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Channel: まちかど逍遥
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小倉から船に乗って・・・

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小倉の港は、JR小倉駅から海側へ空中通路を終点まで歩き、地上へ下りて広場の横を
さらに進んだ突き当たりにあった。倉庫街の端っこのようなところで、
まったく飾り気のない小さなターミナルの建物が岸壁のすぐ脇に建っている。
ここが小倉・・・?と思ってしまう、この意外性もいいね!


乗船手続きをしてからターミナルを通り抜けるとすぐ目の前に「フェリーはやとも」の船体が。
おお〜っ。いいね!!
もちろん地上からタラップを上って乗船となるが、その前にちょっと写真を。


夜の港で灯りに照らし出される大きな船体を見上げるのが好き。
乗り込む前の、今から出航するという高揚感は、たとえそれが近距離であったとしても、
他の交通機関では味わえないもの。
新卒で入った会社を2年で辞めて失業中に、インドネシアの国営フェリーを乗り継いで
島を巡った旅をいつも思い出す。
海なし県に育った私が船好きなのは大学時代の沖縄行きやあの旅の体験を通してのことだろう。


離岸の瞬間をデッキから見下ろすのも好きだ。
そのため船に乗り込んで荷物を置いたらまずは洗面所へ直行し、黒田湯からの濡れ髪を
ドライヤーでよく乾かす(笑)。




寒風に吹かれながら、小倉の港がゆっくり遠ざかるのを眺める。。。これも船旅の醍醐味。


さんふらわあがこの航路から3月で撤退して、今は石崎汽船の子会社が船もダイヤも引き継いで
運行しているようだ。小倉〜松山便のフェリーはやとも、くるしま共に関西汽船から
引き継いだ船であり、これからも航路とセットで流れ流れていくのだろうか。
船体の寿命が航路の寿命、ということにならなければいいのだが・・・・

伊予大洲をうろつく

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小倉からのフェリーは早朝6:00に松山観光港に着く。高浜駅へ行っても電車はまだ
動いていない時間である。8時まで船内で休めるというので二度寝して、船を下りたのは7時半。
ずいぶんゆっくりしてしまった(苦笑)


ここでも空中通路から地上に降りて、船の横を歩きながら駅へ向かう。



高浜から伊予鉄で松山駅へ。さて、前回行けなかった大洲へ行ってみようか。
大洲のまちは駅から少し離れているので、前回は乗り継ぎの合い間に駅を出て駅前をちらっと
見ただけだった。

レンタサイクルをやっていると聞いた、駅から5分ぐらいのところにある自転車屋さんに
来てみたら、まだ店が開いていないようだ。ん・・・困ったな。
隣の店の前で何か作業していたおっちゃんに聞いてみた。
「こちらまだ開いてないんですかねぇ、何時ぐらいに開くんでしょうね」
「10時ぐらいじゃないかな、どうしました」
「大洲のまちの方へ行くのに自転車を借りようと思ったんですけど・・・」
「うちの乗っていくか?」
「ええっ、ほんとに・・・・いいんですか?」
おっちゃん、自宅の自転車を出してきてくれた。ありがとう〜〜〜助かった!!
古いまちなみエリアを目指し、出発。

広い通りを走るのが最短なのだがやはり裏道に入ってしまう。
スナックなどが固まっている細い道を入ると、視線の先に魅惑の看板が。


十字路の中央に浮かんだ温泉マーク。素敵だね〜〜


おお、現役のお風呂屋だ!よしの湯。でもまだ開いてないな。午後二時より九時まで、か。
入ろうと思ったら大洲で沈没になるな。。。残念。


さて、肱川橋を渡って大洲の中心部へ。


大洲城の城下に細長く広がるまちをジグザグと走ると、ポツポツと洋風意匠の建物も見られる。




大洲の目玉である「おおず赤煉瓦館」は1901(明治34)年築の元大洲商業銀行本店。
3棟からなり、現在は物販店やカフェとして使用されている。刻印煉瓦も見られる。
江戸時代の城下町の形態そのままの大洲のまちなかで異彩を放つこの建物が、
まちの背骨となっている商店街に面さず、外れた位置に建っているのは興味深い。
川へのアクセスが重要だったのか、それとも商店街沿いに空地がなかったのでやむなく
この場所に建てたのか。


赤煉瓦館の裏手に「ポコペン横丁」というのがあり、まぁよくある懐かしグッズを売る店が
集まった広場なのだが、ほんとのバラックを利用したのかと思わせるような店のボロさが
リアルで(笑)、また近所のおじいちゃんが子供を連れて遊びに来ていたりと、地元に
なじんでいる感じで割と好感が持てる。但し、商売になっているのかどうかは???


レトロな医院建築もいくつか。




駐車場の片隅に残っている小さな蔵。


大洲神社のあたりのまちなみは、中心部から少し離れているせいか落ち着いた風情。

この道を上っていくと臥龍山荘がある。

臥龍山荘

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大洲続き。

まちを挟んでお城と相対するような位置の、川の淵に面した断崖に臥龍山荘がある。
坂を上った高台のさらに石垣を積んだ上に建っている。これがすごかった!

明治の貿易商河内虎次郎が、桂離宮や修学院離宮などを参考にして作った数奇屋建築。
すべてが計算されつくした、モダンとも言える洗練されたデザイン。
銘木・銘石を集め名だたる名工が施工した。

まずはこの石垣の美しさにほれぼれ!上に乗る建物の外壁は舟板と思われる粋な仕上げ。


溶岩のような石の小口を並べた石垣も面白い。この上に乗った赤みを帯びた枕木のような
直方体の石は、庭の踏み石としても多数配置されていたが、どういう石なのか気になる。
リーフレットの説明に書かれた「げんだ石」というのがこれなのか?


内部は写真撮影不可なので記憶に残すしかなかったのだが、座敷の四面のふすま絵、壁紙、
欄間、窓、それぞれに春夏秋冬をあらわす模様が織り込まれていたり、仏壇の灯りを丸窓の
障子越しに隣室の床の間に浮かび上がらせたり、などなど、素晴らしい意匠と粋な仕掛けが
随所に散りばめられている。
段違いに配置された座敷の周囲にはぬれ縁が回り、建具を開けるとお庭のパノラマ!


苔の美しいお庭を奥へ進むと二つの茶室が配置されている。


すごいのが、肱川の上に突き出すように建っている奥の茶室、「不老庵」。
建具の開け放たれた茶室はまるで川の上空に浮かんだあずまやのようだ!


横に回ってみると断崖絶壁の上に組まれた足場に建物がちょんと乗っている!
そして一番の見所という、柱として生きた槙の木が使われた「捨て柱」。
生きているのは一番手前で屋根を支えている木。育ってきたらどうなるのか??
床を支えている支柱は地面から生えているように見えるが、おそらくもう生きてはいない。


肱川の流れはこのあたりで大きく湾曲していて深い淵となっており、昔は渦が巻いていたのだとか。
それでこの臥龍山荘には渦巻き模様のモチーフがいろんなところに使われている。
釘隠しや壁紙や、こんな壁の透かし模様など。
ちなみにこの壁の内側は見学不可のエリアのため見れなかった。

臥龍山荘単体の入場料が500円であったが、いや〜満喫した。十分価値があったね。

そろそろ大洲のまちをあとにする。
帰り道で見つけた温泉マークは「みやこ湯」。残念ながらもうやっていない。


手作りっぽさがいいね〜


駅への帰りもちょろちょろ寄り道しながら。
遠くからでもよく見える大洲駅の跨線橋。


この跨線橋の色、ちょっと黄色っぽいサンドベージュ。臥龍山荘の土壁もこんな色だった。
そして大洲や車窓から見える町家もこんな色の壁が目についた。そこで思い出したのが、
伊予鉄の車体のベース色。土壁の色が伊予鉄カラー・・・ほんとかな?(笑)

自転車を借りたお店に戻るとおっちゃんはいなかったので、おばちゃんに事情を話してご返却。
驚かれた様子もなく、あぁそう、はいはい、と(笑)。ほんと助かりました!ありがとう〜

さて、次は・・・と。八幡浜で前回行けずじまいだった保内に行くことも考えたのだが
今からじゃちょっと遅い。実は夜7時に松山に戻る用事があるのだ。


また長浜へ行こうか。もう護岸工事は終わっているかな。



伊予長浜の防潮堤

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大洲のまちをあとにして向かった先は伊予長浜。
前々から肱川あらしを見たいと思っているのだが、3月後半じゃもう季節が遅いようなので
それは諦めつつ、そう言えばねじまきさんがブログに毎週日曜の昼に点検のために開けると
書いていたなと思い出し、行ってみることにしたのだ。


伊予長浜駅は前回着たときと全然変わっていない。
線路際にこんな丸形防火水槽の美品が。前からあったかな?見落としていたみたいだ。

はたして2年ぶりの長浜大橋は、前回と同じ姿でそこにあった。
付近の堤防の改修工事もまだ完了していない。


・・・と、いきなり嫌な張り紙を見つけてしまった。
「開閉装置の不具合が発生したため、当分の間開閉を中止させていただきます」。なぬーー

おっちゃんに声をかけられた。
「橋が開くのを見に来られたの?」「そうなんですけど・・・」
おっちゃんは関係者なのか近所の方かわからないが、ホントに申し訳なさそうに、
ギアの軸が腐食していることがわかり危険なので1ヶ月ほど前から止めているのだと説明し、
カメラを持って来ている人にはこうやって知らせているのだと話された。
なんとまぁ、親切というか・・・しかし今回はツイていない。

残念だが、復旧させる予定らしいからまた見に来よう。いつになるかな・・・
このまま固定、とか可動部分撤去、などとならないよう心から祈る。

 ※開閉作業を見られたねじまきさんの記事→こちら

ついでにおっちゃんに肱川あらしについても聞いてみた。
よく晴れた日の翌日、未明から10時頃まで見られるらしい。ただ、昔はそういう日には必ず
見られたが、近年は出たり出なかったりするのだとか。予報は難しそうで、シーズンに何度か
起こる肱川あらしに合わせて大阪から見に行くのは至難の業だ。。。

前回は橋までの道のりを歩いただけの長浜のまちを、少しうろついてみよう。
代々回漕業を営んだ長浜の資産家、末永家の住宅。「百帖浜屋敷」と呼ばれる。

庭には、河口部の木場や船がぎっしり停泊した港など昔の長浜の写真や絵図が展示されていた。


旧長浜町庁舎。1936(昭和11)年築。


おや、あれは。


うぉ〜っ!


道路側から見たとき普通のコンクリートの防潮堤に見えたのが、海側から見ると、何と
高々と積み上げられた石垣だ


この荒々しい表情!お城の石垣バリの美しい反り具合!


水の中まで続く石段も青石である。う〜ん、カッコイイ!

長浜での一番のお気に入りスポットであった。

別府タワー

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この別府タワーは、名古屋テレビ塔、通天閣、さっぽろテレビ塔、東京タワー、博多ポートタワー
と共に、内藤多仲設計の「タワー6兄弟」と呼ばれているらしい。

1957(昭和32)年完成。元は「観光センターテレビ塔」という名だったが、1961年に
「別府タワー」と改名されたそうだ。

さっぽろテレビ塔と通天閣は上ったことがあるが、その他は上ったことがない。
博多ポートタワーにあっては、その存在も知らなかった。。。

せっかくカッコイイ鉄骨構造なのに、下がこんな箱になっているのは残念。。。
17階の展望台の展望料金は、なんと200円!庶民的でよいねぇ〜〜

ゴメン・・・実はフェリーの時間に追われて上らずじまいだった。。

管制塔みたいなこの逆台形の展望台、やっぱり好きだなぁ〜。かっこいいなぁ〜。
内藤多仲じゃないけど東尋坊タワーとかもね。

博多ポートタワー、今見たらすごく素敵〜〜今度絶対行こう〜〜。福岡出張ないかなぁ(笑)

プロムナード脇のスナック街

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半月ぶりの川西、仕事を済ませて駅までの道をお昼ごはんを探しながら歩く。


ん?
ハナミズキ咲き誇る阪急高架沿いの遊歩道の脇に、何やら異質な風景・・・


あ、こんなところにスナック街が。へぇ、面白い立地だなぁ。


どの店ももちろん現役で、しかも路上に置かれた看板に灯りがついているところを見ると、
この時間から営業しているようだ。
1軒の店から歌が漏れ聞こえてきた。


店と店の間に張られた電線が蜘蛛の巣のように私道の路地を覆う。

路地の奥はT字路となっていて、左右の道沿いにもスナックが並んでいる。
合わせると結構な集積だ。

その並びにはこんな魅惑的なアパートも。三房荘。


高級住宅街と阪急電車の間に挟まれひっそり息づく庶民の憩いの場。

T字の横線部分にあたる道の続きにはかなり古い長屋が建っており、古くは主要な道
だったのかもしれない。
そうすると周囲の風景から異質に見えたこのスナック街の存在も、もしかすると
長い歴史を背負っているのかも。。。

川西能勢口駅の南側にも小さな飲み屋の集まった一角があるが、そちらは再開発計画が
あるのか、もう営業している店は少なそうだ。


区画整理、再開発により駅前がすべて明るくオープンなまちとなってゆく中、
猥雑な空間に安らぎを覚え、そういう場所を求めている人も少なからずいるはず。

いろんな表情のエリアが共存してほしいものである。まちは多様な方が魅力的だから。

大阪高低差学会第1回フィールドワークに参加してきた

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大阪のまち関連の定番サイト「十三のいま昔を歩こう」の新之介さんが主宰されている
大阪高低差学会」の第1回フィールドワークに参加させてもらった。
暑いほどのいいお天気。
集合場所に行ったらすごい人だかりが・・・40名くらいか!?最初から圧倒された(汗)

私自身、大阪のまちなかを休日にカメラをぶら下げて歩くのは実に久しぶり!
天満橋から石町、大手通、法円坂、龍造寺町、空堀商店街、松屋町と、団体で歩き回り、
段差を上り下りして上町台地を体感した。


何度も歩いたことのある場所であったが、しばらく見ない間にずいぶん風景も変わった。
マンションが増えたなぁ。。。というのがいちばんの印象。工事中の現場や更地も多い。
しかし段差は健在。古い長屋がマンションに変わっても、前面道路はさわれないもんね!
道路はその場所の地形を忠実に見せてくれると同時に、土地の形質の変更を防ぐ砦の役割も
してくれているのだ。




東京と違って比較的単純な地形である大阪において、唯一特徴的な坂道景観を作り出している
上町台地。上ってしまえばフラットと思われがちだが実は台地の中でも意外と細々した谷があって、
特に銅座公園の辺りは深い谷が入り組んでいる。谷があるということは、水源地があったのだろうか。


そして、今回いちばん興味をそそられたのは、新之助さんのブログ記事「上町台地の大きな人工窪地
にあった、空堀商店街の北側一帯のエリアが瓦製造用の土取り場だったために凹んでいるという話。
同ブログに掲載された「新OSAKA漫歩」の文章には、『寛永7年(1630)に徳川家御用瓦師
寺嶋藤右衛門が大阪拝領地として、幕府から南瓦屋町の地を頂き、その地が瓦土取場になり、
以来200年間瓦の製造 のために掘り続けた』とある。
その場所のことを「ノバク(野漠)」と呼ぶらしいが、その名の由来については、
『一面の野原でバクチ(博打)が流行っていたから「ノバク」説と、たくさんの人が野原に
幕を張って住んでいたので「ノマク」⇒「ノバク」となった』(空堀今昔エピソードマップより)など、
これまた漠としている。


空堀商店街の空堀が大阪城の南惣構堀として秀吉の時代に掘られた堀であるというのは、大阪の
常識として知っていたが、商店街の両側が下っているのは実は少し不思議な気がしていたのだ。

南惣構堀があったのは商店街の南側で、それも大阪冬の陣の後に埋められている。
どの程度埋めたのか、もとの地盤の高さまで完全にフラットにしたのかどうかは知らないが、
その辺りの南北方面の坂はいずれも空堀の名残なのだろうと漠然と思っていた。


ところが実は北向きに下る坂は、ノバクの底へ降りる坂だったのだ。
言われてみると坂を下りてしばらく平坦で、長堀通の北側でまた上り坂となっている。
新之介さんのブログの3D地図を見ると明らかにここの凹みは四角く人工的で、
通りに面した部分は建物が建っていたため元の地盤の高さで残っていることがわかる。
まさに現地もそうなっており、そういう目で改めてまちを見て歩くのはとても面白い。


空堀の一帯は元々上町台地の西端であり東西方向に勾配があるので、西から東へ向かって
台地の山側を削り取っていく方が掘り進めやすかっただろう。実際「すりばち状」と言うより
西端は窪んでおらず東へ行くほど崖が高い、言わば「ちりとり状」の窪みになっているように見える。


また、同ブログでは商店街の南側にも土取り場があったことが示されている。
ということは、空堀の跡と思っていた南側の凹みも、いったん埋めた堀を掘り返して土を取った
「ノバク」なのだろうか。しかし、冬の陣後に急いで埋められた堀を再び掘り返しても、
瓦の製造に適した粘土が得られたとは思えないが・・・?

いろいろ疑問が湧いてくる。大阪高低差学会の今後の研究に期待!?

久しぶりにお会いした人もおり、楽しいフィールドワークだった。
新之介さん、及び同行の皆さんありがとうございました!




LCCで、旅へ

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GW前半は普通の週末と変わらず過ぎ去ってしまいましたが、
後半の4連休は、GWらしく(?)私もちょっと旅に出てきます。
初LCCで海外へ!

2月頃のセールで、衝動的にチケットを押さえたのです。
普通ならGWにわざわざ出かける気になっていないので、
やっぱりLCCの安さは旅の原動力になっているなぁ。

さて乗り心地はどんなものか?使い勝手は?
味をしめたら毎月でも出かけてしまうかも!?

それでは、行ってきま〜す。

花壇の土留め

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あぁ、久々に「まちかど逍遙らしい」記事を(苦笑)。

今日歩いていて道端の花壇をふと見たら、・・・ん?


土留めにしてあるこの白い棒、確かに見覚えがあるぞ。粉体塗装の質感、φ60.5の太さ。
これは道路標識の柱だな!ということは・・・


顔を上げて見ると、ビンゴ!!ここは大正警察署。
撤去してきた標識柱を花壇の土留めに転用するとは、お役所もなかなかやるじゃないの〜


標識を留める金物は簡単に取れないのかついたまま。しかもよく見れば、標識はザクッと切り取っただけで、
文字や絵の一部がそれとわかる状態で残っている。
これは一方通行かな?


こちらは何かな、「自動二輪を除く」とかかな?
楽しいね〜


こういうものが見つかるから、仕事の途中でもまちを歩くのは楽しいな!(笑)

おくどさんのタイル

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今月の建築めぐり講座は、以前にも行った事のある大和郡山。川本邸、杉山小児科医院、葉村邸という
コースも前回のたてもの散歩のときと同じ(苦笑)。

ところが、葉村邸のおくどさんにこんなタイルが張られていたなんて、どうして前回気づかなかったのだろう!?


みっしり敷き詰めてあるのではなく、かまどの穴のない部分に5枚。中途半端で、いかにも余ったから
張ったという感じ。だいたい三角形のタイルは四半張りしたときの端部に使うものであろう。
どこかに大量に張った残りではないのだろうか。もしかしたらお風呂やトイレなどにタイルが張って
あったのでは?と思い奥さんに尋ねてみたが、この柄のタイルはなかったと。。。

このタイルは輸入ものと言われていたが、瀬戸の本業タイルだと思うのだが。。。
このタイルの来し方は??謎である。

青いスクラッチタイル3種

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陶芸教室でいろんなアレンジを試してみているスクラッチタイル製作。
スクラッチタイルを作ってみた
スクラッチタイルをまた作ってみた
スクラッチタイル 続々と。

青って自然界では希少で貴重な色。地味な色が多いスクラッチタイルも青色にしたらプレミア感が出るかな?
今回は釉薬の色を生かすために白い土を使って作ってみた。「古陶小」という荒い粒の入った土なのだが
やはりワラビが取れやすく、ちょっと反ってしまった。手早く伸ばして作ったのになぁ。難しい・・・

こちらは鮮やかなターコイズブルーの青碧釉をかけてみたもの。
ほんとはもう少しこってり乗せたかったので、出来はもう一つ。


上の青碧釉はマットな質感なのだけど、つやありにしたくてトルコ釉を上からかけてみたら
ちょっと緑がかった色になっていい感じ。しかしこれもトルコが流れてしまい思ったようにつやが出なかった。
青碧を薄くしてトルコを厚くかければよかったのかな、それとも相性的に重ねると流れてしまうのか。


トルコ釉だけをかけたもの。透明感のあるブルーがきれいで好きなのだが、たまりが少ない。
やっぱりもう少し長く浸すか、筆でてんこ盛りにしないと色が出ないなぁ。。。。


手を怪我していたのでしばらく教室を休んでいたのだが、ようやく治ったのでまた再開するぞ〜

鉄輪の公衆浴場

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4月の下旬に行った別府は、さんふらわあの弾丸フェリーで現地0泊の旅だったが、
母親と妹と3人だったので、1人旅ではないがしろになりがちな食事も充実してたし、
砂むし風呂に行ったり地獄めぐりなど観光らしい観光もした。
いたるところからもうもうと上がる温泉の蒸気。地球のパワーに驚き、歴史ある温泉地の情緒を
存分に楽しんだ。

まちなかにはぱっと見公民館か何かと間違うような地元の人用の小さな浴場があちこちにあり、
観光客も入れるところもある。

鉄輪のまちを歩いているときに見つけたのがこちら、谷の湯。う〜ん、なんて素敵な佇まい。


おや、「北中組員以外の人は入浴料100円を払って下さい」と書いてあるぞ。
入ろ!!!


うぉぉ〜〜〜!!渋い〜〜


ドアを開けた目の前の棚が脱衣所、そしてぽっかりと素朴な浴槽。とってもコンビニエンス!

はぁ〜極楽!

ちょっと歩き疲れたら。ちょっと寒くなってきたら。
この町では喫茶店感覚で温泉に入れるのだ。待ち合わせにも使えるかもしれない(笑)。
うらやましいなぁ〜


料金は「上の家の『つつ』の中に入れて下さい」と。その筒がこちら。
くすっ(笑)。いいねぇ〜〜




別府のまちなかを楽しむ

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別府の話。

鉄輪からバスで別府駅前に戻ってきた。
砂むし風呂の待合室に置いてあった冊子で見たカフェへ、携帯で探して行く。


信濃屋という店。なぜ信濃なのかよく分からないが、、、この建物は炭坑主の別荘だったのを
利用したものだとか。


「珈琲」と書いてあるが、定食や甘味などメニューはとても充実していて、リーズナブル。

別府の郷土料理だと聞いて「やせうま」という甘味ものを頼んだら、すごいボリューム!

当時の雰囲気をそのまま感じられる店内でしばし休憩して、さてまた別府のまちなかへ。


別府駅付近の温泉街は駅の西側がメインなのだが、先述の信濃屋は東側。駅からそこへ向かう途中も
石垣が多いなぁと思っていたのだが、どうやらこのあたりのエリアは別荘街だったのか、
信濃屋のような和風邸宅や、その名残の玉石垣があちこちに見られる。

そして・・・そんな家並みの中で遠くからでも目立っていたのが、こちらの野口病院の急勾配屋根。


うぉ〜〜!立派な近代建築!医院でなく「病院」なのである。
間口は写真の通り1ブロック分あり、奥行きもこれと同じくらいかこれ以上あるのだ!
「別府」という文字が誇らしげ。
保存状態はとてもいいように見える。現在も使っているのだろうか。


駅の西側へ移動。別府は鉄輪など近辺の温泉街を合わせて「別府8湯」と言われているが、
やっぱり別府は範囲もいちばん広く猥雑でいろんな要素を包含しており、町歩きも面白い。




ここも入ってみたかった駅前高等温泉。中は新しくなっているという情報があり、時間も限られて
いるため、確実な竹瓦温泉の方へ行くことにして、今回はパス。。。


「草本商店」のタイル文字を発見。室外機で隠れている文字は何だろう・・・?
右から「糖粉卸商」かな?


ジモ専浴場、梅園温泉のアプローチが素敵すぎる〜〜


竹瓦温泉では10年ほど前に砂湯に入ったことがあったが、やっぱり今も素晴らしかった。
ここの2階が公民館として使われているなんて知らなかったな!
観光客がジャンジャンやって来るこの登録有形文化財のお風呂が、道端の公衆浴場と同じ100円とは、
なんて良心的なのだろう〜


またちょくちょく来たいな〜。弾丸フェリーなら往復1万円だもんね!

松山近郊の近代建築

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ずいぶんあいてしまったが・・・

伊予長浜から松山市内へ戻って来た。
JR松山駅は旅客ホームのすぐ横に貨物ホームがあって、トラックがずらりとお尻を並べている。
ここで鉄道コンテナをトラックに積み替える作業を行うのだろうか。
地方に行くと貨物と旅客が分離されていない駅がまだあって、その風景に心がときめく(笑)。

市内中心部の主要な近代建築は以前に見ているので(あぁ、まだ書いてないや・・・)、
近郊の建築を見に行こう。

まずは、伊予鉄の横河原線に乗って伊予立花駅で下車。少し戻る方向に歩いていくと、
車窓からも見えていた煉瓦塀とのこぎり屋根の重松倉庫が全容を現す。


見事な8連ののこぎり屋根。

ついに雨が降ってきた。。。

そのへんをうろうろしていたらこんな民家が。なんてことない建物だが、妻壁の斜めの飾りと
大屋根が素敵な雰囲気。


今度は高浜線に乗って山西まで行く。本降りになってきた雨の中、新田高等学校へ向かう。
たちばな館というのが1940(昭和15)年竣工の旧新田中学校本館なのだが、道路からは
裏側しか見えない。。。


見学を申し込もうと思って門を入ったのだが事務室に誰もいなかったため引き返し、写真を1枚だけ
撮らせてもらった。
凸型でシンメトリーのシルエットは学校建築の定番だが、すでに様式建築の装飾はなくモダニズムな
デザイン。車寄せの中央の白い柱がパラペットを貫き縦ラインを強調している。

松山で新田と言えば新田長次郎、ここも関係があるのだろうか?と思っていたが、
今調べてみると、新田長次郎の甥の新田仲太郎という人が新田中学校の創設者なのだとか。

詳しい説明を見つけた→こちら

本降りになってきた雨の中、三津方面へ向かって歩く。
目指したのは、旧白楊会館。1934(昭和9)年竣工、愛媛県立女子師範学校の同窓会館であった。
同窓生の寄付金により建設された白楊会館は、教育、研修、親睦などの場として利用され、
戦後師範学校が廃校になった後も同窓生たちが会館を維持・運営してきたという。


現在は洋食屋からすという店になっているが、この店は2代目で、初代の店がオープンしたときは
近代建築保存活用の好例として注目されたようだが、撤退したらしい。
ネオンサインなどちょっとそぐわないかなと思う演出も集客のためには仕方ないのかも。。。

この近くで同窓会により建立された師範学校跡の碑も見つけた。残された簡素な門と塀に
囲まれた敷地にはマンションが建っていた。

三津港の方まで歩いていく。住吉2丁目にあるらしい旧濱田医院を探すが見つからず。
おかしいなぁ、もう解体されてしまったのかなぁ。。。


港の方に行ってみたら、製材所や倉庫が並び建ち、岸壁にはクレーンが。これも三津の風景。



結局旧濱田医院は見つけられないままタイムアウト。
帰ってから調べてみたら、やっぱりまだあるようだ。ん〜残念。やっぱりスマホにしないとダメかな。。。

このあとひょんの大屋さんと食事をして、大街道からバスでオレンジフェリーの出る東予港へ。
東予行きのバスは中心部を21時頃出るので結構ゆっくりできて便利。
実はそこから大阪行きの深夜バスも出ているのだが・・・(笑)

ぐっすり寝たあと早朝に放り出される港のすがすがしさ(笑)。バスだとぐっすり寝れないので。。。
やっぱりフェリーがいいね!

兵庫県庁のタイル

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久々に兵庫県庁へ行った。
全面タイル貼りの箱型の庁舎ビルは、向かいにある明治建築の旧庁舎とは180度異なる
スタイル。


南北方向には薄っぺらいが12階建と見上げる高さ。
それが山の手に3棟連なるさまはまるで立ちはだかる擁壁のようだ。


近くに来ると、外壁を覆うタイルに目を奪われる!


大壁面を覆うのにひとつひとつのタイルは小口サイズと小さいが、単調にならないのは
ひとえにこのタイルの味わい深い質感による。


しわ?ひだ?細かい凹凸が豊かな表情を作りだしている。遠目にはこげ茶色に見えるが、
よく見れば白から黒まで様々。釉薬の窯変による色のバリエーションは無限である。


生き物の皮膚のような有機的な質感。土からできたやきものの真骨頂と言えるのではないか。


規則正しい間隔をあけて並んだ窓はまたタイルのようだ。


ちなみに内部のエレベーターホールはこんなモザイクタイル貼り。
新しく貼り直したようだが、とってもクール!!

元町高架下

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兵庫県庁へ行く前に、ちょっとお昼を食べようと・・・・
神戸の元町駅を北側へ出て西へ歩いて行くと、道路が上り坂になっている。
あぁそう言えばこんなんだったな。
道路と鉄道の高架の狭い隙間に降りていく階段。

う〜ん、いいねぇ!

元町高架下、「モトコー」は三ノ宮から続く商店街だが、独特の雰囲気。
西へ行けば行くほど、戦後の香りがプンプンする。


通路の幅のせいだけではない。ず〜っと昔から、変わらず営業されているお店があるのだ。
この驚異的に時代がかった外観のレンセイ製菓さんがその代表格ではないだろうか。
表(商店街側)に回って、今もバリバリ現役で商売されている店とわかってさらに感動!!


ショーケースに並べられたレトロで素朴なお菓子たち。とってもおいしそう〜
こんなお菓子をどっかへ手土産に持って行きたいなぁ。。。


今検索してみたところ、予想通りお店のウェブサイトはないようだが、いろんなブログに書かれて
いるのを見ると、あれはロシアケーキなんだそうで、戦後からずっと変わらず続けておられるとか。

仕事があるのでこの日は諦めたが、今度あらためて買いにこよう。

マラッカの旅

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今年のGWに、3泊4日でマレーシアのマラッカに行ってきた。母親と二人旅。
今回乗ったエアアジアは私にとって初LCCで、どんなもんかと偵察の意味もあったのだが、
サービスも設備も十分!というよりむしろシンプルでいい。
飲食物の機内持ち込み禁止と聞いて身構えたけど、新幹線の車内販売などよりよっぽど良心的な価格設定。
機内が狭いと聞いていたのも、中型体型の女の人なら全く問題なし。操縦もうまいし。
これからじゃんじゃん使おう(笑)。


さて、マラッカに行ったのは、正直言うとmayumamaさんの後追いである(汗)。
mayumamaさんのレポートにあるように、マラッカのまちなかでは、建物の内外に美しいタイルが
ふんだんに使われているのだ!タイルフェチとしては、是非見に行かねばなるまい、と。。。

15世紀の大航海時代に始まる海上交易の要衝として栄えてきたマラッカには、ヨーロッパ、
インド、中国、などから富を求めて人が集まり、同時にいろんな宗教や文化も入ってきた。
中国から渡ってきた商人の末裔は「プラナカン」と呼ばれ、豊かで華やかな文化を生み出した。
建物を飾るタイルもプラナカン文化の一端なのである。

 マラッカの歴史についてわかりやすいサイト→こちら

マラッカの見どころのほぼ全てはチャイナタウン及びマラッカ川の対岸エリアにあると言っていい。
近年世界遺産に登録されたらしいが、大した人込みもなくゆったり。
トゥン・タン・チェン・ロック通り(通称ヒーレンストリート)は富裕なプラナカンの邸宅が並ぶ通りで、
道幅は狭いがタイル見物のメインストリートである。
古い邸宅を利用してホテルやレストランや店を営業しており、泊まった宿もそういうところの一つ。


クアラルンプールの空港からタクシーでマラッカへ直行したが、宿にたどり着いたのは
もうとっぷりと日が暮れてから。荷物を置いてご飯を食べに行こうと外へ出るが・・・
ぬうぉぉぉ〜っ!!!次から次へと現れるタイルに興奮!!暗くてうまく写真に撮れない
ことはわかっていても座り込んでレンズを向けてしまい、なかなかご飯にたどり着けなかった(苦笑)。


写真が多すぎて整理もおぼつかず、いったい何から書いていけばよいのか、今も悩んでいるのだが、、、
とりあえず、3連泊してぐるぐる歩き回って見たタイルや風景を、次回から羅列していくことにする。

タイルのマラッカ(1)

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マラッカのタイル、でなく、「タイルのマラッカ」(笑)。
いろいろ悩んだが、やっぱり時系列で行くか。。。

2日目は早朝から散歩に。7時からのつもりで外に出てみると真っ暗・・・実は1時間間違って
起きたのだが、窓のない部屋だったため外へ出て初めて気づいたのだった(爆)。
マラッカ川の川べりなどを歩いているうちに日が昇ってきた。


まずはオランダ広場の脇から丘を登る。市街地を見渡す丘の頂上に建つのがセントポール教会。
ポルトガル軍によって1521年に建立されたカトリック教会であるが、その後オランダ、イギリスの
支配時代のプロテスタントの台頭で廃れたとか。


屋根は抜け落ちているが壁は往時の雰囲気を十分伝えている。


ところでこの建物の壁は赤い色から一見赤煉瓦造に見えるがそうではない。
サンゴのように穴の多い、赤い石である。砕いた石を固めた人造石のようにも見えるが、こんな古い
時代にそんなものはなかっただろう。そういえばマラッカ川付近の要塞跡の石垣もこの石だった。

今検索してみると、ラテライトという鉄分とアルミニウムを含んだ石らしい。

丘の反対側へ降りていくと、サンチャゴ砦(ファモサ要塞)。これもポルトガル時代の遺構である。
後年イギリス支配時代に爆破されかけたが、ラッフルズ卿がその重要性を説いたおかげで残ったとか。


これもさっきと同じラテライトを積んで漆喰で固めた構造。
大変貴重な遺構にもかかわらず中に入れるのは驚きだ。おかげでこの砦が、オブジェでなく
建築物であることを感じることができる。


マラッカ川の左岸にはかつて、セントポールの丘を中心としたこのような五角形の要塞が作られていたのだ。
現在の地形と重ね合わせてみると、堀は埋められ、河口部はかなり埋め立てが進んだようだ。


丘のふもとには交通公園のようなものがあり、日本の「汽車製造会社」製の機関車が保存されていた。
1965の年号の入ったプレートがつけられている。イカツくてカッコイイ!!
こんな機関車に引かれた列車に乗ってマレー半島を旅したいなぁ〜


チャイナタウンに戻り、まちなか散策。ようやく明るいところでタイルが見れる。
どの建物も建物の入口は道路から1〜1.5間程度セットバックした構造で作られており、
その床は象嵌タイル、そして壁の腰張りにはマジョリカタイルが張り巡らされているのだ!


うぉぉ〜〜〜!!すごい!!マジョリカタイルは日本製が多いらしいが、イギリス製の
ビクトリアンタイルや銅版転写タイルと思われるものもある。


床の象嵌タイルの産地はわからないが、明らかに品質の高いものとそうでないものがある。
左下のものはとても模様が細かく色の境界がはっきりしている。上質な象嵌タイルが使われている
ところは、壁のタイルもゴージャスな傾向がある。やっぱりお金のかけ方が違うんだろう。


そして右下の、色土タイルと私が呼んでいる鮮やかな無釉のタイル。これもイギリス製だろうか。
模様の部分は象嵌タイルであるが、くっきりとしており上質である。


この美しいグリーン!見るからに洗練された色とデザインは、本場イギリス製だろうな。


右下のは銅版転写だろう。磁器のティーカップを思わせる。

建物の1階をセットバックした造りは台湾や他の華僑の町にも見られるが、ここのは雁木造りのような
通り抜けスタイルにはなっておらず、隣家との間は窓の開いた壁で仕切られていることが多い。
柵を設けている家もあり、あくまで1軒ずつ各家のエントランスポーチである。
プライベート空間だからこそ豪華に飾りたてているのだろう。

興奮はなかなか冷めやらないが・・・おなかもすいてきたので宿へ戻り朝ごはんを。
朝の散歩でかなり見て回ったな。。。


続く。

タイルのマラッカ(2) 

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(1)からの続き。

朝食後はマラッカ川クルーズ船に乗ろうと歩き出す。が、、、またもやタイルに目がいく・・・


これは一見お寺のようだが、「福建会館」。福建省出身者のよりどころなのだろう。
龍の木彫などハデハデの意匠!!


川は汚いがクルーズは気もちいい!!くねくねと蛇行した川を進んでいくと、次から次へと
景色が変わっていく。
川沿いの大半は歩けるように遊歩道が整備されているが、このように建物が直接面している風景に
心は惹きつけられる。


ひときわ急なヘアピンカーブの内側に、赤い屋根がぎっしり集まっている。マップには
「古いマレー村」とあり、気になっていた。しかしこれはテーマパークなのか?
クルーズ船の引き返し地点で私たちだけ下ろしてもらい、見に行く。

勾配の緩やかな部分に尖った三角屋根を組み合わせた特徴ある形。赤い鉄板屋根は新しそうだが、
集落内を少し歩いてみると、みな異なった形をした各家は結構古く、にわか作りの村ではないことがわかる。
「カンポン・モルテン」という、ほんとにマレー人が住んでいる村なのであった。
高床式の構造や木製の軒飾り、バルコニーなどは、この風土において風通しよく快適に過ごせるよう
工夫された、伝統的なスタイルである。保全のために近年改修されたようだ。


そんなマレー村の一番突端部分にあるのが、ヴィラ・セントーサ。プライベートな民家だが
今はマレー民族博物館として公開されている。村の中でもかなり裕福な家と見える。


ポーチにはタイルが。はだしでペタペタ歩きたい。


高床で、中庭のような空間を囲むように、部屋が配置されている。
台所はスキップフロアのように数段低いところ、おそらく地上と同じレベルにあるのが面白い。


庭にあったこのミニチュアマレーハウスは、犬小屋?それとも鳥小屋??か〜わい〜い。


近くに建つ、マジェスティックホテル(大華酒店)。いい感じ〜と思って外観だけ写真を撮ったが、
やはり歴史建築で内部にはタイルがあったようだ。
mayumamaさんは中を見せてもらったと書いていた。うらやましい。→こちら

途中でフルーツなど買い食いしながら歩いてチャイナタウンまで戻る。
マジェスティックホテルの近くのセントピーター教会を見に行こうと思っていたのに忘れていた。。。

このあたりに連なる建物はショップハウスである。ヒーレンストリートの建物と違って
間口が全面開口であり、店先は連続して通り抜けできるようになっている。
中にはゴージャスな装飾をまとったものも。


ヒーレンストリートのババニョニャヘリテージ博物館を見に行く。富豪の邸宅を博物館にしたもので、
内部のタイルもすごいし調度品やら刺繍などコレクションの数々の豪華なこと。
結構高い入場料を払うのだが、内部写真撮影禁止。。。残念。

併設のカフェ1511でジュースを飲んで一休みしたら、またまちなかのタイル見物。
さわやかな色合いのもの、シックなもの・・・・


右上のは立体感のあるエンボスタイル。ずらりと並ぶとよりパワーアップ!
左下のは上の青い花のと同じ柄だが色が違うとイメージがずいぶん変わるものだなぁ。


同じ柄のタイルでも組み合わせが違うとまた雰囲気が違う。全く同じ組み合わせはない。
右下のピンクのリボンは前回の黄色いリボンと色違い。お風呂屋さんにありそうな山水画風の組タイルを
合わせる大胆なミスマッチ。


2階の窓と窓の間の額縁にはめ込まれたこれも、アップにしてみるとプリントタイルのようである。
その下に横一列に貼られたのもタイルだが長方形でちょっと変わったサイズ。
右上のはタイルではないが、窓の格子も竹をデザインした焼き物が使われている。

どんどん出てくる出てくる・・・・

続く。

フェリーせんべい

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4月に、松山からの帰りのオレンジフェリーの船内でおみやげに買った、「フェリーせんべい」。
包み紙がよいねぇ。シンプルで媚びのないデザイン。


製造元は(有)観光堂。調べてみると、昭和25年創業の松山の製菓会社らしい。


ほんのり甘い素朴なおせんべい。焼印が香ばしい。ロゴマークと共に「東予←→大阪」と書いてある。
これは大阪便で買ったが、神戸便では「新浜←→神戸」、九州航路では「八幡浜←→臼杵」という
焼印が押されたものが売っているのだろうか。

フェリー存続のために、飲み物やお土産もできるだけ船内で買うことにしている。
皆さんも!
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