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孔舎衛坂駅跡

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少し前のことになるが・・・
お正月休みの間に、前から機会をうかがっていた二つの廃駅跡を、兄と共に訪ねてきた。

ひとつは、マユ35さんのブログで見た孔舎衛坂(くさえざか)駅跡。
近鉄石切駅は昔仕事で何度か行ったことがあったが、そこからほど近いところに
こんな空間があったと知って驚き、行ってみたいと思っていたのだった。


近鉄石切駅と生駒駅の間の現在の生駒トンネルは1964(昭和39)年に開通した
「新」生駒トンネルである。それ以前に使われていた1914(大正3)年開通の旧トンネルの
大阪側の坑口手前に、孔舎衛坂駅はあった。

駅のホームは廃止から約70年たった今もほとんど手をつけられた様子もなく、
今にも列車がカーブの向こうから現れそうな雰囲気を残している。

旧生駒トンネルは開削工事での落盤事故や度重なる列車事故で多数の人が亡くなったことから
心霊スポットとして有名だという。長らく放置されているのはそういう事情からだろうか。
閉ざされた坑口を隙間から覗いてみたが、数m先から暗闇が始まり静まり返っていた。


廃線本によれば、石切駅はもともと現在の駅の200mほど大阪寄りにあり、旧線が今より少し
北側を通っていたようだが、どのようにあそこへつながっていたのか、高低差がありすぎて
どうも見当がつかない。

10年ほど前、駅北側のバイク駐輪場が工事中のときは、その先には荒れ地が広がって
いたような記憶がある。・・・いや、記憶があるというより無関心な空間だった。
今では真新しい建売住宅が建ち並ぶその区域が、廃線跡だったはずなのであるが。

しかしこうして見ると、トンネルを抜けてすぐこのカーブ、勢い余れば眼下に広がる大阪平野へ
飛び出して行きそうでちょっと怖い。

実際、1948(昭和23)年の事故では、このトンネル内でブレーキ制御不能となった
列車が、この下り坂を暴走したというのだから恐ろしすぎる。。。

この孔舎衛坂駅を見下ろす崖の上に「白龍大神」のお社がまつられており、
ここへの「参道」として、道路から駅構内を横断するアクセスが確保されている。

実質的に出入り自由な状況なのに駅跡が荒らされずに済んでいるのは、白蛇様のおかげか、
トンネルからの霊気(?)によるのか。。。とにかく大都市近郊でこんなに状態よく
残っている孔舎衛坂駅跡は、ほとんど奇跡である。

旧東青山駅跡

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くさえざか駅跡を見に行った翌日に、もう一つの廃駅跡を訪ねた。母と兄と共に。
訪ねたのは、近鉄の旧東青山駅跡。寒い日で、山間部にある駅跡は雪がちらちら舞っていた。


近鉄大阪線の青山峠越えの区間はもともとは今とは違うルートであり、西青山駅、東青山駅も
旧線上にあったが、1975(昭和50)年に現在のルートに変更され、廃止された。
滝谷トンネルと「旧」青山トンネルの二つに挟まれた平坦部に、旧東青山駅が開けていた。


四方を山に囲まれた駅構内には、木で組んだ台に枕木を並べてモルタルを打ったような簡素なホームが
まだ朽ち果てずに残っていた。


レールは剥がされているがバラストも水路を渡るガーダーもそのままで、廃止直後から
時間が止まったような感覚。。。




滝谷トンネルの(西側)坑口にバリケードは何もなく、ぽっかりと口を開けている。
トンネルは10メートルほど行くともう光が届かず真っ暗闇・・・・うぅ〜こわっ。




ホームはいくつかあり、建物の基礎のようなものも残っている。かなり大きな駅だったことが伺い知れる。




構内を西へ進んでいくと敷地の幅はだんだん狭くなり、じゅくじゅくと湿っぽく草むした廃線跡の先に、
今度は旧青山トンネルの(東側)坑口が見えてきた。こちらもバリケードはなく自由に入れる状況だが、
日当たりが悪くさっきよりも薄暗い入口を目の前にして、足を踏み入れることはためらわれた。。。


旧生駒トンネルと同じくこちらも大事故のいわくつきである。この青山トンネル内でブレーキトラブルにより
いったん誤停止した特急が暴走をはじめ、脱線・転覆、そこへ対向特急が正面衝突するという大惨事。。。
1971(昭和46年)のことである。この事故をきっかけに青山峠の区間の複線化が進み、
新青山トンネルが開通した。

廃止されて38年。人工物は時とともに自然に還ってゆく・・・




集落からずいぶん離れた山間部にぽつんとあった旧東青山駅。私たちの滞在中誰一人通りかかることは
なかった。現役だったときの駅周辺はどんな雰囲気だったのだろうか。想像するのは難しい。。。



あとから立ち寄った現在の近鉄東青山駅は、目の前が「四季のさと」という公園になっている。
この公園の東端に旧総谷トンネルの(西側)坑口があり、ここが件の事故の現場だという。
廃線跡は四季のさとのエリア内を遊歩道の形で西へ続き、公園を抜けたあたりで山腹にもぐってから、
さっきの旧東青山駅跡に出てくるはずである。

船で海を渡り・・・

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こんなところへ行ってきた。昨日。


これはどこかと言うと、


鳥取砂丘でもなく・・・


淡路島である。


明石から船に乗って、淡路島の岩屋港へ。
今、本州から淡路島へ船で渡るルートはたった1航路、ジェノバラインという高速船のみである。
たこフェリーに乗りに行こう行こうと思っている間に、たこフェリーは廃止となってしまっていたのだ。あぁ。。
橋ができた上、高速道路の無料化やらなんやらのせいで船の航路は窮地に追い込まれてしまった。


ジェノバラインはJR明石・山陽明石駅から徒歩10分の船乗り場から発着、なんとたった13分で
明石海峡を渡れるって知ってた?大阪から岩屋まで約1時間。しかも朝5時台から夜11時台まで、
ほぼ40分に1本ペースで運行しているという便利さ。実は私もこんなに近いとは知らなかった!


明石海峡大橋をくぐり、岩屋港に到着。
ターミナルのすぐ横にあるのが、冒頭の写真のような美しいしましまの模様の砂岩からなる「絵島」である。


淡路島全部がこの砂岩でできているわけではなかろうが、少し先にある大和島という岩もやわらかい
砂岩が浸食されて残ったもので、こんな穴が空いているし、岩樟神社の境内にも同じような洞穴がある。
穴は物置のように使われていて面白い。



明石の蛸は有名だが、岩屋の漁港にはほんとに蛸つぼがいっぱい!ずらりと並べられているさまは
とってもユーモラス。


しかし今の蛸つぼはプラスチック製なんだな〜


こんなにタコがうじゃうじゃいるのか・・・・この海の底には。


さて、岩屋に行った目的は、お風呂屋である。それは次回に・・・

淡路島 岩屋の扇湯

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明石から船に乗って淡路島に渡ったのは、お風呂が目的。商店街の中に渋〜いお風呂屋があるのだ。

狭い岩屋の集落、それはすぐに見つかった。
扇湯。


うゎお〜、素敵!水色のペンキで塗られたモルタルのファサードには扇形の枠と「温泉」の文字が。
暖簾がかかっていないのはまだ開いてないのだろう。後でまた来よう。


扇湯の前の掲示板に貼ってあった、これ。
さっき石屋(いわや)神社の前にも同じものが張り出されていたのを見てこれは何ですかと尋ねたら、
その石屋神社で1月15日に行われる「粥占(かゆうら)祭」という神事があり、海のものと山のものの
その年の出来を占うのだそうだ。小さな割竹をお粥の中に入れて引き上げ、中の米粒を数えて
多ければ豊漁(豊作)、少なければ不漁(不作)となるのだとか。




レトロな岩屋商店街を端まで歩き、さらに先の長浜商店街へ(とは言っても商店はあまりない)。
もうひとつの丸吉湯というお風呂屋を見に行ったのだ。
若干期待していたが、すっかりきれいに建て替えられたお風呂屋だった。

そのはす向かいに古い納屋のような倉庫があり、入口から何気なく中を覗くと・・・

あっ!!
薪にする木片と共に、こんなモノが。。。これも燃やすのか?(涙)

ついこないだまでは古いお風呂だったのだろう。あぁ惜しい。。。

行く手の前方に見えてきた灰色の巨大な壁。何だ??ビル!?
おお、明石海峡大橋のアンカレッジか。デカイ!
アンカレッジ(アンカレイジ)とは吊り橋のケーブルを引っ張り固定するため橋の両端に設置される
巨大なコンクリートブロックのこと。

先日アンカレッジの中に密室があって人が順番に死んでいく・・・というミステリーを読んだが、
なるほど、こんな大きなコンクリート塊ならそんな設定もありかな。

橋のたもとの「アンカレッジパーク」にはさすがにドライブやツーリングの客がそこそこ来ている。
これまで岩屋のまちなかでは観光客は皆無だったが(苦笑)。
スズキ丼を食べて引き返す。

岩屋商店街は船を降りた港の前から始まっていたが、終わりの場所もまた港である。
たこフェリーが発着していた港・・・


バスが何台も停められる広い駐車場は閉め切られ、埠頭も柵で囲われていた。



大橋ができるまでは淡路島観光の玄関口として大いに賑わっていたのだろう・・・そう思うと
何とももの悲しい気分になる。。。橋ができた恩恵を、このまちは受けているだろうか。

岩屋商店街に戻ると、おばちゃんが道端で魚をさばいていた。聞くと昼網で上がった魚を港で買って
くるのそうだ。ポツリ、ポツリ、とそんなおばちゃんが道端に何人かいる。

近所のおばちゃんが「分けて」と自転車を停め、大きなアナゴ「でんすけ」を買って行った。
島の日常風景。

扇湯はまだ開かない。3時からだという。まだずいぶんある。う〜んどこで時間をつぶそうか。
港近くの城山に上ろうと思うが上り口がない。文字通り岩屋城の跡らしいが、小高い丘の上は
特に何もなくただの藪なのだそうだ。う〜ん。
今度は鳥ノ山展望台へ、ヒイヒイ言いながら上ったら、木が伸びてほとんど海が見えないじゃないか〜

狭く坂道の多い岩屋の町をさんざんうろついて、ようやく3時。やったぁ、暖簾が出ている。




中へ入ると・・・おお〜古い!石油ストーブの匂いがなつかしい。


浴室も古い。ただ、珍しい洋ナシ型?しずく型?の浴槽は新しいタイルに貼りかえられていた。
シャワーはなくても、冷え切った体にはあったかいお湯は極楽・・・

4時の便ぎりぎりまでゆっくりして、再び船上の人となる。
帰りは2階のデッキで寒風に吹かれ、旅気分〜〜

スクラッチタイル 次々と。

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通い始めて1年過ぎ、ようやく遠慮せず好きなものを作れるようになってきた陶芸教室(笑)。
こないだのベンガラバージョンに続き、続々と焼きあがってきたタイルを紹介〜

ほぼ完全にフラットに出来上がるようになってきた。
手早く伸ばしてカットしたらあまり触らないのがコツのよう。


イラボ釉を均一に掛けた、言わば正統派のスクラッチタイル。わらびの先端は取れてしまってる(汗)


こちらは飴釉をかけたもの。
釉薬が溝にたまって濃い色となり、醤油せんべいのようなおいしそうな色合いになった。


こちらもよく似ているが、引っかく前に白化粧を施してあるので飴釉が明るい色で出ている。
引っ掻き方も試行錯誤してだんだんコツがわかってきた。これなんかはかなりいい具合じゃない!?


そしてこんなアレンジバージョンも。
レモンマット釉の上に三彩風に色を乗せてみた。


筆で釉薬を乗せたのだがあまり流れず、溝は素焼きのまま残ってしまった。
なので外壁には貼れないなぁ。こんどはドボンと浸けてみよう。


スクラッチ以外にも、こんなのもいいでしょ!


また次々と製作中〜

鈴蘭台駅前風景

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神戸電鉄の鈴蘭台駅は何度か仕事で行っているが、好きな駅の一つである。
粟生線と有馬線がこの鈴蘭台駅で分岐しており、両線の列車が次々とホームに滑り込んでくるし、
広い構内にはかわいい車両が留置されていて、ホームにいるだけでも楽しい(笑)。


駅前がまたよいのだ。特に東側。
「○○台」などという名前からは、いかにも高度成長期に山を切り開いて造成した大規模なニュータウンを
イメージし、実際地図を見ると山の上には広大な住宅地が広がっているが、鈴蘭台駅の東側は
高低差の激しい地形に沿って広がった昭和のまちである。


駅舎は山から下ってきた道路の真正面に建っている。道路の両脇にはタクシーのりばと銀行と、
小さな商店が並ぶ。本屋、和菓子屋、喫茶店、洋品店・・・・
西口にはダイエーがあるが、東口には大資本チェーン店はほとんど見あたらず、ミスドくらいか。


線路脇の道へ入るとさらにいい感じ。肉屋、豆腐屋、地域密着型のスーパー・・・
そして人が多い!学校があるのか学生も多く、賑やか。
すべてのサービスが駅前にあって、人々は山の上の住宅地から買い物をしに下りてくるのだろう。
便利で生活の中心にある駅。人間に近い駅。小さな駅舎だが包容力すら感じさせる。


鈴蘭台駅の歴史は意外と古く1928(昭和3)年の開業。山の上のニュータウン開発はずっと後らしい。


駅前にロータリーはなく、駅を東西に抜けるのはガード下の細い道だけ。
送迎の車は駅前で切り返してUターンしている。
地形に縛られたそんな構造が、他とは違った特色ある駅前風景を作り出し、私が好きなゆえん
なのであるが、交通の不便さはやはりネックなのだろう。ここも例に漏れず再開発計画が着々と
進んでおり、2年ほど前に来たときよりもフェンスに囲われた空地が確実に増えている。




小さな商店がひしめいていた駅前エリアに地上7階建ての商業ビルが建つらしい。
イメージパースを見ると、よくある感じの四角いビルだ。駅自体は変わらないようだが。


駅のホームから見える風景も数年後にはずいぶん変わってしまうだろうな。
でもこの駅が持つ親密な雰囲気は失ってほしくないな、と思う。

まちかどの近代建築写真展 in 大阪 VIII

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今年も「まちかどの近代建築写真展」が天保山の天満屋ビルで始まりました。
本日設営してきました。
今回のテーマは、学校建築。私は今回写真を出していませんが、400枚近くの写真が
大集合しています!素晴らしい建築の数々を見に来ませんか。


会期:2013年3月2日(土)13:00〜4月6日(土)15:00まで
会場:天満屋ビル 2-3階
   大阪市港区海岸通1-5-28 3階イベントスペース
時間:平日 7:30〜18:00 土・祝 11:00〜18:00
   (定休日:水曜、日曜)
主催:ハaハaハa
企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
協力:近代建築探訪メーリングリスト

(概要はハaハaハaさんのサイトより転載させていただきました)

COFFEEユニオン

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こないだ京都の宮崎家具を見た日、阪急烏丸駅で下車して冷たい雪のちらつく中集合場所である
地下鉄丸太町駅までふた駅分歩いたのは、交通費を浮かせたかったから・・・だけではない(笑)。
まぁ京都へ阪急に乗っていくという機会もあまりないし、せっかくだから知らない道を通って
みようという気分だったのだ。

烏丸通の1本西側の室町通を歩いて北上すると、京都芸術センターになっている元明倫小学校の正門が
現れた。校庭側からは見たことがあったが正門はそういえば見たことがなかった気がする。
お向かいには明倫消防分団詰所などとして使われている旧明倫幼稚園。手製本ノートのお店が入っている
小さなタイル貼りのビルや、さすが京都とうならせる料亭ばりの佇まいの和菓子屋「亀廣保」などなど
立ち止まりスポット満載で、ダメダメ、遅れてしまう・・・と自分を戒めながら早足で歩く。

しかしこれには立ち止まらざるを得なかった!!
COFFEEユニオン。


うぉ〜、この素敵な店構えの喫茶店!!まるでアメリカの片田舎にありそうな、ドアを開けると
ジュークボックスの音楽がジャンジャン流れていそうな、50’sっぽい雰囲気!?
(それはコカコーラのロゴとモールガラスのイメージだけかも・・・)

ちょっとセットバックした建物の間口全体を覆う緑色のテント。
京都のまちかどになんとミスマッチなんだろう。。。いや、面白い(笑)。

このロゴも年代を感じさせる。う〜ん、すべてが私を惹きつけて放さない。。。


見学会のあと来ようかと思ったが、残念ながら今日はお休みのようだ。土日は定休日なのか・・・
ガラスのドアの内側にスクリーンがかかっていて、店内の様子はうかがい知れなかったが
間違いなく素敵な空間であろう。いや絶対!




一番端の壁にはこんな吐水口が!?ミステリアス〜

絶対来よう〜!!

小倉〜松山フェリー 廃止!?

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2年前に初めて訪れ、去年の秋に仕事で再訪してすっかり気に入ってしまった、松山、愛媛。
3月中にまた遊びに行こうと2泊3日のプランを組み立て休みも申請したのに、思わぬところで
予定が狂ってしまって休みを取り消し、代替プランをいまだに考えあぐねている今日この頃。

土曜の朝から行って月曜の朝までに帰れるところで、あまりお金がかかりすぎないプラン・・・
となるとやはりフェリー。片道18きっぷで行って片道フェリーにするか。それとも
往復フェリーで現地0泊とするか。九州にするか、四国にするか。う〜ん。。。
いろんなフェリーのサイトを見ては、あーでもないこーでもないと悩んでいたのだが、
今日さんふらわぁのサイトを見て気づいた。

「小倉・松山航路中止のお知らせ」

なぬ!!??

プレスリリースには、『2013 年3 月31 日を目途に中止することを決定しました』、とある。そして、
『高速道路・本四架橋のETC 大幅割引による運賃低下、利用客の減少など、厳しい経営環境が続き・・・』

またか!高速道路無料化から続く流れが、船の事業者をどんどん圧迫している。
これはもう、国を挙げてのイジメではないのか。
健全な競争で淘汰されるなら仕方ない。しかし、国の予算をつぎ込むことで特定の交通機関だけが
圧倒的な競争力を得、他は追い詰められる。それも死に至るほどに。
ここ数年でどれほどの船の航路がなくなったことか。。。たこフェリーのように解散した会社もある。

国に企業をつぶす権利はあるのか!そもそも国民の誰が高速道路無料化など国に要望したのか。
受益者負担、永久的に必要な維持管理費用、そんなことちょっと考えれば納得できること。
道路公団が企業努力で料金を引き下げるのなら歓迎だが、公団の損失を国が補填しての無料化や
割引など、誰も望んでいなかったんじゃないのか。
そんなせいで、私の好きな船の航路がどんどんなくなっていく。。。悔しくて仕方ない。

小倉〜松山フェリーは、松山出張からの帰り松山観光港から呉行きのフェリーに乗った時
隣の埠頭に停泊していたのを横目に見ながら、今度はこれに乗りたい!!と思っていたのだ。
あぁ、3月の旅の代替プランは、大阪〜小倉〜松山〜東予〜大阪に決まりだな。。。あぁ。


p.s.もう一度プレスリリースをよく見たら、『地元船社が小倉・松山航路を継続する方向』とのこと。
  鋭意交渉中とあるが交渉次第ではどうなるかわからず、油断できない。

昌の湯

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今週のノー残業デーはちょっと残業だったけれども、帰り道は足が軽い。
また緑橋へ行ってみようか。

こないだ本町湯の近くでまねき温泉を教えてくれた奥さんが、他にも古いのがあると言っていたのが
気になっていたのだ。
地下鉄に乗りながら検索すると、ほほう、ほんとに緑橋には渋いお風呂屋が集まっているようだ。
関西の激渋銭湯」に載っていた、「昌の湯」を目指して歩く。
このあたりかと見当をつけて横道を入ると、うぉ〜っ!マンションの目の前に煙突がそびえ立つ!!
細い道が斜めに伸び、区画が崩れた一角。なんだかシュールな風景。。。

ここは以前通りかかったことがあるな。福湯?目指すところとは違うな。しかし近すぎないか??

ヤフー地図で詳細位置を調べながら少し進み、、、おぉ、ここを入るか!?
なんと魅惑的な路地だろうか!テンションが上がる〜っ


そして、さっきのよりはスリムな煙突が目の前にすっと見えてきた。
暖簾をくぐるとタイル絵と傘立てがお出迎え。




ガラリと戸を開けると・・・うひょ〜!
浴室のガラス戸と洗面台などの水まわりだけでなく、鏡の縁、神棚、、、すべてがモザイクタイル貼り!!
しかし古さを全く感じさせないのは、途中で貼り替えたのだろうか。


御影石作りの浅深シンプル浴槽にちゃぽん。ぷふぁ〜っ(笑)

ここはお客が比較的多く、入れ替わり立ち替わり常に3人以上は浴室に人がいたかな。
(それでも少ないだろうけども)

はぁ〜いいお湯だった!
他にもあるようだからまた来よう、緑橋。

蛍池温泉

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去年から仕事で何度か行っていた蛍池(ほたるがいけ)。
伊丹空港への玄関口であるこの蛍池、来るたびに昭和の香りを感じていたが、
昨日アポイントの時間まで少しあったので、喫茶店でも行こうかと駅前の案内板を見たところ、
なんと駅前すぐのところに「蛍池温泉」の文字が。これは偵察しなければ。
・・・と、すでに見えていた!


おぉ〜古いな!灯りはついておらず貼り紙が寂しげだが、やっているんだろうか??
近づいてみると、貼り紙には「4時〜12時半」とある。おぉ、現役だ!
まるで公設市場のように店舗に挟まれた入口。木製ペンキ塗りの切り文字。あぁ〜タマランねぇ〜(笑)
蛍池に通っている間に直帰する機会があれば入って帰ろ!


・・・と思っていたら、そうだ、今月の洋風建築めぐり講座は雲雀丘花屋敷だ。
ちょうどいいじゃないの。帰りに入って帰ろ!

で、翌日(笑)。
おお〜今日は暖簾がかかっている。いいねぇ!!


暖簾をくぐると、左右に広い靴脱ぎ場。表の店舗がめり込んだ形だ。
そして正面の壁にはタイルが!タイルというより、陶片と呼ぶ方がふさわしい、荒々しい質感の焼き物。


渋いな!


私もまた陶芸でこんなのを作ってみようか(笑)。


めちゃくちゃ古くないけどレトロで快適なお風呂。驚くべきはお客の多さ!!
ゆっくりのんびり、1時間半ほど滞在したが、その間に入れ替わり立ち替わり常に10人はお客がいたのだ。
もちろん女風呂だけで、である。このぐらいお客がいればお風呂屋もやっていけるんだろうなぁ〜

見かけはからは想像つかないほど現役バリバリのお風呂屋であった。お見それしました!!



雲雀丘花屋敷 旧安田邸

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今月の洋風建築めぐりは雲雀丘花屋敷の旧安田邸と高碕記念館。花粉症がひどくて頭も体もだるく
出かけるのを断念しようかと思ったほどであったが、何とか自分を奮い立てて家を出た。

雲雀丘花屋敷駅は初めて下車したのだが、古い洋館の緑豊かなお庭に面し、駅舎は阪急らしいファサード。
狭い道に面していながら、タクシーの待機場所が建物の下にきっちり確保されているのは、
坂のきつい山の手には必須だからだろう。・・・というのは付近をうろついた後で実感したのだが(笑)


駅前から徒歩1〜2分のところに、安田邸はあった。私が到着したときにはもう皆ほぼ見終わって
見学も終盤だったが、駆け込みで何とか間に合った。


表から見るとうっそうとした庭木に隠れているが、門を入って庭に回って驚いた!
うわぁ〜すごい!ピンク色の壁の中央には紋章のようなレリーフ、縦長窓にはこれまたカワイイ
三日月の透かし模様の入った水色のよろい戸。絵本に出てきそうなメルヘンチックな洋館だ。




一方で1階を見ると、無垢の杉板を腰みののようにまとっている。
一枚一枚、和釘で打ち付けてあるのだ。


張り出したサンルームも軒裏を見ると垂木が見え和風建築のよう。ベージュの壁も土壁のようだし
小石を貼った意匠も日本の庭や茶室を連想させる。


サンルームの足元は石垣を組んであり、ゴツゴツした山の石の野趣もまた日本っぽい。


もう扉を閉めていたのを宝塚市の職員の方が私のために再度開けて下さり、数分間ではあったが
内部も見せて頂けた。
老朽化していて危険なため非公開というのも仕方ないなと思えたが、割り竹を貼った腰壁や
網代天井、ステンドグラス使いの戸棚、暖炉など、見ごたえのある独特の意匠や造作は
封印しておくにはあまりにもったいない。


この旧安田邸は1921(大正10)年築の木造3階建。施主が本や雑誌を参考に大工に
作らせたというのが大いに納得できる、和製洋館である。左官屋さんが黙々と叩いたであろう
スタッコ壁の凹凸を見ていると、当時の困惑と苦労がしのばれる。


この高級住宅地の広大な敷地と貴重な建物を安田家から寄贈された宝塚市には、必要最小限の
補修を施し大切に維持して頂きたい・・・但しあまりやり過ぎないでほしいと切に願う。


ちょっと「やり過ぎた」高碕記念館を見てから、付近の邸宅ウォッチングをしたあと、
雲雀丘花屋敷の駅前の喫茶店でお茶。

このフォント、素敵すぎる〜〜!

駅のホームの待合所は阪急マルーンカラーで小さな電車みたい!かわいい〜〜
来たときは気づかなかったなぁ〜


このあと蛍池で途中下車して、蛍池温泉で〆!

川西能勢口 新町湯

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川西能勢口駅から、広い通りを歩くのがつまらないので住宅地の中の道を歩いていくと、
ロケット型の煙突が見えた。おっ、お風呂屋だ。勘が冴えてる!

小路を折れ、さらに人んちの庭先みたいな路地に面して、その新町湯はあった。
う〜ん、渋い〜!


この立派な門かぶりの松を見よ!玄関先にやわらかな木漏れ日を落としている。




壁に直接ペイントされた文字もいいね〜。

ただ、暖簾は見えないし定休日などが書かれたボードやお知らせの貼り紙などは何もない。
やってるのかな?不安がよぎる。。。
通りかかった近所の人らしきおばちゃんに聞いてみたところ、やっているという。あぁ、よかった。
今度入りに来よう〜

仕事でこういう下見ができるのはありがたいね!

豊前松江駅と椎田駅

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小倉〜松山フェリーの廃止ニュースを見て即計画した旅。
土曜日の朝めちゃくちゃがんばって早起きし、安いこだまのプランで小倉に着いたのはなんと
11時過ぎ。我ながらすごい快挙だ!(笑)
松山行きフェリーの出発時間まで、10時間ほどある。さてどこをうろつこうか。。。
いろいろ考えてみたのだが、行橋以南なじみのなかった日豊本線を小1時間ほど南下し、
中津のまちへ行ってみることにした。滞在時間の半分をここで遊んで、後半は小倉周辺で
うろつくとしよう。

ところで日豊本線には木造駅舎が結構残っている。多いのは中津より先であるが、その区間はまた
ぐっと電車の本数が少ないのである(涙)。仕方ない、中津までの間の二駅だけで我慢しておこう。

まず降り立ったのは、豊前松江(ぶぜんしょうえ)駅。小さな駅だが有人駅。
小倉で改札を出ずにここまで来たので、18きっぷにハンコを押してもらう。


ここは日豊本線を下ってきてようやく海に出会う場所だ。駅のすぐ近くまで海が入り込んでいる。


駅前には数軒の民家があるだけで面白いものは特にないな。


12分後にやってきた上り列車で、ひと駅戻る。



椎田(しいだ)駅。モルタル塗りできれいに見えるが木造駅舎である。
2つある付属屋は古い下見板張り。


ここでは次の下り列車まで8分しかないので、まぁもう一本遅らせて駅前に広がったまちを
歩いてみるのもいいかな。


観光客は絶対来ないような小さなまちの、飾り気のない日常生活風景の中をふらふら歩くのも楽しい。
細い路地裏にあったこの家は新しいものかと思ったが、門柱と玄関まわりは古い。
”新築そっくりさん”をやったのかな。


変わった2連の破風の建物。隣は旅館。


落ち着いた庭と格子が美しい民家。


路地に咲くサザンカの上品なピンク色に、はっとさせられた。


半時間ほどの楽しい散策を終え、中津へ向かおう。


今年の桜

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今年は特に花見には出かけなかったが、休日仕事の合間に川西の小戸神社の参道の桜を楽しんだ。








春になるとどうも心身共に調子が下がって、ブログの更新も滞る。
ネタはいろいろあるのだけれども。

来迎町の来迎カレー

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去年の夏頃からほぼ週一で通っていた守口で、こないだ見つけたカレー屋さん、「うぺぽ」。
古民家と言うほどのものでなくても戦前の築であろう、庭付き長屋をうまく改装してある。
カレーは特に好んで食べないのだが(辛いカレーが苦手で・・・)、店構えに惹かれて入ってみた。


うわぁ、座敷にこたつ。奥の掃き出し窓の向こうには裏庭が広がっている。いい感じ〜。
カレー屋さんだがインテリアはエスニック風すぎずまったり和める雰囲気で
子供連れのママ会でも安心。


この店のある場所は、守口市来迎町の、来迎坂のたもと。
文禄堤上の京街道から下へ降りる、ひときわ趣のある石段が「来迎坂」である。

なんとなくありがたい気分で、「来迎カレー」とほうじ茶チャイをいただく。


辛味スパイスは別がけなのでよかった。
柔らかいチキンとハヤシライスのようなまろやかな味のカレー、とてもおいしかった!


守口の隠れ家にしよう。って、もう守口の仕事は終わったんだけど(笑)

中津(大分)をうろつく

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木造駅舎を見たあと、中津にやって来た。あては何もなかったが、まちの中心部が駅から近そうと
いうことと、小倉から1時間とお手ごろな距離だったから。
駅の観光案内所で無料のレンタサイクルを借り、マップをもらってまちなかへ。

駅前の商店街を行くと、土曜日が定休日なのか店はほとんど開いておらずガランとしている。
それで例によってマップのコースを外れわき道へ。。。
中津は中津城を中心とした城下町であり、駅の北側の城周辺部に町人のまちが広がっていたようだが、
駅の南側は武家の居住地だったのだろうか、比較的敷地の大きな庭付き住宅が整然と並ぶ。


おや、町外れに鉄道の築堤のような石積みがあった。かなり高く、ずっと続いている。


案内板によるとこれは「お囲山」と呼ばれる土塁で、この外側に外堀があったらしい。
明治以降は耶馬溪から切り出された材木の集積場であったといい、今も製材所がある。
お囲山はここから南へ続き、JR線の手前で東へ折れてしばらく行って終わっている。




中津城の方へ行ってみると周辺には学校や教会や公共施設が立地し、城内の雰囲気が感じられる。
お城はこじんまりしたもので堀と公園と再建された天守閣があったが、外から見ただけ。


中津カトリック教会はえらく派手でキッチュな感じがするが、足元を見るとそれなりに古いようだ。


帰ってから調べてみると聖堂は1938(昭和13)年の築だとか。意外と古かったんだな。
モザイクタイルは戦後の改修だろうが。


まちなかをくねくね走ってみるが飽きてきて、東中津駅まで行ってみようかと思いついた。
ひと駅だけなので自転車だったら行けるかな・・・と思って走り出したのだが、遠い遠い。
途中で後悔した(汗)

やっとたどり着いた東中津駅の木造駅舎はとても素敵!まわりはすっかり田舎の様相。
小さい駅だが乗降客は結構いるようで、立派な有人駅だ。


駅員さんに18きっぷを見せ、乗らないんですけど中見せて下さいね、と声をかけ、ホームに入る。


長い長いホーム。
広い草地が駅の裏に広がっているのは、かつて貨物輸送のためのホームがあったのだろうか。


中津から先電車の本数は激減し、東中津駅に停車する電車は昼間は2時間に1本。
ひと駅離れるだけでガクッと不便になるものだ。。。



帰り、違う道を走ると、こんな建物が。


ハリマドレスメーカー女学院。


もう使われていないようだが、なかなか素敵な建物で惹かれる。中庭には井戸があった。




実は家に帰ってから気づいたのだが、中津のまちにはもっと他に見るべきものがあったのだ!!
汐湯。ねじまきさんのblogで見て「絶対行かねば!」と思っていたのに、すっかり忘れ去っていた。。。
行き当たりばったりは楽しいのだが、裏目にでることもよくある(爆)。
まぁ、また近いうちに行けばいいか。何度でも旅に出よう。

小林一三記念館

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こないだ、小林一三記念館で開催していた阪急モダニズム展を見に行ってきた。
先に行かれた極楽坊さんのコメントで展示は大々的なものではないと聞いていたが、
元の逸翁美術館の時代にあの建物を見損ねたまま改修に入ってしまい、小林一三記念館として
オープンしてからも未踏だったので、ちょうどいい機会だ。

久しぶりの池田で迷ったが何とかたどり着いた。長屋門の前の桜はちらほら咲き始めていて、
文字通り華を添えている。

「邸宅レストラン雅俗山荘」の案内が出ている。改修してレストランができたのか。

門をくぐると、古い建物の前に新しい建物が建っている。えっ、もしや展示はこちらだけで
洋館に入れるのは食事客のみ??
受付で入場料300円を払いながら聞いてみると、洋館にも展示があり庭も見れるらしい。よかった。

おおぉ・・・間近で見るのは初めて。素敵〜〜!妻部分の花形の飾りもかわいい〜
この洋館が小林一三の旧邸だった「雅俗山荘」で、1937(昭和12)年竣工。

松の木の似合うことよ!

玄関ホールに飾られた小林一三の肖像画の他は写真撮影もOKとはうれしい。


肖像画の下のヒーター置き場のグリルは葡萄のつるをモチーフにした鍛鉄製の美しいもの。


玄関ホールの壁は落ち着いたグリーンのビロード張りで角がアールになっている。
客人を温かく迎え入れる場としての心配りを感じる。


そこから広間に一歩入ると、天井の高さに驚く!!


黒大理石の暖炉が見事!チューダーアーチが取り入れられたデザイン。


火の粉よけ(?)はアールデコ調の意匠でカワイイ!


1階の広間から続く奥の部屋がレストランになっている。ガラス越しに覗くと優美な3連アーチが。
この時は閉まっていたが、1名から予約できるそうだ。


この階段を上ったロフトのような小さな部屋でこじんまりした企画展示をやっていた。
梅田や宝塚、三宮の初代駅舎や宝塚歌劇関係の建物など各時代で新しいデザインを取り入れてきた
阪急建築の「オシャレさ」が、建替え後の阪急百貨店の建物にも引き継がれているというストーリー。


そして2階には小林一三の夫人用の部屋もあり、見学できるのがうれしい。
・・・と、ずいぶん写真が多くなってしまった(汗)。しかしまだまだ見どころがあるので
次回に続く。

小林一三記念館 続き

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小林一三記念館の続き。

2階の夫人用スペース。それはなんとも不思議な感じのする空間だ。
壁の腰張りは杉の柾目板で上は土壁風。金属張りの低い流し台、網代天井とほとんど和室なのだが、
床だけが寄せ木のフローリングなのだ。


そしてバスルームとベランダが続く。




座敷も床の間に障子にフローリング。「次の間」のような2畳くらいの部屋もフローリング。

洋風の部屋が畳敷きだったり洋室に和風の意匠があったり洋館の内部に隠したように
純和室があったり、というのはよくある。それは当時の人々が、気持ちは先端的にしたいが
旧来の生活スタイルから容易に抜け出せなかったからであろう。
それなのに、ここはその逆!?和室ベースで床だけ洋風というのはなんだか違和感を感じる。



お庭へ出てみると、レストランは改築された部分が使われているようだ。


日本の樹木で構成された庭園の中に違和感なく納まった洋館。
真壁造に似たハーフティンバー、本瓦に似たスペイン瓦、この建物のスタイルが日本建築に
近いイメージを醸し出していることもあるだろうが、包容力のある作庭は素晴らしいなぁ。




庭には離れの茶室が2つあるが、母屋に付属した「即庵」という茶室が変わっている。
椅子式でも使え、普通の茶室としても使えるように工夫された空間で、茶人でもある小林一三の
アイデアなのだとか。へぇ〜面白いなぁ。


いや〜、300円で建物を堪能させてもらった。今度はランチを食べに来ようかな。



ここを出てからちょっと室町を散策したあと、猪名川を渡って、新町湯にちゃぽん!
いいお湯でした〜

小倉周辺の近代建築めぐり

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中津から小倉へ戻ってきて、旧小倉警察署庁舎を見に行く。
西小倉駅を降りると、巨大な「リバーウォーク」との間に1本古い通りが残っていて、
この建物はその一角にある。小倉県庁舎の建物の部材を転用して1890(明治23)年に建てられ、
その後曳き家、改築を繰り返しながら、戦後は医院として使われた。


今は「BLUE BLUE KOKURA」という服屋さんになっているが、内部はほぼそのまま。
メンズの服屋さんなので、建物を見せてもらってもいいですか、と声をかけると、どうぞどうぞ、と。
この建物の雰囲気を大事にしながら店作りをしていると言われていた。うれしいことだ。


店内の一角には岡田医院時代の資料展示コーナーもあって、興味深い。


次に八幡へやってきた。駅舎は2008年にできたものらしく、鉄骨を並べたような
ファサードはなかなかカッコイイ。大きな駅舎に見えるが実はほとんどの部分が立体駐車場
というのが面白い。

ここから山側に2〜3分歩いたところに、村野藤吾の建築が3つ固まって建っている。

まずは大きな交差点の角地に面して茶色の塊を押し出した、福岡ひびき信用金庫。
斜めのラインや曲線を部分的に使っていたり、ピロティの柱も単なる円柱でなく、
下が太く上が少し細いなど、有機的な感じのするデザインだ。


後のビル部分を見ると尼崎市庁舎を思い出させる。

この建物は1971(昭和46)年らしいので、近代建築とは言わないな。

次に駅から真正面にあたる八幡市民会館。こちらは水平ラインと四角い箱のシンプルな形。


3つ目が八幡図書館。こちらはレンガ風の外観で、ポップなイメージのする建物。
白い格子の間に丸や三角やいろんな形の模様と、これまたいろんな形の窓が散らされた
楽しいデザイン。


村野藤吾は佐賀県唐津の出身で八幡製鉄所で働いていたこともあるらしい。
八幡の公共建築を設計したのもそんな縁なのだろうか。


説明板によると外壁は「赤黄色味を帯びた特殊煉瓦」と「白い鉱さい煉瓦」、内装にも
「鉱さい煉瓦を多用」しているらしい。外壁はレンガタイルのように思うが。


白い部分を写真に撮って見てみると、どうも上からペンキを塗ったように見える。。。


黒崎の駅前は商店街が放射状に伸びさらに同心円状にまちが広がっている。歩いていくと
ひときわ古そうなエリアが。広い道路を斜めに貫いて道が続いており怪しいと思ったら、
この道は長崎街道で、黒崎は宿場町だったらしい。駅前の商店街は区画整理によって
整備されたのだろうから、やはりこの道が先にあったのだ。


そこからさらに東へ、商店街も終わり真っ暗なまちを歩き、目指したのはここ。黒田湯。
赤い光は向かいの焼き鳥屋の赤ちょうちんのせい(笑)


とってもいいお湯で冷えた体もあったまった。・・・のに、えっ、ドライヤーがないの!?
これはちょっとツライなぁ。ダウンのフードをかぶって、こそこそと小倉の港へ向かう(苦笑)。
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