんたらちんたら・・・通過待ちばかり。停車中保温のためドアを閉めるのはいいのだが、
JRなどのようなドア開閉ボタンがないので、いったん閉まると車掌に言わないと開閉できず、
いつものようにホームに出てうろうろできないのだ。
いくつか途中下車しようと思ったがめんどくさくなった(苦笑)。

吉野駅の鉄骨の梁の大屋根はやっぱり迫力があっていいな!壮大な雰囲気。
駅舎のショボい近鉄にあって唯一かと思われる(橿原神宮前もいいが)素晴らしい駅だ。




前回兄と行った時は見ただけだったケーブルに今回は片道乗ることにした。
ケーブルと言っても実際はロープウェイである。昭和4年に開業し、現存するロープウェイとしては
日本最古で、昨年日本機械学会により機械遺産に認定されたということだ。





車両は色あせた近鉄特急カラーで愛らしい。千本口駅からさくら号に乗り込む。
ワイヤーを支えるゴッツい鉄塔は昭和3年建造のものがいまだ現役。




鉄塔は高さや形の違うものが次々現れ、わくわくする〜!
窓が傷だらけでクリアに見えないのがご愛嬌・・・(苦笑)


眼下に見える山肌は、桜の花は咲いていないが薄ももいろに霞んでいる。
吉野山には桜の木の生命がにじみ出ているのだ。


ケーブルの吉野山駅に着いたらそこは「下の千本」。桜の名所吉野山のまだまだほんの入口である。


少し歩いて蔵王堂まで行こう。小学校の林間学校で行って以来だな。





お参りしてから引き返し、帰りは歩いて吉野駅に戻る。

柏原南口駅と築留二番樋

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吉野からの帰り、吉野線のちんたら具合と寒さに途中下車をいっさいあきらめ、乗り鉄に徹する。
阿部野橋行き急行なので橿原神宮前駅での下車もめんどくさくなり(苦笑)、
実家からいつでも行けるわ、とスルー。

なんだかズボラ旅になってきて、これではイカンと道明寺線への乗り替えを決意。


目指すは柏原南口駅。前回は柏原まで行ってしまったので下車しなかったのだ。


柏原南口駅は大和川の堤防の高さと同じレベルにある。




堤防下を走る国道25号をまたぐレンガ積橋台と玉石積みの法面が、歴史の古さを物語る。


柏原南口駅は1924(大正13)年に開業。しかしこの路線はもっと古く、1898(明治31)年に
河陽鉄道が柏原〜富田林間を開通させたのに始まる。




柏原から折り返して来た電車が堤防の踏切を通り過ぎるのを撮ろうと思ったのに、
国道を横断する押しボタン式信号がなかなか変わらず・・・・行ってしまった(涙)


ここは近鉄大阪線に一番近接していて、安堂駅まで歩いて5〜6分。柏原〜堅下よりも近い。
国道の一段下の道を歩いていくと、「築留二番樋」というレンガ積みの小さな取水口があった。
「山本樋」と彫られた笠石がそばに残されていた。


大和川の付け替え後農業用水路となった長瀬川と玉串川の、これが源流らしい。
このレンガ造の樋門は明治40年ごろに作られたものだというが、付け替えは約300年前。
付け替え後すぐはもっと簡易な樋があって改修したということだろうか、それともそれまでは他の場所の
樋が使われていたのだろうか。


中甚兵衛の銅像や、こんな「西暦1703年代大和川流域の図」があった。黄色のエリアが旧川筋である。
川違えにより沿岸の村々では長年苦しんだ水害から解放され流路は田畑に生まれ変わり新たな産業が発達した。
この地図に書かれた丸囲みの村々の名を見ていると、大和川の付け替えがどれほどこの大阪平野に大きな影響を
及ぼしたか、ということに思いを馳せずにはいられない。


服部川駅と西信貴ケーブル

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安堂駅から近鉄大阪線に乗って河内山本まで行き、信貴山口行きに乗り換えよう。
あっ、行ってしまった!と思って時刻表を見たら、朝5時台から夜11時台まで
1時間あたり3本または4本ほぼコンスタントに走っているのに驚く!
ほどなく次の列車がやってきた。


信貴線は山本駅から真東へ向かい、外環状線沿いに広がる町を飛び越え、信貴山の山麓で大きく南へ
カーブする、その途中に服部川駅がある。
信貴線には何度か乗っているが、服部川駅で途中下車したことがなかったので、今回降りてみよう。


ホームも勾配がついているのか、ベンチが段々になっているのが面白い。


駅の山側は住宅が密集しているが西側は田んぼや荒地が広がっている。




終点の信貴山口駅まで行き、ケーブルに乗り継ぐ。おや、ずいうん号はデザインが変わったな。
服部川駅を過ぎてからほぼ山に平行にここまで上ってきたが、ここからは山に垂直に立ち向かう。
ここでは169.5パーミル(1パーミルは1/1000)だが、進むにつれ勾配は尋常でない数字に・・・

中間あたりにあるトンネルを抜けたら、前方のレールはまるで天国へ上る道のように(笑)
目の前に立ちはだかる!それもそのはず、終点直前の最高勾配は480パーミルあるのだ!!

高安山駅到着。ここには以前にも来たことがあるが、夜に見る高安山駅舎もまた素敵だ。


近鉄の古き良き駅の形をとどめた貴重な駅舎。


西信貴ケーブルは、現近鉄信貴線の開通に合わせて1930(昭和5)年に信貴山電鉄鋼索線として開業した。
戦前に休止され、戦後1957(昭和32)年にようやく営業再開している。
駅舎はそのときに新設されたものだろうか。それとも昭和5年のもの?


「尼崎 三宮方面のりば」とは!!確かにそうなんだろうが・・・違和感ありまくり。


展望台からは大阪平野の夜景が一望!ただこの日は曇っていてかなりどんより。。。


昭和5年、鋼索線とともに高安山〜信貴山門を走る鉄道線も開業したが、こちらは戦後復活することはなく
廃止されてしまったらしい。同じく廃止されてしまった東信貴ケーブルと合わせて、戦前までは鉄道で
信貴山越えできたんだなぁ〜。惜しいなぁ。


しかし山の上は寒い!そろそろ退散〜


夜の信貴山口駅もいいね!

千間川跡を歩く 〜続き

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こないだの記事では、深江橋駅から城東運河(平野川分水路)の東側と緑橋駅付近を
見ただけで終わっていた千間川跡。
やっぱり城東運河を越えたところも見ておかないとな、と、ちょっと回ってみた。


今里筋より西側は千間川公園になっているとこないだ見た千間川と緑橋の碑に書いてあったが、
このあたりも千間川みどり公園という細長い公園になっていて、まさに川跡そのものの形を残している。
どうせなら全部見ておこうと城東運河にぶち当たるところまで行ってみると、
人道橋の脇に小さな祠があり、そして・・・おお、堤防が残っているじゃないの。


運河に向かってラッパ状に開いた形のコンクリート堤防が、川跡の両岸に残っていた。
千間川と城東運河はクロスしていたのか少し疑問に思っていたが、やはり十字水路だったようだ。


最終期の川幅は今の公園の幅より若干広かったようだ。道路幅を確保した上で緑地公園を整備したのだな。


南側の堤防は民家の裏側に肉薄し、今は堤防の上に鉢植えなどが乗せられているが、いかにもどぶ川に
背を向けて建てられた様子がよく感じられる。
いいねぇ!

うなぎの寝床のような公園を歩いて行くと、やはり古い建物ほど裏側感満載。




このあたりなど、橋が架かっていた様子がありありと想像できるなぁ。


公園はゆらゆらと微妙に幅を変えながら続き、途中から道路に変わっていた。


あっここにも堤防が。


無駄に幅の広い植樹帯のある道路が続き、今里筋へ。・・・ここから西はまた次回にしよう。

香芝駅

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久々に王寺からJR和歌山線に乗った。そして目的地は香芝。


JR香芝駅は私が知っているころは下田という名で、近くに友達が住んでいたので、
近鉄下田駅から歩いてこの駅の横を通って遊びに行ったものだ。
大人になってからある時気づいたら下田は「香芝」に変わっており、隣に「JR五位堂」駅が
新しくできていて、驚いたものだった。

駅名の変更は2004年らしい。

快速電車からこの駅に降り立ったとき、おっと・・・ホームとの段差が大きい。
30cmぐらいあるかな、階段を一段下りるような感覚。田舎の駅に来たことを体感する(笑)


跨線橋と小さな駅舎はあの時代から全然変わってないような佇まい。
レールの間から草がぼうぼうと・・・・う〜ん、いいなぁ〜


簡易な自動改札を出てみると、待合室は古そう。


ペンキを塗り重ねられた木製の戸と石のレールが無言で歴史を語る。




外観も入口まわりこそサイディング張りになっているが脇を見ればれっきとした下見板張り。

香芝駅は大阪鉄道の下田駅として1891(明治24)年に開業。
この駅舎は国鉄時代に建てられたものだろう。

王寺と香芝の間にある畠田、志都美などもマイナーな駅だが、車窓から見たところ
新しい駅になっていた。

以前めぐった京終や櫟本などと同じように今も国鉄時代の香りが漂う古き良き駅が、
結構身近なところにひっそりと残っていたことを知ってとてもうれしくなった。


名前は変わってもこの雰囲気はこの先いつまでも変わらないでほしいなぁ!

ナローゲージ発見!?

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この雰囲気あるカーブの線路は!!ナローゲージ鉄道発見か!?


土曜日にyumeさんと京都市動物園に行ってきた。その中に小さな円形の遊園地があって、
その外周部を小さな汽車が走っているのだが、これがとってもいい!
直径30mぐらいの円形の線路は本物の鉄道のようだ。ちゃんと踏切もあって警報機が鳴って
スライド式の柵が閉まるようになっている。


乗り場も本物の駅の上屋みたいで雰囲気抜群〜!



ほんの小さな遊園地だけどこれが結構賑わっているのだ。単純ですぐ乗れて安いのがいいよね!

観覧車もいいなぁ〜。これはある意味産業遺産と言えるんじゃない?
オープンエアーのゴンドラが結構な速さで回っている。1周2分ぐらいだろうか。
乗ろう乗ろう(笑)


あっという間にてっぺんまで来て、遊園地の全貌を見渡している間にもう降りてきた(笑)

200円で満足満足!

現在動物園は全面リニューアル工事中。このときちょうどカバ舎が解体中。素敵なゾウ舎も
建て替えられるようだが、この遊園地は残るのだろうか。残してほしいなぁ。

阪神岩屋駅とフィンランド展

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日曜日は妹と兵庫県立美術館で開催中の「フィンランドのくらしとデザイン」展を見てきた。

阪神岩屋駅はちょうど阪神線が地下へもぐるところに作られていて、ホームの東半分が青空の切り通し、
西半分が地下にある面白い構造だ。地上西側から見ると駅舎が終着駅のように線路に対して垂直方向を
向いて建ち、三方を道路に挟まれた駅前広場がある。


駅の東側には深い切り通しをまたぐ道路橋があるのだが、その中央部からホームへつながるような
古い階段があった。橋の真ん中から駅のホームに直結とはこれまた面白い構造だな。


今は橋の側もホーム側も閉じられ、使われている形跡はないが、昔はこちら側にも改札があって
アクセスできるようになっていたのだろう。
そして今は別々になっているが昔は上下線とも島状ホームにあったことが想像できる。

しかし不要になったのに撤去しないのは、緊急時の避難経路として残してあるのだろうか・・・
想像はふくらむ。

・・・と、帰ってから検索してみると、岩屋駅はやはりかつては東口があり、地上に駅舎が
あったらしい。橋から直結、というのとはちょっとイメージが違ったようだ。
そしてこの階段は震災時に仮設駅舎へのアクセスとして使われたとか。地上部を見なかったのは
しくじったな。。。

こちらのサイトにちょっと昔の写真がありました。


フィンランド展の方も、なかなか面白かった。

やはり私が一番じっくり見たのは家具やプロダクトデザインのコーナーで、カイ・フランクデザインの
有名な食器のシリーズが、冷蔵庫のない時代に二重窓の間にすっぽりおさまる細長い形のミルク入れを
デザインしたのに始まるとか、アアルトのチェアによく使われる木材の曲面部分が、単純な薄板の
張り合わせでなく、一枚の無垢の板に部分的に薄く切り込みを入れ(基の部分はつながったまま)
ずらしながら曲げるという高度な技が使われていることなど、驚きや感動がいろいろあった。
その地の風土やくらしから生まれたデザインというものは美しい。

フィンランドのくらしとデザイン展は3/10まで。

愛媛の旅 岡田駅と松前駅

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オレンジフェリーで行った愛媛の旅からすでに2年が経とうとしている。
年末に松山出張に行ったことや、最近ねじまきさんが四国の旅行記の連載を始められたことで、
あの旅を思い出す機会が多く、フェードアウトになっていた記事の続きを復活させようか、と
思いついた(苦笑)。

写真をピックアップするところまでは当時やっていたのだが、何せ感動が大きくて枚数を絞れないし
言葉にあらわすことが難しくて、どうまとめようか悩んでいるうちに時が過ぎてしまったのだった。
記憶が薄れてしまったところもあるが・・・とりあえず写真を並べていくことにしよう(汗)


郡中のまちをうろついたあとは、伊予鉄郡中港駅から郡中線に乗って木造駅舎を見に行く。
まずは岡田駅。結構大きな駅舎である。


ホームと駅舎の間に隙間があるのはホームがかさ上げされたからだな。


おお〜っ、待合室の天井はこんな風車状のデザインの竿縁天井!しかも周囲は格子状である。
面白いな!


この駅舎の軒の形はちょっと変わっている。これも箱軒と呼ぶのだろうか?木造駅舎ながら
すっきりしてモダンなシルエットだ。これはオリジナルの姿なのだろうか。


岡田駅の駅名板は何度も書き換えられてきたとみえ、うっすらと右文字が。


年月を経たベンチの風合いも素敵・・・



次に松前駅。
実は、車内アナウンスに注意しながら車窓風景を楽しんでいたのだが、予想していた駅名の読みと
実際の読みがあまりにも違っていて、一度降り損ねた。

耳では「まつまえ」駅を待っていたのに、「まさき」駅だったとは。。。(汗)
まぁここの電車は15分に1本コンスタントに来るので、ちょっとのロスで済んだのは幸い。

ここも古い板張りと漆喰壁の素敵な木造駅舎。


この駅の入口のひさしは入母屋風で、お寺か古い木造校舎のようだ。
それでもすっきり見えるのはセメント瓦のせいか。




しかしこちらもかなり大きな規模である。横には浴場だろうか、小さな附属屋がついている。
かなり古く、もちろん今は使われている様子はない。

ん〜〜〜逆光が恨めしい!!



やっぱり木製建具がいいなぁ。


松前をあとにして松山市駅へ向かおう。


岡田駅、松前駅のほかに余戸駅も古い木造駅舎だった。松前駅でロスしなければ立ち寄れたなぁ。。。


続く。

注)この記事は2011年5月の旅です。現在は状況が変わっているかもしれませんが、悪しからず・・・

愛媛の旅 横河原駅と石手川公園駅

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2年前の愛媛の旅、からの続き。

車内の窓に貼ってあったステッカー、これがかわいくて(笑)
四国銘菓一六タルトをモチーフにした「タルトレンゴウ」というキャラクターらしい。むふっ


横河原線で終点の横河原まで行く。
通過駅のような棒線状のホームを少し通り過ぎてから終点になっている。
この先続いていたのだろうか・・・?


シンプルな形の切妻屋根の駅舎が静かにたたずむ。
真新しいコンクリートのスロープが追加されているが、その他は手付かずに見える。


由緒正しき木造駅舎、という感じ。飾りもてらいもなく素朴で好ましい駅だ。




5月の日差しはすでにまぶしいほどで、建物内外のコントラストが激しい。。。


年月を経た色合いの駅舎にシンプルなステンレス車の取り合わせも、それほど悪くないね。


周辺を少し歩いてみたが、この先に線路が伸びていたような形跡は見当たらなかった。

地図を見ると、小松街道、讃岐街道という街道が交差し、賑やかな町だったのだろうと想像される。


戻って石手川公園駅。ここは古い駅舎がある訳ではないのだが、すごいロケーションに驚く!!


この駅は石手川の真上にある。川の上の駅は、阪神電車にも普通にあり珍しくないのだが、、、
むき出しの鉄骨トラスがホーム上に・・・というより、ホームが橋なのだ。これぞほんとの橋上駅。
橋桁に降り立つ感じで、すごい圧迫感!電車が動いている間はトラスの陰に避難(笑)。

こんな駅のホームは現代日本で他にあるだろうか。最高!



この階段は、駅に平行している人道橋。この階段の右手から河原に降りられて・・・


レンガの橋脚の横からこんな風に線路脇を覗き込むことができる(笑)。
でも危ないので、すぐに退散。。。


近くにはねじりまんぼのレンガ橋もあったようだ。それは1892(明治25)年頃の架橋と
考えられているそうで、このトラス橋もほぼ同じ頃のものだろう。


長編成の車両運行に対応してホームを延伸したのだろうが、この部分に停まる車両はドアを開けない
というような運用もせず、平然と使用しているのが面白いなぁ〜!


続く。

注)この記事は2011年5月の旅です。現在は状況が変わっているかもしれませんが、悪しからず・・・

愛媛の旅 素晴らしき高浜駅

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2年前の愛媛の旅、石手川公園駅からの続き。
松山市駅に戻り、今度は伊予鉄高浜線に乗って高浜へ向かおう。

有名な大手町のダイヤモンドクロス。名鉄築港線の東名古屋港駅近くにもあって以前見に行ったが
(これも書いていなかったか!)、あちらは一方がめったに通らない貨物の名古屋臨海鉄道であり
どちらも単線だが、ここは両方が複線で電車がジャンジャン走る路線。
左右に路面電車と車どもを待たせて、高浜線電車のお通り!


単線のJR予讃線をくぐって郊外へ。


おおぉ・・・洋館風の美しい妻壁が見えてきた。


古い支柱の並んだホームに電車が滑り込む。うわぁ。。。なんと素敵なんだろう。
高浜駅は1892(明治25)年に三津から延伸して開業。この駅舎は昭和初期の建築らしいが
はっきりしないようだ。

ホームに佇みしみじみと浸る前に、改札口で私を待っている駅員さんにきっぷを渡しておこう。

古い木の板でできた駅名標、回転式のらんま、高い天井の待合室、そして・・・・


海に直結した通路!!う〜ん、いいねぇ!!


これほど完璧な駅舎はないんじゃないか。


端正な姿の高浜駅舎。私の中でお気に入り駅ナンバーワンはここかもしれない。


駅の正面にある高浜港にちょうど船が到着したようだ。


この高浜港は沿岸にある興居島(ごごしま)や中島とを結ぶ船の乗り場で、長距離フェリーは
少し先の松山観光港から発着する。


ホームの先にはバスのりばがあり、電車の到着に合わせて松山観光港行きのバスが待機している。


駅構内は昔はもっと広かったようだ。この空地は車庫でも建っていたのだろうか。


駅の裏側は住宅地であるが、回ってみると、おお〜っ、三津駅と似たアーチ型の意匠が!美しい〜
裏へ回って来てよかった!正面側の妻壁にはないが、元はあったらしい。

あまりにも素晴らしい高浜駅、ホームに降り立ってから小1時間ぐるぐる駅の内外をうろついた。
名残惜しいが・・・そろそろ次へ。梅津寺駅へ向かおう。

線路沿いに歩いて行くと高台に高浜開港記念の碑があった。




岬の上は山の手の雰囲気。そこを越えると梅津寺の白いビーチが見えてきた!


続く。

注)この記事は2011年5月の旅です。現在は状況が変わっているかもしれませんが、悪しからず・・・

スクラッチタイルをまた作ってみた

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陶芸は今もぼちぼち続けている。
前回スクラッチタイルを作ったあと、時々器も作ったが、やっぱりタイル!
同じサイズで、やっぱりスクラッチ(笑)

前回と同じ土だが、今回はちょっといろいろアレンジしてみよう。

・・・で、まず焼きあがったのがこれ!
今度はかなり慎重に、あまり動かさないようにして素地を作ったので、ほぼフラット!!
そして、かなり力強く引っ掻いた!!


そしてこの金属光沢、鉄板を切り裂いたような質感はベンガラによるもの。
上から乗せたのではなく、いちめんに塗り重ねてから引っ掻いたのだ。


かなりいい感じにできてきたのだが、やっぱり「ワラビ」の先端がポロポロとれてしまうなぁ〜
丸っこい部分がなくなっておろし金のようなちくちくが残るのだ。
粒の入ったみかげ土だからもろいんだろう。一度粒の入らない土を使って作ってみよう。


これからまだ順次焼きあがってくるので、請うご期待!

尼崎の引込線

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土曜日にAさんと阪神尼崎で開催されていた工場写真展を見てきた。
阪神電車からの車窓風景としておなじみのレンガ倉庫が会場ということもあり、大賑わい。
残念ながら内部は写真撮影禁止だったが、分厚い壁や木造屋根を内部から見れてよかったし
趣ある建物は工場写真展の会場としてぴったりだった。後方からのライティングは人の影が
写真にかかってイマイチだったけど、配線や器具取付の都合もあるだろうから仕方ないか。。。

さてその後、東高洲橋へ行こうと歩き出す。国道43号を渡り五合橋の手前で古い民家を見に脇道へ入り、
ぐるっと回って歩いていると、ん、何か妙な感じ。
Aさんも「この道川跡かな?」と。ん〜、しかしすぐ横に並行して運河があるからなぁ。


さっきの五合橋の手前に戻ってきた。
あっ、この妙な道の続きが、道路を超えた先ずっと奥まで続いている。・・・廃線跡だ!
尼崎港線の尼崎港駅から先、旭硝子への続いていた引込み線が、これか!
帰りに見に行くとしよう。


五合橋を渡った彼岸は工場地帯の始まり。こちら側とは雰囲気がガラッと変わる。

・・・と、川の中で何かやっている。浚渫作業か。
橋の上で見ていて目の端に入ったのが、黄色い遮断機。これは浚渫作業とは全然関係なく
駐車場の入口ゲートとして設置されているものだが、確実に鉄道の遮断機である。


よく見ようと近づいていったら、川での作業についての表示板などがあったので、その地図を
見てみると、、、おお、さっきの旭硝子引込線から分岐した線が運河を渡っており、その横に
「住友金属工業引込線」の文字が!


あっ!じゃああの遮断機は元々引込み線用としてそこにあったものでは!?
道路を遮断するためのものをくるっと90度動かして、線路跡を含む駐車場の入口ゲートに
転用したのではないのか?いや、そうだったら楽しいなぁ!

駐車場の奥の工場敷地内にはカーブした擁壁がちらっと見えた。

工場に沿って歩きながら植栽の間からちらちら覗くと、鉄道っぽい石積みが見えたが、
その先はよくわからなかった。


外部からの引込線はすでになくなったが、工場内の専用線は今も稼動しているようであり、
道路を横断している線路もある。Aさんが、貨車が走っている動画を見たことがあると言うので
工場の守衛さんにちょろっと聞いてみた。

平日はちょいちょい走るが土日はめったに走らないらしい。しかも時刻表があるわけでなく
不定時とのことなので、1日張り込む覚悟でないと貨車が走る光景を見るのは難しそうだ。

東高洲橋に到着。ここに来るのは5度目ぐらいだろうか。まだ一度も開くのを見ていない。

付属の小屋におっちゃんがいたので聞いてみたのだが、時刻は書いていてもその時間帯に
船が来ないと開かず、予約制でもないらしい。昨日までは運河で作業をしていた関係で
何度か開閉していたけどもう終わったからねぇ、、、と。ん〜、こちらもダメか。

戻ってさっきの廃線跡をたどってみよう。
細長い空地はいかにも線路だ。この引込み線も昭和59年以前に廃止されたのは間違いないが、
それからずっと空地のままなのか。


定番のレール柵。


この先はトラックの駐車場になっていたり建物が建っていたり、ちょっと使われている。
そしてフェンス扉があり、旭硝子の工場の中へ。ここで廃線跡めぐりは終了〜


これまでちょっとずつ部分的に見てきた尼崎港線の廃線跡はこれで全部行ったかな!?
・・・あ、塚口のあたりがまだか!また見に行かねば。

<これまでの尼崎港線の記事>
廃線跡、ときどき廃川跡
廃線跡、のちお風呂屋
廃線跡、所により衝動買い(?)
尼崎港線は続く
尼崎港線のレンガ

愛媛の旅 梅津寺から三津へ

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愛媛の旅 高浜からの続き。

岬を越えて坂道を下りていくと青い空と海を背負った梅津寺駅。
この駅はドラマ東京ラブストーリーのロケに使われた駅だが、当時はそのドラマをじっくり
見てなかったので、ここに来た時も「ふうん」という感じだった。

ところが去年、再放送をやっていたのをたまたま第1話で見て、懐かしくて新鮮で
すっかりハマって全話見てしまったのだ(爆)

現地に行った後にドラマを見るから気づくこともある。
リカがカンチを待つ海沿いのホームは高浜行きであり、東京へ帰るなら普通は内陸側にある松山市行きの
ホームで待つんじゃないの?まさか高浜港から三津へ船で渡るとか、呉に渡って広島から新幹線か?(笑)
いやいや、あの頃は高浜から東京行きのフェリーが出ていたのかも。。。なんて妄想を広げて楽しむ。

ビーチをちょろっと見てから次の駅目指して歩こう。

踏切の向こうにきらきら光る海が見えて、横道ごとに入っていかずにはおられない
楽しい散歩道。




こんな洋館付き住宅も。


港山駅に到着。おや、この駅はちょっと変わっているぞ。
島状ホームから降りてくると、なんと踏切の上下線の間に出てくるのだ!こんなのあり?
片方の線路は使われていないのかな?


さらに三津の渡しを目指して歩いていく。


船乗り場はほんの道端みたいなところにあり、見ている間に対岸から船がやってきた。


三津の渡しは内港を横断する、約80mの渡し船。大阪の渡船と同じく道路の一部という
位置づけなので、無料である。


沿岸に並ぶ小さな造船所を眺めたりしているうちに、もう到着。

舳先から乗り降りするのもいいね!


大阪市営渡船、若戸渡船、萩の渡船、如意の渡し、鞆の福山市営渡船、台湾高雄の渡船・・・
各地で渡し船に乗って来たが、地元の人の足として生きている渡し船は、ほんの数分の船旅でも
実に楽しく心に残る。

続く。

兵庫貨物駅の転車台の石

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JR兵庫駅の南側の「キャナルタウン」というURのマンションの建ち並ぶ地区は、以前の記事にも書いた通り
かつて兵庫貨物駅が広がっていた場所であり、運河を模したせせらぎやレンガ風の意匠が凝らされている。
敷地の一角には、鳥瞰図風の絵地図と共にこの地の歴史を記した説明板が設けられている。


今はなき兵庫臨港線や新川貨物駅、鐘紡前駅、今よりも南にある旧和田岬駅などが描かれ、
見ていると飽きない。

この「大神戸景観図」は神戸又新日報が作成したが発表する前に廃刊となり、日の目を見ることなく
お蔵入りしたのだとか。もったいない。。。

駅前広場には、1888(明治21)年にこの地に建てられた山陽鉄道の神戸機関庫の
イギリス製の鉄柱がモニュメントとして残されていたりと、場所の系譜を伝えていこうという
姿勢が感じられてうれしい。

ちなみに同じ鉄柱が鷹取駅のトンネルにもある。

今日新たにもうひとつ見つけたのが、植栽の陰に埋もれかけたこのプレート。
マンションの工事中にこの石が直径約14mのドーナツ状に並んでいるのが見つかったのだとか。
横にある「キャナルタウン広場」と刻まれたみかげ石、これのことらしい。

ストーンサークルか!?
いや、そうでなく転車台の遺構だったようだ。地盤下1.5mのところに埋もれていたということは、
貨物駅の最終期よりもずっと昔に打ち捨てられたものであろう。山陽鉄道時代のものかな?
こんな誰も目を留めないような小さなプレートだが、これを見たとき、不意にセピア色の
貨物ヤードの風景が瞼の裏に広がった。

貨物駅の雰囲気はもう何もなく、子供連れの若い奥さん方が行き交う明るい住宅地になっている
この地だが、一枚のプレートが見る者のイマジネーションをふくらませるのである。

COFFEE HOUSE ビクター

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扇町でちょっとお茶。
天四で前に目をつけていた喫茶ビクターへ。


おお・・・渋い。目の前のフロアから、半地下へ下りる階段と中二階へ上がる階段が右手に。
そんなぁ〜〜、どちらもよさげで悩むよぉ〜〜

レンガと木の色の落ち着いたインテリア。入りやすいからか1階の席が人気のようだ。
数秒入口に佇んだまま悩んだ挙句、隠れ家のような半地下の席へ。

・・・で、やっぱり紅茶を注文。COFFEE HOUSEなんだけど(汗)。

実はこの半地下席、行き止まりの穴ぐらかと思ったら、奥にも階段があって1階へ抜けられる
ようになっているのだ。
1階の席に座っている人から覗き見られているみたいで、ちょっと落ち着かない(苦笑)。
中二階の方がよかったかな?

今度は中二階の席と1階の席を試してみよう。

これで3回客が来てくれる。・・・やるな!

愛媛の旅 三津のまちなかを歩く

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愛媛の旅 三津の渡しからの続き。

三津のまちなかを通って伊予鉄三津駅へ向かおう。
こんなモルタル塗りの事務所建築が。えらく派手な冠をつけているな!


出窓や角部分の小破風など気になる意匠を持つ民家もちらほら。


チェックしていた近代建築を見に行く。
これは港のそばにある石崎汽船本社ビル。抽象化されてはいるが、柱頭飾りも見られる
古典ベースのデザイン。クリーム色のタイルがやわらかい印象を醸し出す。
1924(大正13)年竣工。

後から見る松山市内にある愛媛県庁舎や萬翠荘と同じ木子七郎の設計とか。

そのお向かいには山谷運送部のビル。
こちらはさらに単純化され直線のみで構成されたデザインで、モルタル色の地味な建物に思うが
現代のコンクリート打ちっぱなしのようにクールで斬新な建物は港の顔だったに違いない。


筆書きっぽい書体の「山谷運送部」の文字だけが異質。


出窓部分に変わった格子のらんま(?)が見られた、かなり古そうな民家。


幼稚園かな?と思ったけど、達筆な表札をアップにしてみたところ「天理教三津浜分教会」
と読めそうだ。花形の窓がかわいいな!

各地の天理教の教会も古くて立派なものが多い。

モッコウバラが花盛り。あちこちの庭先でたまご色の花が束になって咲き誇っていた。


三津港へ続く運河を渡り、伊予鉄三津駅に到着。
三津駅舎はもともと高浜駅を小さくしたようなかわいい木造駅舎だったのだが、バリアフリー化
や駅前整備の必要性から建て替えの計画が持ち上がり、地元では保存運動が高まりいろいろ
議論がなされた末、改築されたようであるが、ほぼ建て替えであろう。
それでもデザインは前駅舎を踏襲し、ぱっと見では古いものを塗り直しただけのようにも見える。


下見板張り風の外壁はコンクリートで作ってあり、しかも木目までつけてある!
これはこれですごい。


三津駅近くにあったお風呂屋、中須賀温泉。入ろうかと思ったけど、明るいうちはまだ歩きたい。

ここからJR三津浜駅まで行くのに、住宅地の中に入り込んでしまったせいか、大いに迷って
何度も人に聞いて、30分ぐらいかかってようやくたどり着いた・・・
駅南側の広い道を歩けばずっとまっすぐ、10分ぐらいだったようだが(苦笑)。

迷ってへとへとになったせいか、三津浜駅の外観を撮り忘れてしまっている(汗)。


この駅は木造駅舎をほんとに「改築」したもののようで、ホーム側も古い駅の面影を残す。


構内は広く、古いコンテナや取り外されたレールなどが置かれていた。
電車が来るまでこの風景を堪能・・・

さぁそろそろ都心部へ戻ろう。

続く。

注)この記事は2011年5月の旅です。現在は状況が変わっているかもしれませんが、悪しからず・・・

心斎橋 麓鳴館

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友達と心斎橋でお茶しようということになって、前々から入ってみたかった喫茶店、麓鳴館に行ってみた。

石畳の路地に面したロケーションといい、外から見える店内の照度といい、年配の常連さんばかりの
隠れ家っぽい雰囲気に気後れして今まで二の足を踏んでいた。

ゆっくり落ち着いて話のできる場所を求めて、ちょっと勇気を出してドアを開けると、
おお、渋い・・・!スパイスの香りが店内に立ちこめている。カレーが名物らしい。


一番奥のテーブル席に座り、レコード盤から流れる快いBGMを聞きながらカフェオレを飲む。
いいねぇ〜


見事なヘアピンカーブを描くカウンター板は曲げ木によるもので、開店時から38年間
店内は全く変えていないとか。
「食事もできますからよかったらまた使って下さいね」とママさん。
思っていたような敷居の高さはなかった。これから私の隠れ家にしよう。
音楽のライブとかも聞いてみたいなぁ〜

家具の宮崎 本店

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今月の洋風建築めぐり講座は、京都夷川にある、家具の宮崎。
そういう建物が近々建て替えされるという話は聞いていたのだが、どんな建物でどこにあるのかは
知らなかった。
地下鉄丸太町からほど近いこの夷川という通りが、家具屋の集まるエリアということも知らなかった。
いきなりこんな大物が目の前に現れて、京都の奥の深さに恐れ入るばかり。。。


白いタイル貼りの壁と大きなウィンドーからなるファサード。MIYAZAKIの文字が素敵!
1936(昭和11)年、武田五一が監修、弟子の宇都宮誠太郎の設計で竣工した建物は
全く古さを感じさせないデザインで、またとても状態がいいように見える。
何で建て替える必要があるのだろう、と思ってしまう。


入口の天井にはオリジナルの照明。


ウィンドーガラスのアールが見事!


その上部、らんまの部分には花や木のポップな模様がサンドブラストによって施されている。
図案は宇都宮誠太郎の得意とするところ。


1階の展示場には八角形の柱が並ぶ。
この建物は意外にも木造であり、この柱も木骨にプラスター(西洋漆喰)を塗ったものだとか。
昔の写真を見せていただくと、もとは上部にぐるりと行灯型の照明器具がついていた。


ロの字型の平面構成になっていて、中庭の部分には噴水がある。
この変わった形の噴水は武田五一によるもので、テラコッタ製。
サボテンではなく万年青(おもと)であると、案内して下さった宮崎の若社長がおっしゃっていた。


ショーウィンドーと同じようなエッチングガラスが中庭に面した扉のらんまにもはめ込まれ、
鳥やリボンなどの模様とともにこの建物の竣工年である「1936」の数字が入っている。
この模様自体も何か意味がこめられているのではないかと思うが、実際のところはわからない。


足下はよくある溝入のクリンカータイルだと思ったら、布目模様のボーダータイルを5枚ずつ並べたもの。


階段もまたすごい!腰壁はこんな4色のグラデーションのモザイクタイルで埋め尽くされており、
手すりの部分は「更紗」と呼ばれる華やかな色合いの大理石がふんだんに使われている。


踊り場にはステンドグラスの縦長アーチ窓が2つあり、印象的な空間となっている。


女子トイレの壁のタイルとステンドグラス、この赤い大理石製の洗面台もオリジナルのままだとか。
なぜか高さがかなり低い。子供に配慮したのだろうか。


奥にある作業場のカウンターも、階段まわりと同じタイル使いの横しまバージョン。素敵!!
そのままバーか料理屋にできそうな空間。




この上で生地の裁断などをしていたのだろうか。それとも梱包のためのカウンターだったのか。
縦横に刻み込まれた刃物の跡を見ると、店員さんが忙しく走り回っていた光景が浮かんでくる。


裏には和館が併設され、茶室がある。茶室から見える庭も和風にしつらえられている。
さっき通ってきた事務室前の廊下の格子窓は外から見ると障子窓のように見えて違和感がない。


裏の階段もさっきのと同じようにモザイクタイルと大理石で、手を抜いていないのがすごい。
2階に上ると、メルヘンチックな図案入りの4枚の引き戸が目に飛び込んでくる!カワイイ〜〜
人魚や馬、貝、ヨット、ティーポット、パイプなど、


この扉の中は応接室?窓際にはソファが作りつけらていたという。飾り暖炉のグリルや左右の
物入れの扉もとっても素敵。緑色の縞模様の大理石もあまり見ないもので珍しい。


この建物は木造だが一部に鉄筋コンクリートの柱が仕込まれているために今もゆがみやひずみが
少ないのだとか。特に傷みもないのに建て替えを余儀なくされた理由の一部には税金面の事情などが
あるようだ。社長ご自身も大変残念がられていたが、見学者の私たちにほんとに親切にいろいろと
案内・説明して下さり、ブログへの掲載もOKでむしろ喜んで下さっているようだった。

せめてなくなる前にじっくり見れてここに残すことができてよかった。
どうもありがとうございました!


ひろ009さんmayumamaさんの記事もどうぞ。

HOMMACHIの現在

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御堂筋線本町駅の緑色のタイルは剥がされたままいまだに下地がさらされた状態であるが、
ホーム中央部通路の天井はだいぶ前にリニューアル完了。
一時期、埋め込み器具が心もとなくぶら下がっていて、一抹の不安を感じていた
HOMMACHI」照明も、新しい天井パネルにすっきり収まってよみがえっていた。

天井パネルの切り欠きごくろうさま!

本町湯

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今日はノー残業デー、外はまだ明るい。しかもあまり寒くない。こんな日は・・・・
よしっ、緑橋のお風呂に入りにいこう。こないだ定休日で入れなかった本町湯へ。


ぶ厚い木綿地の暖簾がかかっている。よしよし。
脱いだ靴を木製靴箱に入れ、ガラリと・・・うぉ〜ぅ!!


天井には2枚羽のファン、神棚。木製扉のロッカー、レトロな広告の数々・・・う〜んいいなぁ。
「とても年季が入っていますね!」「今空いてるからゆっくりしていってね」

まねき温泉に入った日に近所の奥さんが教えてくれた通り、浴室は比較的新しくなっていたが、
浴槽は深・浅の2種類とシンプル。ゆっくりお湯に浸かってリラ〜ックス!

お風呂から上がると番台はおばあちゃんに代わっていた。
両替してもらった十円玉でドライヤーを使い終え、番台のおばあちゃんとおしゃべり。
私が会社帰りだと言うと、昔堂島の電信局に勤めていた時のことを懐かしそうに話された。
はかま姿で電話交換をしていたとか、戦争の時は「死守席」についた人は爆撃があっても
何があっても席を離れず重要な通信をつなぐ責任のある仕事だったとか。
出入橋とか浄正橋とかのあたりが好きなんですよ、おもむきがあってね。。。
お好み焼きを食べたり写真を撮ってもらったりして遊んだのよ。。。

そんな話を聞いていると、梅田入堀にかかる石畳の出入橋をはかま姿の女性たちが楽しそうに
渡っている光景が目に浮かんでくる。

30分くらいおしゃべりしていただろうか。
私が帰り道を少し外れて地下鉄でお風呂に入りに来たことを、「ありがとう、ありがとう」と
手を握って喜んで下さって、ほんとに、入りに来てよかった・・・
こちらの方が素敵なお風呂を続けてくれてありがとうなのにね。温かい気持ちで帰途に着いた。


また会社帰りに入りに行くのでがんばって下さいね!
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